Worth working (10)

 屋上へ向かうまでの階段をのぼりながら煙草を一本吸い、扉を開けて外に出るとまた一本をくわえた。

 左手のみでマッチを擦って火をつけ、湿ったぬるい空気の中に紫煙を吹き流す。

 濡れたような質感の彼女の髪が、巻いた風のなかへ荒れた印象で舞う。それを押さえもせず、深々はじっと押し黙っていた。


 ここ、電波塔跡地の付近は生活圏でないため街の光が薄い。夜が来ても暮らしの明かりは遠く、深々はそちらの方面を見ていた。輪郭のぼやけた闇の向こうに生活を見ている。理逸はなんとなくそちらではなく、北遮壁の方面を見ていた。高速道路の巨大な壁に遮られた新市街の光の方が、近い場所の南古野の明かりよりも強く感じられた。


「スミレには、またあとで改めて礼を言おうと思っている。助言は的確だった」

「あのとき、なに言われたんですか」

「背負うのと背を預けるのとは、場合によって使い分けられる。いずれもそこに信頼があれば。……とね」


 気負ってしまったプレッシャーを見抜いて、うまく肩の力が抜けるよう仕向けたらしい。ああした鉄火場にどうしてそうも慣れているのか、本当に謎だ。

 ともあれ、それで常の調子を取り戻したから深々も挑むことができた。スミレは今回の皇水甕の功労者と言って差し支えないだろう。

 理逸がスミレになにか褒美でもくれてやるべきか……と考え込んでいたら、深々は声の調子を落として、つづけた。


「だがスミレに礼を言う前に。お前と、《七ツ道具》の面々には謝っておかなくてはと思った。すまない。不甲斐ないリーダーで」

「……判断ミスのたび謝っていたら、立ち行かないでしょう」


 深々から視線を逸らしたまま、屋上を囲む柵に肘を置く。かつ、と背後で足音がして、おそらく彼女がこちらを向いたのがわかった。背に視線を感じる。


「いや。これは、私情が混ざったミスだった。そう思っている」

「ですか」

「正直、焦っていた」


 深々がそのように弱音を漏らすなどめずらしいことだったので、理逸は動揺した。目を合わせていなくてよかったと思う。


「――スミレの持つ、統率型拡張機構ハイ=エンデバイスのせいだ」


 端的に、深々は懸念について口にした。


「六年前の争乱も、統率型拡張機構がこの街に流入したことがはじまりだった。機構運用者デバイスドライバを相手取るにはこの上ない武装。あれがふたたびこの地に現れたと知れば、水道局はまちがいなく干渉してくるだろうよ」

「天敵、ですからね」


 スミレの機構が持つ上位権限の有用性は共に戦った理逸が一番よく理解している。普段ならばプライアがあってもまるでかなわないほど身体能力を強化された水道警備兵を完全に無力化し、倒すまでに至れたのはスミレのおかげだ。

 ましてやスミレの機構は短期的とはいえ記憶の操作をも可能にする。もしこんなものの実在が知れれば、統治区に対して絶大な優位を誇る水道局にとって障害となりかねない。なんとしてでも確保に乗り出すだろう。


「裏を返せばそれだけの重要度だ。今後の南古野において、笹倉や周との交渉にも使える。ただそれを成すには我々の資金が不足していたんだ」

「だから交渉に出る準備のため、ここで資金不足を解決しようとしたんですか」

「前回の制水式で支出も多かったところに連続しての式だったからね。なるべく出費を抑えて貯えをつくっておきたかった。でも欲をかいた結果、お前たちを不安にさせているのでは世話がない」


 自嘲気味に言って、足音が近づく。理逸の隣に並んで柵に左肘を乗せ、煙草をくわえつつ額を押さえた。


「ただどうしても。統率型拡張機構のことを考えると、冷静ではいられない」


 口許から落ちた吸い殻の火が真下の闇に吸い込まれていく。

 スミレと深々を引き合わせてしまったのは、失敗だったのだろうか。いや、たとえこの結果が見えていたとしても理逸はおそらく、スミレをここへ連れてきていた。

 理逸は子どもが嫌いだ。しかし育つのに必要な分を除いた危険からは、保護されているべきだ。それは周りが負うべき責務であると考えている。


 統率型拡張機構。


 理逸にとっても因縁の名だ。あれが南古野に流れ込んでこなければ理逸はここに居なかったし、能力プライアを目覚めさせることもなかったし、深々と師弟になることや、いまのような気まずい関係になることもなかった。六年前に戻れるのならと考えたことは数知れない。

 けれどいまを生きるには、あり得たかもしれない過去を夢想してばかりもいられない。

 選んだ『いま』の理由を探り納得するのは、明日のためでなくてはならない。


「いまは、明日の事前準備のことを考えましょう」


 そして理逸は明日に迫った、戦いの場について考えをめぐらしていた。

 水泥棒と同程度に重要な一戦。むしろ、定まった地下の舞台ではなく地上での強襲であることを考えるとより複雑で難度の高いオペレーションだと言える。

 失敗を悔やむよりも気を逸らして、そちらについて考えてもらおうと理逸は言葉を継いだ。


「スミレも参加するわけですし、それが終わってから改めて全員で話すべきです。これから安全組合がどうしていくのか、どういう組織としてやっていくのか、とか」

「……」


 理逸の言葉に、しばらくのあいだ隣の深々は黙っていた。

 やがて柵に手をかけると向こう側へ身を躍らせて乗り越え、

 空中に一歩を踏み出す。

 ミュールの底が、

 大気を踏みつけて止まった。

 それを繰り返して、空中を歩く。

 歩く。

 ビルの縁から離れていく。

 彼女のプライアによるものだ。わかっていたので理逸は動じない。


「謝ろうと思って来た場だというのに、このようなことを言うのは我ながら勝手だとは思うけれど」


 しばらく進んだところで振り返り、風に流れる右袖をそのままにしながら。

 風に髪がなびき、ただでさえ伸ばし気味なもので、暗いのも手伝ってまるで表情が見えない彼女は、言う。


「……お前に明日のこと考えろなどと言われると、ひどく苛立つ」


 今度は理逸が黙る番だった。


「勝手に私から《行路流ゆきみちりゅう》を学んで、勝手に《蜻蛉》を継いで、勝手に危険域に足を踏み入れて。お前は……内心では明日など考えていない・・・・・・・・・・くせに。どういう顔で言っているんだよ、私に。そんな話は――そんな話はいま、していなかった」


 ひどく気に障る言葉。勝手が過ぎる言葉だった。

 ただ、自分の方も同様に彼女の気に障る発言になっていたのはわかる。

 わざわざ、深々自身のなかでも触れないようにしていたであろう統率型拡張機構について明確に話題に出したのだ。そこを深く話して……彼女としては、わだかまりを解きたかったのかもしれない。

 けれど理逸は話題を逸らした。明日のことの方がより現実的に直面していることだから、と言うこともできるが。それでも、結局のところは逸らして――逃れるためだったのかもしれない。

 またやってしまった、という思いがある。おそらく顔に出ているし、闇の向こうで見えない彼女の顔も似た表情を宿している。

 立場と立ち位置と感情が複雑にからんだ関係性のために、この六年のあいだ深々と個人的な場で冷静に話ができた試しがない。

 深いため息が彼女の側から聞こえた。落胆などではなく、疲労を溜め込んだ色の見える声だった。


「だがお前の言葉が正しいのはわかる。そんなことを言わせている自分にも苛立つ。……頭を冷やしてくるよ、理逸」


 名を呼び、空中を歩き去る。姿が遠く小さくなっていくのを見やって、最後まで見送ることはなく理逸も階段を降り始めた。

 結局縛られたままだ。

 どれだけ走りつづけても、六年前からは逃れられない。


「だからって俺に当たんなよ、義姉貴アネキ


 長らく呼ばなかったその関係性を唇に載せると、ひどく舌の回りが悪くなるのを感じた。



        #



 織架の部屋に戻ると人が入れ替わっていた。

 スミレと織架が席を外しており、代わりに畳スペースへ腰を下ろしていたのは十鱒とおますだ。四十がらみ、《七ツ道具》でもっとも年嵩の彼と二人になることは少なく、若干緊張する。

 白髪の混ざったセンターパートを掻き上げながら十鱒は言った。


「二人は珈琲を淹れにいったよ」

「ですか。意外と織架になついてんのかな……」

「単純に、より年老いていて油断ならない大人である僕が来たからだと思うよ。彼女の行動指針は常に、『いかにマシか』に依っていると見える」


 自分が遠ざけられている事実を、さほど感慨もなさそうに語った。十鱒の片手にはショットグラスがあり、爛熟したパインアップルの果肉を思わせる濃い香りが漂っている。無色透明の液体だというのに、白酒はひどく存在の主張が強い。

 長身に合わせた仕立てのシルクのウエストコートとシャツとボトムス、揃いになって決まった服装をわずかに緩めて片膝を立てて酒をあおる様はいかにも仕事を終えた人という風体だった。

 十鱒は理逸の顔を見て、その後ろにつづく影がないのを確認すると深く皺の寄った目元を撫でてかさついた声を発した。


深々あの子は散歩かい」

「ええ。空を歩いていきました」

「それならあまり心配はない。気分が整って戻ってくるまで、僕はここで待つとしよう」


 静かに言ってグラスを傾ける。

 十鱒と深々の付き合いは長い。深々は先代の組合リーダーだった彼について回り、滅びた首都・灯京に出向いて廃治区ルインの暮らしと発展部との生活格差を学び、ときに死地を潜り抜けたという。

 いびつな師弟関係の理逸と深々では考えられないような、ちゃんとした信頼がある。だから待つと、そう言えるのだろう。

 なんとなく理逸も畳に座った。十鱒は自分のグラスの中身を嘗めながら、もうひとつ空のグラスを差し出してきた。


「飲むかね?」

「いやいいです。というか、事前準備戦の前日でよく飲めますね。十鱒さんも出るでしょ」

「明日の酒は今日飲めない。僕は今日のことは今日やっておく主義でね」

「なるほど」

「冗談だよ。感心しないでくれたまえ円藤君、恥ずかしくて酒気が抜ける」


 力なく笑い、十鱒は酒をまたひと口含んだ。

 手持無沙汰な理逸は、先ほど広げたままだった自分の装備をまた点検しはじめる。ワイヤーカッター、糸、拾徳ナイフ、防具、ゴーグル、グローブ、ボーラ。

 ひとしきり手入れを終えて、ふと視線を上げるとグラスの手を止めた十鱒がこちらを見ていた。


「相変わらず殺傷力のある武器は持たないようだね」

「十鱒さんもでしょう。まあ、あなたの場合は必要ない、というのが正しいでしょうけど」


《七ツ道具》・一番である彼。

 この番号はシンプルに七人中での強さの順番を示しており、三番の理逸より上の二名は遥かに強い。模擬戦を百回やって一回勝てるかどうか、という力の差がある。

 しかし武器の必要がない強さを誇る彼、《太刀斬りタチキリ》との異名を付けられ『相手の武器をことごとく破壊する』能力保有者プライアホルダーである男は首を横に振った。


「いいや、僕も武器を持たないのは主義によるものだ。必要ないといっても不測の事態に備えるなら、持っておく方が絶対にいいのだからね」

「主義だったんですか。てっきり、俺」

「相手のトラウマの類推はきみの秀でた戦闘能力の一要素だが、軽々に口に出すと身内の信用を失うのでそこまでにした方がいい」

「……すいません」


 武器を壊す能力かつ本人も素手、ということから武器へのトラウマが生んだプライアだろうと理逸は推測してしまったが、その予想を十鱒はたしなめた。不用意に無遠慮に相手の内面に踏み入ることは問題と障害を招く。控えておく方が賢明だ。

 十鱒は節くれだった指先を掲げながら、淡々と話をつづけた。


「できれば深々は、きみに戦ってほしくないのだと思うよ。武器を持たず殺しを是とせずきみが挑むことに、あの子はひどく怯えている」

「知ってます」

「そうして突き進むと余計に怒らせることも?」

「わかっています」

「でもどうしようもない、か」

「はい」


 自分が、戦わなければと感じている。その気持ちに従うにあたって殺傷力の高過ぎる武器は無用の長物だった。

 ゆえに徒手での格闘技術である《行路流》を身につけた。《七ツ道具》としての立場を手に入れた。けれどそもそも、深々は理逸に戦ってほしくない。水泥棒の場を与えたくない。そういう態度は、厳しい物言いの端々に現れている。

 それでも、それは、深々が自分の気持ちを楽にしたいがための行動であり。理逸が自分の心を楽にするためには、従うことのできない要望だった。


「では結果でどうにかする他に道はないね」

「そうですよね」

「案ずることはない。実際、僕が必要のない行動を主義でやっていて気づかれておらずまた咎められないように」


 わずかに軽口を滲ませて、十鱒は片眼を閉じた。


「先を読んで不測の事態を無くし、なにがあっても生還できるのなら。なにも言われはしない」


 難度の高いことを平然と言い放ち、十鱒はグラスを乾かした。

 なにが、あっても。

 言葉にすれば単純で、ともすれば笑ってしまいそうな言葉なのだが。ここで笑ってしまえば絶対に理逸はそこにたどり着けないのだろうとの確信があった。

 だからただうなずき、備える。

 明日の事前準備に、なにが待っているか知らず。

「なにが待っていようとも」と、決意だけを定めた。


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