Warez widgets (3)
李娜は楊欣怡と幾野の語る、棚部百合失踪の状況に耳を澄ましていた。
わずかに視力の残る右目はおぼろげに光の輪郭を捉えることはできるが、それ以上の判別を許さない。
自然、耳を澄ます以外にやることがない……とも言える。
(幾野の態度からは緊張と焦燥を感じます。警戒はない。姿勢の具合も『他人事』という向きが強そうですし、楼閣のなかで大きくなにか起きてはいないようね)
聞き取った話よりも聴き取った音から、そう結論づける。
声音の端々、身じろぎのひとつひとつ、組み替えた足の重心の傾き……李娜は、そうした個々ではほとんど意味を成さない情報を連ね繋げて、『見る』以上の情報として活用するようにしていた。
(でもこの欣怡とやらには、それがあまり通じない)
話を聞いてうなずくふりを返しながら、そのように考える。
欣怡は、ひとつコレと決めたなら姿勢が崩れないし、先も戯れに放った桃娘としての芳香で気をやられなかった。じつに反応を引き出しにくい人間だ。
間延びした語りも、語り始めればむしろ淀みなく口を差しはさむ余地を与えないのも、おそらくは計算ずく。コレと決めたところを常に外れないことで一定のペースを己に課し、自分の情報を極力漏らさないようにするためのものだろう。
「──というわけで、ウチの敷地内からも子が消えることとなりました。まあ、百合はまだ客を取ると言っても『水』の方だけでしたが」
焦った声音の幾野に、少し考えてから李娜は返す。
「……裏引きでへんなのに捕まったとか、そういう線はないの?」
「そもそも出勤がさほど多くないので、そういうのが付く段階でもないとは思います」
「一度しか会ってないからこそ妙な執着を見せる手合いも多いものよ。とはいえ、素人のそういう手口なら周りの嬢も感づきますね」
ということは、やはり自分からではなく誘拐。語り部こと理逸たちが相談に来ていた件なのだろうと李娜はひとりうなずく。
と、そこで沈黙している欣怡から話をしたいような色を──この自分がそういう表現を使うのは皮肉のように受け取られがちだ──感じた。
李娜は顔を向ける。見えていないのだから意味はないのだが、そうして「意識している」ことを向けるかどうかというノンバーバルコミュニケーションがもたらすものの大きさを彼女は熟知している。
欣怡は、静かに語った。
「楼主。ひとまず所用で円藤とスミレちゃんは席を外しましたが。さっきの棚部何某の素性や資料について資料室を案内してもらうことはできますか?」
「付き添いがいれば構わないけれど、どうかしたの?」
「まーその。もっとも新しい被害者にはほかの被害者との共通項がないものかと確認したくて」
「そう。あなたがたから聞く限りの情報からは共通点を感じませんけれど、念のためということならいいわ」
「ありがとうございます」
返答に強張りはない。
怯みや臆した様子もない。
けれどそれは、じつのところこの部屋に来た最初からそうだった。
口調こそいまと異なり乱れていたが、芯の方では声帯の震えも御しきっていた。横隔膜の制御で「わざと」震え声にしていたにすぎない。
理逸や周囲の人間はそう感じていないようだったが、こればかりは李娜が見えないからこそ見えているものだろう。
(彼女の素振りは結局のところ、緊張も安堵も震えもすべて『私以外の』周りに見せるためのものだったというのに)
指摘することが好転につながるわけでもなかったので秘していたが……彼女は、欣怡は李娜との対面を嫌ってはいるが、恐れてはいなかった。最初からそれを感じていたので、李娜はあえて「かつてここを蹴った」ことに対するわだかまりがないフリをしていたのだ。
肚の内と異なる表情を見せる理由。
それが気にかかり、李娜は最後の最後、ここにきて、一瞬だけ欣怡に揺さぶりをかけた。
「ところで、楊欣怡。ひとりこうして抜けてしまったのだけど、穴埋めに入る気はない?」
「……どーいう意味です?」
「百合のシフトで入ってくれないかしら。
「暇じゃないんですけど」
「でも急な頭数の減少が面倒を招くことくらいはご存じでしょう? ご経験とご記憶があるはず」
過去の不義理について、貸しをちらつかせる。
欣怡の態度が、今度こそは演技などではなく実際に、非常に険悪なものになる空気を感じた。
「冗談でしょう。合う合わないというのは水物だとしても私には生涯合わない水です。でーは受付の男の人。資料室に案内お願いしますね」
立ち上がり、欣怡はエレベーターへ向かう。
「あ、ああ。資料室は
空気の悪さから逃げたがった幾野が彼女を追っていく。横のソファで、拘束されたままの加賀田の首の関節がこきりと鳴る。部屋をあとにする二人を見ているのだろう。
疑問そうに、加賀田から眉根をひくつかせた動きの音がした。
「なあキミぃ」
ボタンを押して鉄の箱が浮上してくるのを待つ欣怡に、加賀田は話しかけた。
いかにも面倒くさそうな0.5秒の間の開け方を取り、欣怡は振り返るかかとの摩擦音を絨毯の上に転がす。
「なんです」
「教えてほしいのだがね。このフロアに資料室がない、と知っていたのか?」
「はぁ?」
「ここは最上階で楼主の居室もある。ほかのスペースへつづく廊下もあろうというのに、資料室は下層にあると判断したのだよな? キミは」
顎でしゃくるようにして、加賀田はエレベータへ近づいていた彼女の反応をうかがう。
すれば彼女は鼻で笑った。
「あーは。あなたとすれ違って下に降りた私は嗅ぎまわっていたんですよ。怪しいものとか動向の証拠探しに。そのとき倉庫も見かけたわけです」
「なるほどな。で、その探索のあいだになにか見つけたりはしなかったのかね?」
「食い下がりますねぇ。見たところあなた有力な容疑者ってトコでしょ? 自分の潔白を証明したくてしょうがなくてこちらに罪をなすりつけようとしてません?」
「無論その通りなのだぜ。しかしだねぇキミ、私としてもそうするに至る確信の理由というのはあってだね」
「なんですか」
「あの異邦の少女がキミの再出現からずっと、委縮していた」
その指摘は李娜にもうなずけるものだった。
てっきり状況が転がりだしたことへの緊張かと思っていたが、もしあれが、その時点で欣怡が怪しいと判断した上でのものだったなら。
「ひょっとしてキミ、この楼閣へ探索の途中でなにか仕掛けたのではないかね? あるいはいまから、資料室にて仕掛けるつもり、とか」
「なにを根拠に」
「さあ? とりあえずあてずっぽうでなにか当たればいいと思っているだけなのでね。無根拠そのものではあるのだが」
「ばかばかしいですねぇ」
「しかしキミさっきから切り返しが短文になって口数が減ってるじゃぁないか」
「付き合いきれないというだけですよ。もうエレベータ来たので行っていいですか」
「じゃあ最後に、手持ちのものをあらためさせて欲しいのだぜ。怪しいモノを所持していないかどうかを、ね」
くつくつと笑って加賀田は言う。
……理逸たちの話から察するにこの男は尋問のエキスパートでありその類のプライアにもめざめている(そして自分を術中にハメた)そうだが、うなずける会話内容だった。ひとつふたつ、事実確認で本人に認めさせていくなかで決定的な答えへの分岐を絞り込んでいった手管。
欣怡は答えない。
身じろぎして重心が傾いた。
ショートパンツの左のポケットをわずかに引いて、加賀田と李娜から遠ざけようとする意識が感じられた。
「…………あーあ。穏便に済ませられたらよかったんですけど」
かかとが絨毯を
同時に加速した手刀が彼女の横合いにいた幾野の後頭部を払った。
がくんと膝から崩れ落ちる。彼の意識は遠く彼方へ。
両手首をぷらぷらとさせながら、欣怡は間合いを詰めてきた。彼女の後ろで開いていたエレベータのドアが閉まり、逆光が失われる。
薄闇を表情に纏った彼女は、さも面倒くさそうに李娜と加賀田を交互に見る首の動きを音として表した。
「さーて。どっちからにする?」
「私は客だから店の人間のあとにしてもらうのが筋というものだろう。あと、眼鏡が飛ぶと困る。外しておいてくれるかね」
「なーんか罠っぽいしイラっとしたからそっちからにしよー」
「藪蛇か」
加賀田はあきらめたように舌を出す。眼鏡を外し裸眼で目を合わせることがプライアの発動条件だったのかもしれない。
すたすたと、欣怡がローテーブルがあった位置まで移動する。指先をそろえて伸ばした右掌を振り上げる、肩関節の巡る音がした。
昏倒必至の一撃が見舞われようとする。
そのとき、
加賀田の後方にあった、飾り窓を──破砕する音が、室内のほかの音すべてを蹂躙し薙ぎ払った。
ついでジャリリリとガラス片を踏み砕きながら絨毯の上を滑る音。着地の衝撃は重たい。けれど巨漢が飛び込んできたわけでもない。
輪郭だけを捉えられる李娜の視界に、立ち上がる姿。
「スミレ、怪我してねぇか」
「気遣ぅくらいならもぅ少し入り方考ぇてもらぇます?」
言い合いをしながら、スミレを背負った理逸が入室した。
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