Wrong way (3)


 近くにあった廃材のボックスに腰かけてトジョウの授業終了を待つあいだ、スミレはそわ、とたまに空を見上げていた。

 膝に頬杖つきながらその様を見ていた理逸は、彼女の内心を推測してみる。


「空が破れて急に雨降るんじゃないかって、そんな心配したツラだな」

「杞憂の語源になぞらぇるとは、少しは学がぁるところを披露したぃよぅですね」

「んあ? 語源?」

「……知らなぃのですね。たまたま言動が、状況に即してぃただけですか」


 理逸は単に、先のタープの破れを思い出しながら口にしただけだったのだが。どうやら似たような状況を指す故事成語かなにかがあるらしい。雨にまつわる語なのか、と考えつつ理逸は言葉を継ぐ。


「お前、日邦の土地に来てから雨を迎えたのはじめてか」


 言ってから、先のずぶ濡れの件を思い出してしまい「まだ触れるのはまずかったか」とスミレの顔を横目で見る理逸。

 けれど彼女は気に留めていないのか、真顔のままふるふると首を横に振った。


「そぅですね。モーヴ号でこの海域に来て、雨を見たのは初です。ぁあも、ゃかましく短ぃ雨だとは思ぃもしませんでした」

「むかしはこの土地にもいろんな雨があったらしいけどな。もっと穏やかに長くつづく雨だの、凍てつく雨だの、季節を指す雨だの……いまは雨ったらほぼアレのことしか指さないが、かつてはああいうの『下略ゲリャク豪雨』とか呼んだそうだ」

「げりゃく」

「意味は知らねえ。前触れもなく後も略したように一瞬の雨だから、とかじゃねえか」


 てきとうな理逸の推測に、うなずきも訂正もしないあたりこの名称への正しい知識はスミレも持ち合わせていないらしい。彼女の知ることには偏りがあるというか、知識同士の距離が空いているような、そんな印象があった。


「ともあれ、もう降ってこねえよ。雨は稀だ」

「そぅですか」

「……なんだ、まだ気がかりなことあるのか? 周囲見回してるけど」


 首を動かして、ではないが視線だけあちこちに走らせていたので指摘する。

 スミレは行動を見とがめられたかのようにむっとして視線の動きを一点に留めた。


「別になにかぁるゎけでは。ただ、二点ほど」

「あるんじゃねぇか」

「まず一点目。見られてぃる気配がします」


 まぜっかえしを無視して、神経をとがらせた風に言った。

「ああそれか」と努めて軽く扱うように声をかけ、理逸は腰かけたまま指で三方向を順番に示す。

 動きにつられてスミレが目をやった。その先には2nADと思しき青年、風体から笹倉の関係と思われる老爺、沟の関係と思われる中年女と所属もばらばらな人物が居た。理逸に気取られていると知ると、すごすごと顔をうつむかせたり曲がり角へ去ったりする。

 見られているとわかっても方向などまで感知する能力はないらしいスミレは、この三者の動きを見て驚いていた。


「こないだ、お前のことを正式に安全組合メンバーとして……しかも近いうちに指揮系統の上層に組み込む旨まで説明したろ。今後の組織間のパワーバランスに関わる人物として、各派閥の連中が見に来てんのさ」

「品定めをされてぃる、と」

「そこまで仰々しいもんじゃねえ。単に顔を覚えに来てるだけだ」


 ここでも理逸はわざとあくびをかましつつ、大したことではないと振る舞った。警戒しはじめているスミレの空気をやわらげなくてはいけないからだ。

 スミレも、いまや理逸の『三番』のように役職持ちとなる予定である。これまでは『多少頭脳や能力のある、安全組合傘下の一般的な組合員』、という色が強かったが立場ある身となれば内外の見方は変わる。どっしり構えていない役職者は、内部を不安にさせ外部の気を引いてしまう。なるべく彼女には硬すぎない態度で生活してほしかった。

 ゆるんだ様で、かつ気にしすぎないように仕向ける理逸の言葉選びが効いてきたか、次第にスミレは周りへの過度な警戒をやめた。もともと気を張っている空気が強いので、そこは変わらないけれど。


「で、二点目はなんだ?」

「……ハシモトたちは、無事でしょぅか」


 声音に、べつの硬さが宿る。

 子どもの失踪と聞いてからずっと、こちらの方が気になっていたのだろうが、あえて後に回したのだなと思われた。


「無事だよ。ツァオもマオもハシモトもミヒロも」


 安心させてやるため、すぐにそう返した。

 スミレは「そぅですか」と気のない素振りだったが、声のトーン変化はわかりやすかった。なんだかそれがおかしく、茶化すように言う。


「つーか、なんかあったらすぐ伝えてるに決まってるだろ。俺が言わないとでも思ったか?」

「……配慮から、伝ぇる機を考ぇてくれるかもとは……」

「あー。まぁそれは。そういう時だと、あるかもしれねぇな」

「気を遣ぅ性分は、ぁなたの数少なぃ長所でしょぅから。そこくらぃは、認めてぁげてぃます。まぁむしろ空回ってぃたり余計な思いゃりになってぃたりすることの方が多ぃですが」

「一褒めたら二貶すくらいのそのテンポ感やめろよな」


 益体もない会話を交わす二人だった。ちなみに、ハシモトたちの無事はトジョウ経由で知らされている。彼らもこの教室で学んでいるときがあるため、動向はトジョウがよく把握していた。

 やがて、机と椅子を通りの端へ片付けたトジョウがやってくる。子どももみなそれぞれの居場所──職場かもしれない──へ散って、さっきまでの教室風景はさっぱり消失していた。しかし片付けも手伝うあたり、生徒たちはまじめである。これもトジョウの薫陶のたまものか。


「お待たせしました円藤君。依頼の件、食事をとりながらでも構いませんか?」

「もちろん」


 立ち上がった理逸はうなずき、スミレに目配せする。彼女は首肯の代わりに「ぉ店は決まってぃるのですか」と問いかけた。


        #


 昼なので京白ジンバイ市場はまだ開店前だ。トジョウは落書きグラフィティの多い壁に囲まれた通りをすいすいと抜けて、縦長の看板で『安生堂』と飯屋らしからぬ名前が下がっているだけの店に入った。

 細長い店の奥、こちらの顔を見ただけで「なんだ、先生か」と口にした店主の男は聴いていたラジオのボリュームを絞って、手にしていた中身も紙も質が悪いカストリ雑誌を机に投げる。前掛けのエプロンで雑誌から指先に付いた塗料をぬぐいつつ厨房に入り、「いつもの?」とだけ訊いた。トジョウはうなずいた。三人で席に着く。


「きみたちも食事にしますか?」

「そうしようかな。先生の、『いつもの』って?」

朝告鳥チョウコクチョウの揚げ定食です」

「じゃあ俺もそれで。お前は」

「ゎたしもそれで構ぃません」


 あとふたつ、とトジョウが店主に頼む。禿げ上がった頭の店主は眉のない顔であいよ、と言い、調理道具を手にしていた。

 トジョウは勝手知ったる、という印象で厨房前にある木製の棚の前に行き、自分の取り置きなのだろう酒瓶を掲げて店主に見せると戻ってきた。

 つんとした焼酎のにおいが、注がれたグラスから漂う。


「ぉ酒ですか」


 スミレには別段、昼から飲むことを咎めるニュアンスはなかったのだろうが、子どもを相手する日常を送るからかそこに非難の色でも感じたか。いやはや、とトジョウは申し訳なさそうに笑って水割りを口にした。


「すみません。飲まないと私は、眠れない体質なのです」

「眠る?」


 今度は「昼から?」のニュアンスが明確に含まれた。

 理逸は横から説明を入れる。


「先生は生産活動プラントの夜勤なんだ。昼に寝て夜から入り朝に出る。それからああして、生徒に教えてる。んで睡眠とったらまた夜から勤務だ」

「教える生徒が夜の方が都合良いときは、そちらに合わせて昼勤務にするのですが。いまは朝に手が空いている子の方が多いのですよ。実際、円藤君が教え子だったころは夜の講義でしたね」

「俺が、朝は人数かぞえの仕事あったもんだから……先生には迷惑かけてたな」

「いえ。社会に参画することの方も大事ですからね」

「しかし、そのょうにぉ世話になった相手に、ぁなた随分ぞんざぃな言葉遣ぃですね」


 今度は非難めいている。弁解っぽくなるが、机に頬杖ついて横を向いた理逸は小声で関係性について話した。


「……俺もきちんと敬語使っておきたいんだぞ。本音ではな」

「ぉや。正しく敬語を使ぇる自信があったとはぉどろきですね」

「うるせえ、たしかに正しいかは自信ねぇけど心意気の話だ。……でまぁ、ともかくだ。俺の心情としては、そうであっても。俺が『三番』になったときに先生が言ったんだ」


 言葉を切ると、継いでトジョウが眼鏡を拭きつつ語る。


「私も安全組合傘下の人間ですので。役職者となった円藤君に敬語を使われると、彼が周りに示しがつきません。かつて教える側・教えられる側で上下関係があったことを利して、私が組合内の権勢にからもうとしている……との邪推も生みかねません」

「そんでもしっくりこないから、折衷案として、俺はタメ口かつ先生と呼ぶ。先生は口調……はもともとこの通りだから、いままでと同じく君付けで呼ぶ。そう決めたんだ」

「めんどぅですね。面子だの、示しだの」

「そう言ってバッサリ切りやがるけど、お前だって役職付きになったら同じことだぞ。……あんま言いたくはないが、ハシモトたちとなにも介さず気軽に会うとか、あいつらにお前とタメ口きくような真似はさせられなくなる」

「ゎかってぃますよ。だからそのときは、ハシモトに地下案内の仕事を任せるなど、会合の建前をつくって人の居なぃ場で会ぅよぅにしますのでご心配なく」

「お、おう……そうか……」


 わりと彼女にとっては深刻な問題提起となると思って話したのだが、さらりと対処案まで考えてあることを示されて弱った。

 まったく、抜け目がない。まるで最初からこの立場を得るところまで想定していたかのようだ。そう思って舌を巻き言葉に詰まる理逸を見て、ハ、と半目でため息をつくスミレ。


「……まさかゎたしがその程度のことを考ぇもせず、ミミさんのぉ話を受けたと思ってぃたのですか? ぁきれますね。ぁまりご自身を基準に相手の思考を図ろぅとしなぃほうがょろしぃですょ」

「俺の頭の程度じゃお前の考えは読めねえってか」

「この程度の言ぃ回しくらぃはご理解ぃただけるょうですね、認識を改めます」

「お前のなかでの俺の評価どうなってんだよ」

「出会った当初の評価から考ぇると、ぃまは当初の想定ょりも、遥かに高く評価するょうになってぃます」

「ハードル、めり込ませてんじゃねぇよ」


 出会った当初の、と言いながら真顔で床すれすれを手で払うモーションをしたのでさすがに語気が荒くなる理逸だった。

 と、そんなやり取りを見ていたトジョウがくすくすと笑う。

 ばつが悪くなり、スミレの方へ乗り出しかけていた身をもとに戻す。


「笑わないでくれよ、先生」

「失礼しました。ただ、酒の肴にはもってこいのやり取りでしたよ」

「人に楽しんでもらぅため、この人とゃり取りしてぃるゎけではなぃのですが」

「では、自分が楽しむためでしょうか」

「ちがぃます」


 返しが早くなった。

 一か月少々、暮らしを共にして理逸が見つけた数少ないスミレの癖だ。図星のときほど彼女は返しが早くなる。

 嗜虐心というか、理逸に対し優位をとることを楽しんでいるのだと確信が持ててしまい、なんとも言えない気分になった。うつむく理逸を見てトジョウはまた少し含み笑いを漏らしたので、あれ、なんでこの人も嗜虐的なんだろう、と理逸は己の行動を顧みる。しかしとくに反省点は思いつかなかった。


「いや、すみません。ともあれ、本題に入りましょうか」


 言ってトジョウがグラスを置いたとき、朝告鳥──チキンの揚げ物をメインの皿とした定食が運ばれてきた。

 その鳥に向けて箸を持ちつつ、トジョウはつぶやく。


「お二人は姑獲鳥コカクチョウ、という伝承をご存じですか?」

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