Wailing wall (2)

 明けて翌日の昼、理逸はスミレを伴って北遮壁近くの詰所を監視していた。

 じりじりと今日も照り付ける日差しのなか、とある廃ビルの三階に陣取り水道警備兵の動きを見る。

 二〇〇メートルほど離れた詰所では朝から抗議デモ活動が盛んにおこなわれており、警備兵の士気を下げかつ正門からの動きを取りにくくしている。


 これもじつは、深々の策だ。

 宗教団体である《慈雨の会》そのものと《安全組合》は協力関係にないが、所属人員に重なり合っている部分がある。

 とくに、希望街の人間はその筆頭なのだ。


「2nADとぁなたたちの結びつきが強ぃことを、こぅして活用してぃるのですね」


 膝を抱えて影の中に座るスミレのぼやきに、理逸はうなずいてみせた。


「《慈雨の会》のトップは直接的なデモ活動を支持しないタイプだが、構成員の行動を縛りとがめるタイプでもないからな」


《安全組合》にも《慈雨の会》にも籍を置く者から動きを演出してもらい、デモにこぎつけたという次第だ。これが攪乱であるとは警備兵側も当然気付いているだろうが、だからといって無視はできない。

 そしていかに非道の警備兵とはいえ、地下で水泥棒に及んでいるわけでもない丸腰の人間に初手で発砲するようなことはない。腫物扱いのデモを、気にしつつも迂回した行動が増える。


「結果、動きに乱れが生じる」


 デモを避けるため発生する出入りのわずかなズレ、彼らの連絡の少しの遅延。

 これらが十分に効果を発揮するタイミングでさらに注意するべき場所を増やす。

 ドンっ、と鈍い音が轟く。

 慌てる人々。

 詰所にほど近い廃ビルの一階から小規模な爆発と同時、煙があがる。小火ぼやではあるが対応しないわけにもいかない。散らばる《慈雨の会》の面々を後目に、正門から警備兵が出てくる。ベテランなのだろう、メットはしていない。だが目の色に青の残光はなく、機構運用者でないことがわかる。

 燃えている箇所へ近づいてすぐ、彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。焚きつけにしてある木が何であるのか、気づいたらしい。


「毒だ! 毒性の樹木を燃やしている。防毒対応を成されたマスク・メットの奴以外はあそこに近づくな! 一旦放置だ!」


 素早く的確な判断で、彼らは引いていった。正門付近は風上であり、かつ毒木はわずかな量しか使わなかったので警備兵にも《慈雨の会》にも影響はないのだが。実際、事前にそれが伝わっている《慈雨の会》メンバーたちはあまり動かない。


「慈雨の人々が動じなぃことで、気づかれると思ぃますょ。いぃのですか」

『ははっ、何度も使っている手だからね。どーせ向こうも警戒するさ』

「今回使ったのはなんだ、織架」

夾竹桃キョウチクトウ。大気汚染に強く災害後もそこかしこで赤く美しく咲き誇っていた、しかし全草に有毒の植物だっ』


 ざざ、と耳障りな音を立てて理逸とスミレの間に置いてある鉱石ラジオが織架の声を放つ。

 奴はというと、通りを挟んだビルの一階で壁に背をもたせかけ、眼鏡グラス型機構と手甲ガントレット型機構と腰帯コルセット型機構のフル装備で状況確認・指示出しに励んでいた。

 眼鏡の現実拡張ARによって理逸たちのことを高解像に認識し、搭載された読唇術セットで意思疎通を可能として。手甲の空中打鍵による動作鍵式定型情報出力モーションキーで、選択した指示を(音声情報などに変換した上で)飛ばして。腰帯の並列情報処理マルチスレッドで次に出すべき指示の取捨選択を進行し、パフォーマンスを向上させる。


 ──基本的にこの街で戦闘能力の順列は「銃火器・能力プライアのない常人」「銃火器で武装した警備兵」「戦闘に慣れた能力保有者プライアホルダー」「戦闘向きの機構運用者デバイスドライバ」の順番だが、織架のような指揮官タイプの機構運用者はこうした枠組みには当てはまらない。数値化・言語化できない感覚任せである運動神経や筋力の強化は苦手で、並列情報処理や状況フィードバックといったバックアップのための思考加速に重きを置いているからだ。個人戦ではなく集団戦特化。


 現に、特定周波数の電波を任意で発生させて理逸たちのラジオに拾わせるこの情報伝達も、奴は機構の一機能として改造・搭載しておこなっている。

 もっとも、周波数を細かく変えようと相手に拾われることは避け得ないのだが──


『A2ライン、C6ライン。羽籠宮ばろうく

『はいはいわかってるわよ火はつけたわよ。んじゃ次の場所まで、測位置誘導案内ナビもよろしく』


 このような指示と受け答えの直後に爆破、小火が起こるとなれば傍受によってなんとか先回りしようと考えてしまうのが人の性だ。

 実際には『相手に拾われることを前提としたダミー情報』である可能性も高いが、その峻別に彼らはまたわずかなロスを生むこととなる。

 ノイズ情報による思考リソースの削り取り。

 連携を断ち切り、こちらが攻めるタイミングを生み出すための策。


「……水泥棒は、宣戦布告をぉこなってから二十時間以内にゎたしたちの側が水道バルブをすべて開放できれば成立。そのょうな約定でしたね」


 スミレが口に出して、制水式の条件を確認する。

 その際に警備兵の殺害があればそのぶんペナルティとしてバルブは閉鎖、水が流れなかった地区に問題が生じ場合によっては奪い合いになる。

 そんな事態を避けるべく、理逸たちが本番である水泥棒前に警備兵を殺傷して戦力を削る。次いで減った兵力のぶん補充要員が内地から派遣されるより早く、今回だと《笹倉組》の安東たちが水泥棒に移り、電撃戦で終了させる。

 ゆえに《事前準備》。

 露払いと、用兵のための経路分断。組織戦闘戦略。


「向こぅも空気から感じ取ってぃるのでしょぅね。この陽動と攪乱が、水泥棒を踏まぇての牽制でぁると」

「だがどこでどう始まるかはわからない。防衛側であることの弱みだな」

「そこを衝くと?」

「能力保有者は銃火器持ちの警備兵より戦闘で優位をとりやすいが、能力で慮外・想定外の技使って動揺を誘い不意打ち気味に攻撃できるから有利ってだけだ。弾丸が当たれば死ぬ。だから奇襲と電撃戦で一撃離脱せにゃならない」

「能力保有者の絶対数も少なぃから、ですか」

「その通り。安全組合でも能力保有者をいくらか抱えちゃいるが、札としての切りどころは難しい」


 実際のところ南古野全体で見ても、能力に目覚めているような人間はおよそ一割。

 うち、届済みの人間がその半分、トラウマを乗り越えて能力を振るえるような人間はそのまた半分、安定して駆使できる上に強力な異能である人間はさらに半分といったところだ。

 いまの《七ツ道具》では一番の十鱒、二番の蔵人、三番の理逸、六番の譲二が能力を保有している。けれど尾道のときに街の人々から恐れられたように、プライアへの偏見は根強く、積極的に保有者だと明かして共に戦ってくれる人間はそもそも少ない。

 ほかの組織でも似たようなものだ。笹倉組・《四天王》は南という男が、沟・《竜生九子》は九人中四人が、じつは能力保有者でも機構運用者でもない。

 戦闘人員の確保にはいつもどの組織も悩んでいるのだ。


「向こうもそれは承知だから、警備兵は各個撃破されにくいように二人組以上での行動を常とし、対能力保有者戦を想定して銃火器を肌身離さず携帯するわけだ」

『暴発のおそれすらある亜式拳銃サタスペとちがい、制式拳銃ドリセキの五発は安全確実に俺たちの命を奪うんだっ』


 織架のぼやきと共に、スミレはじっと自分の手の中にある拳銃に目を落とす。

 二連装の角ばった拳銃。

 週末のSaturday夜のnightお供special

 銃器の類が貴重なこの街で、これがスミレに与えられたことの意味合いは期待と責任を意味する。


「……暴発と聞こぇましたが。安全ではなぃのですか、これ」

「制式拳銃よりは、ってだけだ」


 いぶかしげに亜式拳銃を見るスミレに、理逸はそう伝えた。実際、二連装の構造もあって威力ストッピングパワーは高くないが、そのぶん命中精度は制式拳銃にひけを取らない銃だ。


「って、織架が言ってる」

「ぁの方がつくったのですかコレ」

『いまのところ事故報告はないぞっ。安全率100%だ』

「どうだかな」

『嘘なんか言ってないが!』

「嘘言ってるとは思ってねぇが、死んだら報告できないだろ」

『……あっ』

「ゃめてほしぃのですが。不安になることをぃうのは」


 辟易した顔でスミレが言う。理逸は肩をすくめ、「まぁ護身用だ。撃たずに済めばそれでいい」とだけ伝えた。


 ……そうこうしているあいだにも計画は進んでいる。

 織架も、馬鹿な話をしながら随時指示は飛ばしていた。三階の窓から見える景色のなか、ちらほらと動き回っている《七ツ道具》の連中が見える。

 小火や騒ぎでおびきよせた警備兵を各自で仕留めるためだ。いま、蔵人くらんど譲二じょうじがそれぞれで得物の刃を抜き、物陰に息をひそめ警備兵を殺めんとしている。

 このタイミングで、ふいにスミレが口にした。


「そぅいえば」

「ん?」

「ぁなたは、周りの方がひとを殺すのは、ゅるせるのですか」

「許すも許さないもない、と思ってる。それを決めるのは殺された当人とその身内だけだ。それ以外の関係性で『許さない』と言う連中は、そう言っておかねぇと殺人を許す社会になるかもしれん、と不安感じてる……お気楽な時代、場所の奴らだけだろ」


 半世紀以上前とっくの昔にこの街は殺人がひとつの生存手段として認められている、という思いを込めて返せば、スミレは淡々とこれを受け止めてつづける。


「後半は一般論の理屈で、前半は『なんとも思ゎない』とぃうことでょろしいですか」

「そうだな。俺は、自分が殺したくないだけだ。周りが自分と自分の身内を護るため殺すことに、思うところはない」


 単なるこだわり、けれどそれをしなければ自分でいられないと思うこだわり。

 そこへ他者を巻き込むつもりはない。


「だからお前が拳銃それをどうするか、拳銃それでどうするかは自分で決めろ」

「ゎたしは殺しをしません。ぉどしと護身には使ぅかもしれませんが、そこまでです」


 きっぱりとした断言に、理逸は自分の目が丸くなったのを感じた。

 それが治まって平常になったときに、親近感のようなものを覚えた。

 ひとつ決め込んでひとつ事に当たろうとする態度に、自分と近しいものを認めたのだろう。


「……そうか」


 返したところで、理逸は傍らにあった懐中時計を見つめた。

 刻限である正午が迫っている。


「『なにがあっても生還できるのなら、なにも言われはしない』」

「?」

「らしいぞ」


 十鱒との昨晩の会話を思い返し、半ば自分に言い聞かせるように彼の言葉を引用した。スミレはふしぎそうに理逸を見つめる。

 窓辺に手をかけた。眼下の景色のなか、大通りを歩いてくる警備兵が三名見える。小火のあとに焚いたスモークにおびき寄せられているのだ。

 呼吸を整え、理逸はゴーグルを喉元から引き上げる。横でスミレも機構を起動させ、目に青の残光を宿している。


『……カウントに入る』


 ちょうどそこでラジオから深々の声がする。織架の傍で、戦況を確認しながら攻めるべき機を見定めていたのだ。

 警備兵サイドに巻き起こる孤立、凝集、分断、遅滞、拙速、惑乱。

 薄くしかし確実に広がる、組織の連携を鈍らせる諸要素。


『五、四、三、二、一──行くぞ』


 それらの毒が回りきったタイミングで、深々が全体指示の声を発した。

 ラジオ越しにこれを耳にした瞬間、理逸は窓枠に足をかける。


「伏兵はいるか?」


 問いかければ聴覚を強化しているらしいスミレが耳に手を当てがい、わずかに目を細めながら首を横に振る。


「ぃません。ぁの三名のみです。装備も特殊なものはなく機構運用者も不在」

「よし」


 確認を終えてすぐ、理逸は空中に身を躍らせた。


 事前準備戦の開始だった。

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