Worth working (4)

 水の使用制限がかかると、途端に暮らしは窮屈になる。


「止まったか」

「そのょうです」


 理逸とスミレは押し入れに詰め込んでいた瓶やバケツに可能な限り水を詰めたが、水道はぴたりと止まるとそれきり一滴も出てこなかった。理逸たちが帰宅してからややあって、二十時ごろのことである。

 窓を開けても、街は暗く静かになっている。

 無駄な水が使えないということは余計な汗もかけないということ。生活を極力、体力の温存方面に向けなくてはならない。

 パイプラインの閉鎖が起きた当日はいつもこうだ。夜の街も普段のナリをひそめ、いっときは落ち着いた生活を取り戻す。まあ、日にちが経つと諦めや慣れを含んだ空気が流れはじめ、賑わいを取り戻していくのだが。


「わーは。二人とも悪かったね蛇口の取っ手借りちゃってて」


 横でこの貯水作業を見ていた欣怡が大して悪びれもせず笑っているので、理逸は思い切りにらみつけながら返す。


「まったくだ。お前のとこの水注いでるあいだこっちは貯められなかったんだからな、もし水切らしたら、よこせよ」

「とぃうかそもそも、なぜ取っ手をぅしなってぃるのですか……」

「借りてたお金のカタに持っていかれたんだよね」

「お前、俺からも免税券二枚分借りてるからな」

「げ……ここでそんなことを言うなんてひとが悪いよ円藤は。忘れてなかったにしてもせめて口にするタイミングは遅らせるべきだと思うね」

「なんで借りてた分際でえっらそうに文句言えるんだお前はよ」


 図々しいにもほどがあるこの隣人に塩でも撒いて追い返したいところだが、めんどくさいことにいまは制水式が迫っている。


 欣怡が《沟》所属で他組織とはいえ、情報元の《笹倉組》とは彼女らにとっても理逸たち《南古野安全組合》にとっても動向をつかみたい相手だ。組織人員としての招集がかかり互いに組員としての立場が明確になるまでは、情報交換といきたいところだった。その程度には関係性を保って今日までを過ごしている。


 理逸が畳んで隅に置いていた布団に腰を下ろすと、スミレと欣怡もそれにつづいて座布団に尻を載せた。裸電球ひとつの薄暗い部屋で、密談をはじめる。


「で、欣怡。お前が情報を聞いたのも安東からなんだよな」

「あーね。なーんかイイ情報筋をつかんでるのかな安東君。ここのところ動きが活発な気がする」

「どれくらいだ?」

「それって活発度を指して? それとも活動期間を指して?」

「両方。順を追ってくれ」

「順を追うならここ一週間か十日くらいの期間だね。活発度で言うなら普段は人任せで動き回らない地区をも自分の足で歩いてる」

「普段ぃかなぃ地区の、『風俗店を』でしょぅか」

「んーふ? 円藤とちがって明確に指してくるよねスミレちゃんは。ご明察だよ私から打钩正解あげちゃうね」

「見ヶ〆料をせしめて回ってたときのことを言ってるのか?」


 理逸がスミレに水を向けると、彼女はわかりやすく嫌そうな顔をして口の動きだけで『余計なこと言ゎなぃでください』と示した。どうやら探りを入れていたらしい。

 欣怡は座布団にあぐらをかいて身体を前後に揺すりつつ、半目でにやっとしながらつぶやく。


「そうだね円藤の言う通りだよ。安東君はどうも見ヶ〆料の回収にいそしんでいるみたいだね」

「ゃはりですか。先日リィチと一緒に店の中でぉ逢いした際にも、次がぁるからと急ぃでいる様子でしたので」

「へえ忙しくしているわけか」

「おい何度言えばわかる俺の名を呼ぶな」


 顎に手をあてがって身を反らした欣怡と対照的に前かがみに身を乗り出して人差し指を突きつけると、スミレは無言で指をつかんで関節を逆方向に折り曲げようとした。イラっとしたので手首を返して押し込んでくる力を逃がすと、日焼けした畳にドタンと突っ伏すこととなり、スミレはむっとしていた。


「ていうか見ヶ〆回収とかそういうのって基本的には幹部クラスのやるような仕事じゃないはずだけど。なんだろうねスミレちゃん?」

「さぁ。見ヶ〆料の回収で、部下にちょろまかされてぃたですとか。ぁるぃは店側の経営者になにか問題がぁり、自分の眼で確認に迫られてぃたですとか。逃げ込んでいた誰かを追っていたですとか。考ぇられるとしたらそのぁたりでは」

「ふーん? ……まあたしかに考えられなくもない」


 スミレが指折りして考えだしたこの推測に、欣怡は眉と目のあいだを広げながら顎に手をあてがった。

 思い付きで理逸は二人に推測を語ってみる。


「あるいは歩きまわって自分に注意を引き付けてるあいだに、別動隊を動かすってのも考えられるんじゃねぇのか」

「だったら自分のシマである風俗よりもシマとシマの緩衝地帯に姿を現して私ら他組織に『誘いかもしれないけど追わなくちゃいけない』状況に追い込むよね」

「自分を印象付ける動きにしては規模が小さく、他人の目を気にしてぃませんでしたょ。それくらぃはゎかることでしょぅ、実際に会ってぃたのですから」


 ぼこぼこにされた。もう黙っていようと思う。

 窓の外には色の薄い月が低く照っている。あいかわらず雲ひとつなくよく見える。今日は夜の街も静かで光が薄いからか余計に、だ。

 しかし星はあまり見えない。北遮壁ほくしゃへきの向こうにある新市街からの明かりはこういうときでも煌々と空に放たれており、弱い光は掻き消してしまう。

 なにやら情報交換をつづけているふたりを後目に、理逸はそのままぼんやりしつづけた。

 早いところ水泥棒として動きたいものだ、と思った。

 死と隣り合わせの場所なのにそう思った。

 いつも想っていた。


        #


 昼になる前、理逸はノックで起こされた。この街でノックなどというおとなしい訪問の仕方をしてくるのは、仕事関係の相手だけである。


「よう、《轢き役》か」

「『《飛脚》だバカ。その呼び方やめろ」


 安全組合所属・飛脚メッセンジャーの男は生来の体質なのかこの街の貧民層に似つかわしくない、大柄で肉厚な男だった。

 異様な脚の速さとパルクールの腕前を深々に買われて飛脚など名乗っているのだが、速すぎて何度か曲がり角で衝突事故を起こしておりしかも撥ね飛ばして当人はそのまま駆け抜けていく(仕事中なので当然ともいえるが)ので轢き逃げ犯、轢殺魔、市中轢き回しなどと呼ばれたあげく、定着したのが《轢き役》だ。

 飛脚はショルダーポーチからむんずと取り出した封筒を理逸の胸元に押し付けてきた。


「じゃあたしかに渡したからな、《蜻蛉(トンボ)》」

「俺もその呼ばれ方気に入ってねぇんだよ」

「だったら他人の気持ちわかれバカ」


 封筒で一閃、頭を真上からはたかれたが甘んじて受けた。寝ぼけ気味だった頭がはっきりする。

 見ればもう飛脚は二階の手すりを無造作に踏みしめており、とんと軽く一歩踏み出して近くの電柱の側面に突き出した昇降用取っ手を伸ばした手でつかんだ。

 腕を畳んで身体を引き寄せ、片手でぶら下がりながらブランコのように勢いづけて道向こうの家の軒先にぽーんと身体を飛ばす。そこも飛び石のごとく一歩足を置くだけのスペースとして、塀の上やら物置の上やらを経由してあっというまに姿を消す。


「いつ見てもプライア無しとは思えねえ動きだ」


 見ただけでラーニングは少なくとも絶対無理な技だ。引き寄せのプライアを持つ理逸でも難しい。

 しかし通信機器などという気の利いたもののほとんどが第一災害太陽嵐で破損したこの時代、速い連絡手段がこうして人力に落ち着いているのは笑えない話だ。

 運搬手段の一端を担う欣怡も、運ぶのがメッセージか荷物かのちがいで飛脚と大した差はない。ちなみに彼女のあだ名は《顺风耳シュゥフェンァ》、なぜか『早耳』だ。仕事があれば自分はどこからともなく聞きつけてくるからだ、と酒が入ったときに冗談めかして語っていたが。真実は不明である。


「おい欣怡、起きろ」

「……んー? もう朝?」

「昼近いな。俺の方にはもう深々さんから通達がきた」


 封筒を見せると、欣怡も目の色を深くした。

 慣れあいのモードはここまでということだ。理逸と欣怡は直接的に害を与えあう、争い合う関係ではないものの必要になれば敵対する立場である。

 朝方までスミレといろいろ話していたせいでさっきまで寝ていた欣怡は、けれど眠気のかけらもなさそうな顔で「着替えてくる」と言って自室に戻る。その声がきっかけになったか、スミレも目を覚ました。


「ぉはょうござぃます」

「ああ。ついさっき、深々さんから連絡入ったぞ」

「連絡……つぃに水泥棒ですか」

「そうなるな」

「前回の、ぁなたと地下で出会ったときのょうすからして。幹部連中が地下にもぐりパィプラインを解放するのですょね」

「《七ツ道具》はそのための幹部だからな。といっても、俺らがやるかはこのあとの三頭会議でどこの組織が水泥棒を請け負うことになるか次第だが」


 このあたりは組織間での駆け引きになってくる。だから、以降は欣怡とも接触しない。互いの組織に対しての立場を護りつつ情報交換ができるのは、水泥棒の実施が正式に告知されるまでの間だ。

 誰もが寝首を搔き合う場である。が、南古野はそういう街だからこそ、乱立しては崩壊していった統治区ドミニオンのなかで生き残ってきたのかもしれない。


「実際に今回も《安全組合》が水泥棒に出ることになれば、お前にも手伝ってもらうことになる」

「前線で、ですか?」

「この先、南古野の動乱にお前が巻き込まれる可能性は高い。いまから戦闘経験を積んで、役に立つようになれ……ってのが深々さんの考えだろうな」


 ここまで二週間少々、理逸の仲裁人の仕事を手伝いながら機構運用者デバイスドライバであることを露見させずに働いてきている。

 おそらくはもう一歩踏み込んで、警備兵への手出しが可能というところまで持っていきたいのが組織の長としての深々の判断だ。

 この話を聞いても、スミレは平然としていた。


「ゎかりました」

「……ホントにわかってんのか? 戦えって言われてるんだが」

「聞き直しなどとぃう無駄な手順は省ぃてぃただきたぃですね。使ゎれることには慣れてぃますし、」


 言葉を切って、視線を窓の向こうにやる。建物に阻まれていて見えないが、その方向には希望街があった。


「彼らの暮らしの、たすけに成れるのでぁれば。構ぃません」

「……そうか」


 ならば皆まで言うまい、と理逸は部屋のなかへ戻る。

 黒のハイネックシャツの七分袖を引き伸ばし、ハーフフィンガーグローブを嵌める。動きやすいカーゴパンツの各ポケットに道具の仕込みを成し、地下足袋を履いた。

 ゴーグルを首に提げ、最後に頭髪には工業用ジェルをまぶして前髪をかきあげた。

 いつもの装備に変えて、理逸はスミレに促す。身に帯びた機構以外使わない彼女は、とくに服装を整えることもなく「はい」と近づいてくる。

 隣室からは、音もなく気配が消えていた。欣怡も自身の組織のため動き始めたのだろう。

 ドアを開けて外に出る。飛脚を迎えたときにも感じたが、熱気が肌を包む。

 心なし水気が失われたように思える外気のなかを。

 理逸は事務所に向けて歩み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る