Worth working (3)


 裸一貫、得物を持ち込めない風呂場は外に漏らしたくない話の場となることも多い。

 が、このように騙し討ちで現れることは稀だ。

 人払いを済ませたのか、理逸と安東のほか人影は遠い。

 だからといって、ここで急に襲いかかってくるような真似はしない──それは理解しているのだが、互いに能力保有者プライアホルダー。無手であろうとすでに相互の射程内だという事実が反射的に警戒させる。

 とはいえ、こういう時に考えすぎても仕方がない。開き直った理逸も腕組みして、安東と対峙した。


「早すぎないか。前の水泥棒からまだ一ヶ月も経ってないんだぞ」

「でも実際雨なんざ降ってねぇよね。水源地の方も似たような天候らしいし、そうなりゃここが渇水に見舞われるのも時間の問題さ」

「『外』の奴からの情報か?」

「ソイツぁまだ切るべき札じゃねぇな、使える回数限られてっからよ。まあ今回は、別口だ」


 ふてぶてしい笑みと共に情報の出どころは秘匿する。こういう時にへたに探りを入れようとすると、精神的にガードが下がったところに向こうからカウンターの探りを食らうことが多い。理逸はあまり踏み込まないことにした。

 倒れた高速道路の壁に南北を阻まれ東西は放逐された廃墟群、という南古野において。上級市民の住む壁向こう──新市街しんしがいと呼ばれる、カルキ臭いほどに病的な清潔さに満たされたあちら側を『外』と呼ぶ。

『外』の人間からの信用できる情報は、どの組織にとっても虎の子、命綱なのだ。


「ともあれ、その筋からの話じゃ猶予はあと七日だそうだ。もう《沟》の連中にも伝えてあるがね」

「タダで伝えるわけないだろ、笹倉組おまえたちが」

「無論駆け引きはしてるさ。でも俺と円藤君の仲だからね、今日のトコは早めに伝えといてあげようと思ったワケだぜ」

「胡散臭ぇ」

「だとしても事実は事実だ。断水がくるとあっちゃぁ、準備しないとならねぇよね」

「なんだ。今回はあんたのとこで水泥棒請け負ってくれんのか、安東さん」

「馬鹿言っちゃいけねぇな……そこは三頭会議の結果次第だろうがよ。しかし、『事前準備マエオキ』は持ち回り制ってわかってんだろ? 今回はお前ら、《南古野安全組合》の番だぜ」


 不用意に近づきすぎないよう、弧を描いて理逸の左側へ回り込みながら安東は首をすくめる。鍛えられた僧帽筋から首筋までが隆起していた。理逸の横を通り過ぎながら言う。


「水泥棒の最中は、過去に交わした約定により俺たちァ『水道局の警備兵どもを殺せない』」


 それは半世紀前の災害以降、生き残ったこの統治区ドミニオンにおけるルールだ。

 しかしルールである以上、穴が存在する。事前準備とはそのことだ。


「……俺は、やらない」


 その事前準備について、理逸は首を横に振った。

 安東は理逸の斜め後ろで足を止め、さぞ面白そうに笑う。


「まだ言ってんのソレ? まあこないだウチの店に転がり込んできたブタも結局自分じゃ死留めてねぇから、そう言うだろうとは思ったけどよ」

「俺は殺しはしねぇ」


 揶揄するような安東の物言いにも、頑として突きつける。

 ……『事前準備』とは、そういうことだ。

 水泥棒の最中に警備兵を殺害するとペナルティを食らい、南古野に流れる十二のパイプラインのうちひとつは強制閉鎖される。

 この操作は壁の向こうから行われるため、いくら地下で奮闘しようとどうにもならない。そして渇水の折にひとつパイプラインが欠ければ、その地区ではほぼ間違いなく死者が出る。場合によっては解放されたパイプラインの地区と争いになる。


 しかしペナルティは『水泥棒の最中に警備兵を殺すと』食らうのだ。

 勝負がはじまる前の殺害は、捜査こそされるが水泥棒とは関係しない。そして南古野市内において三組織の後ろ盾がない捜査など、盗人の家で盗品の在処を訊くようなものだ。

 だから当番になった組織の者が、水泥棒開始直前に詰所に張りこむなり『外』に踏み出したりして警備兵を殺害、決行日に配置される人員を減らす。

 ある意味、警備兵はあの地下空間に居るときの方が安全とさえ言えるのだ。


「やらないってんならいいけどねそれも。でもさ、鬱陶しい警備兵どもをぶっ殺してやりたいとか思わねえの、円藤君」

「殺されそうになった時はそう思うけどな。でもそれ以外の時は……誰だろうと殺さないと決めた、その気持ちの方が強い」

「『殺せない』の間違いだろ」


 安東は鋭く突きさしてくるが、理逸はなにも言い返さなかった。

 仲裁人の仕事も含めて理逸は殺害には関わらない。これは決めたことであり、それ故にほかの何事にも優先する。だからこそ、『殺してはならない』水泥棒にも向いていると考えている。

 ここが自分の進んで果てる道だと。


「で、あんたわざわざ水泥棒が近づいてるってことを教えに来てくれただけかよ」

「まさか。俺としちゃひとつ訊きたいことがあったんだよ」

「なんだ」

「この前連れてたガキ、漂着者か?」

「ああ」

「そうかそうか」


 つづきの問いが来ると思ったが、それだけでなにも言わなかった。

 確認を取りたかっただけで、すでに裏取りが出来ている。そういう空気を感じる。

 南古野のなかでスミレが動き回った形跡・経歴については安全組合で洗っている。その結果、どうやら機構運用者であることは知られていないと判断できたが……しかし情報というのは、どこから漏れるものかわからない。

 理逸たちが洗った経歴よりも前。密航してきた船舶モーヴ号の人間か、はたまたそれ以前の郷里にいた頃の彼女を知る者か。いずれかに安東が接触したものと思われた。


「……もう話がないなら俺はそろそろ上がる」

「つれねぇこと言うじゃないの。ああ、なんだ。あのガキが心配?」

「べつにそういうことはねぇよ」

「ホントか? まあでも気をつけなよ円藤君。人さらいがまた多くなってるらしいからな」


 含みのあることを言う安東を理逸はにらみつけようとした。だが結局は、その手間も惜しんで、長いサウナ風呂のなかをひたすら戻っていく。

 脱衣所前で一杯の手桶水をかぶり汗を流して、髪を拭くのもそこそこに衣服を纏うと表へ出る。

 女性用の風呂前にスミレの姿はない。舌打ちして、内ポケットに仕込んだ水道免税券を出す。手近なところにいた女に握らせた。


「……なに? アタシ仕事ウリ終わったとこなんだけど」

「中を見てきて銀髪に紫の眼をしたガキに帰ってこいと伝えてくれ。いなかったらそれもすぐ教えろ。戻ってきたらもう一枚やる。俺は《安全組合》・三番の円藤だ」


 矢継ぎ早の要請に胡散臭そうな目をしながら、けれど最後に念押しした名が効いたのかハイハイと女は暖簾をめくっていこうとする。

 と、出てくる影とぶつかりそうになって女は足を止めた。出てきた人影はうねり癖のついた黒髪と首にかけたタオルを、大きな胸元に垂らし揺らしている。

 黒のチューブトップにホットパンツを穿いて、かかとを潰したぼろいスニーカーを履いた楊欣怡は下まぶたを少し持ち上げるようにして目を半月型に変え、ころころと笑う。


「おーや。円藤じゃん。なに女湯突撃しようとしてるの」

「欣怡……お前、うちの小せぇの見てないか」

「だれが『小さぃの』ですか、だれが」


 欣怡の後ろから棘のある声がして、ひょこりと見慣れた銀髪が出てくる。肉付きの良い欣怡を見た後だと余計に細く見える体躯にいつものベアトップワンピースを纏い、じとっとした目でスミレは理逸を見上げた。


「……安全組合うちの人間のなかで見りゃ、相対的に小せぇのはたしかだろ」

「相対的などとぃう難しぃ言葉を知ってぃたのですね」

「小馬鹿にしやがって。まあいい、無事だったなら」


 一応、安堵のため息。

 するとちょいちょいと、横合いから袖を引っ張られる。


「あのさアンタ。探してたコ、戻ってきたんでしょ。約束の、ちょうだいよ」

「わかってる。やるよ」


 女にもう一枚握らせると、へっと笑って礼も言わずに湯の方へ立ち去る。とんだ出費だ。

 二度目のため息をついているとにまにま、見なくても表情が手に取るようにわかる女が視界の端でうろちょろしている。


「なーに円藤。女買ってたんだ? スミレちゃんとずっと一緒だから処理も出来ずにひょっとして結構溜まってる?」

「うるせぇぞ欣怡この食い意地汚い駄肉女。さっさとこないだの、惣菜を返せ」

「やーよ。部屋のなかのものは押し入れにしまってなきゃ共有物って知ってるでしょ」

「だとしても限度があんだろ。お前は取られて困るもんねぇのか」

「私はちゃんと大事なものは押し入れに閉まってるから。畳の上に転がしてるとしたら自分の身体くらい?」

「そんなに売りてぇなら李娜リーナーに紹介してやる」

「あーね……。あの人のとこに関わるのはちょっと。勘弁してほしいんだよね」


 理逸の知り合いである楼主の名を出すと、苦い顔つきになって拒否する。過去になにかあったのか、基本的にこわいものナシのこの欣怡がおそれる数少ない相手のひとりが李娜だった。


「そんで、なんだ。お前がスミレと一緒に居たのか」


 視線を向けると、スミレが嘆息しながら理逸の側に寄ってきた。


「……この方と一緒にぃると非常に疲れます」

「……それには全面的に同意する」

「わーお。ひどいこと言うよね二人とも」


 日頃の行いの賜物だ、などと言っても響かないことは重々承知しているため理逸もスミレもなにも言わない。面倒なのでさっきは言わなかったが、惣菜の件のあとに蛇口や麻袋も借りたままパクられており早いところこれらも取り返そうと思っているのだった。


「女子二人でかしましいトークにでも花咲かせてたか?」

「あーは。花だなんて贅沢品はロハの話に咲かないよこんな時代じゃ。もう円藤も聞いてるのと同じ内容を私からもこの子に伝えてるっていうただそれだけ」

「安東の言ってた件か……なぁ、笹倉の連中はどっから情報得たんだ? ロハで俺やお前らに教えるような奴らじゃねぇだろ」

「たぶん『外』の単発でしか使えないルートだったんじゃない? それで私たちに深読みさせて別口の安定した情報ルートの存在を勘繰らせるとか。そういう用途でこっちの行動コストを削るのが常だよね安東君のやり口だと」


 だらしない表情をしたままで欣怡はさらりと推測を述べた。

 抜けたところも多く普段の生活態度など目に余るところが多いが、それでも《沟》の運搬人ポーターとして名乗り動くことを許されている身だ。なんのかんの言ってもこういう時の推測はさすがに年季を感じさせる。彼女は理逸が安全組合に加入した十六の齢よりも三つも若い時に《沟》に加入して六年の歳月を乗り越えているベテランだ。


「なるほどな。使い捨てのルートだからそういう使い方をすると」

「あーれ? もしかしてその程度の読みも出来てなかった? 円藤もそろそろ安東君の考え方覚えた方がいいよ。あの人は基本的に真実半分ウソ半分の情報しか撒かないんだから」

「わかってるよ……しかも発言の全部を覚えていて、相手が真の部分に反応したかウソの部分に反応したかでその後の行動選択を決める。だろ」

「わかってるならいいけど」


 どこまでも食えない男、油断ならない極道があの安東という男だ。そこの認識については欣怡と理逸の間で共有しており、また共闘の経験もあるためほかの《沟》の連中よりは多少、理逸は信を置いている。向こうも似たようなところだろう。


「ともあれここから、水泥棒の会議がはじまる。とぃうことですょね」


 スミレがそう言ったところで、男女それぞれの湯から少しずつ、疑問や不満の声があがりはじめる。

 先ほど安東と話していた折にも予兆はあったが、スチームの噴出量が落ちてきていた。

 水の使用量に制限が掛かってきている。

 南古野のすべてが、新市街との戦いに向いていく。


「……制水式の、開幕だな」

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