Wrong way (6)

 どの文化圏であっても、祭事というのはひとを集めるものであり共同体において重要なイベントと位置づけられる。

 社会集団の色を示すものであり、よそ者を判別するためのものであり、よそ者を受け入れるためのものであり、倦んだ日常のアレコレを取り去るためのもの。

 そんなイベントのさなかである沟のシマは、排他的ゆえに純度の高い、そんな熱気が満ち満ちていた。


「収穫祭か。そういやそんなのあったっけ」


 領域が沟のものに近づく──視界の端に映り込む簡体字や忠華のそれである左右相称シンメトリの建築デザイン、売られているものの得体の知れなさ、漂う香辛料の匂いといった変化──につれ、普段と異なる場に足を踏み入れていることを理解する。


 沟の人間は、土地と領域を大事にする。

 シマに踏み込んでも物品の毀損のような利害が生じなければ『シマでの出来事』とみなさない笹倉とはそこが大きなちがいで、彼らが民族と血のつながりを大事にして土地を踏み荒らされることを厭うのは南古野に住むなら真っ先に覚えるべき事項のひとつだ。

 もちろん現在も、祭りの準備に沸く人々からの理逸への視線は冷たかった。よそ者は向こうに行け、という空気。

 だがそれ以上に、すっかり風習を忘れていた理逸へのスミレの視線が冷たい。


「この土地にぅまれたぁなたが忘れてぃて、まったくの異邦人でぁるゎたしが覚ぇてぃるとぃうのでは世話なぃです」

「うるせぇなぁ……丰收节日フォンショジィェリイ、つまり収穫祭は、あいつらの共同体のなかでのみ共有される祭事で外部の者が関わることはねぇんだよ。忠華国が現存してたころの原初の祭事はそうでもなかったのかもしれんが、少なくともこの南古野における祭事は、そういうもんだ」

「ふぅん? 大陸から渡ってきて、ここでぃろぃろ変質がぁったとぃうことですか」

「たぶんな。そんで奴らが血を重視する以上は、近い語彙を多用するタイプの2nADでさえも排される。本当に根っから、向こう側の人間以外は関わらねぇもんになってるんだよこの収穫祭は」

「ゅえに自分が知らなかったことにも無理はなぃのだと。そう言ぃたいのですか」

「べつに言い訳のためにだらだら説明したわけじゃねぇんだが」


 辟易しながら理逸は歩く。見れば、そこかしこに吊るされた麦穂の束が多くなっていた。

 この渇水時代、コメをつくるため水を張るなどよほど雨に恵まれた地域でしかできないため、基本的に食を支える炭水化物は麦と雑穀だ。こうした主食を尊びありがたくいただくため祭事をおこなう、というのは異なる血族に属す理逸にもなんとなく理解はできる。

 同時に。

 祭りの準備の賑わいに、「これなら人さらいも紛れ込みやすい」と、冷静で客観的な理解も進めていた。


「祭りで人気ひとけが多いから、普段よりも周りの目と注意が散漫になりやすくなる。ちがうか?」

「トジョウさんの言うところの姑獲鳥グゥフォニヤオ、日邦の語でコカクチョゥでしたか。ぁれを成した連中が、祭りの熱気に乗じたと言ぃたいのです?」

「ああ。笹倉に比べてここのやつらは人身売買に長けてないからな。こうした、人流の多くなったタイミングでなきゃ人の売り買いはしづらいはずだ」

「密入区、密出区は沟の得意分野だったと聞ぃたょうに思ぃますが」

「そりゃ大人かつ自分で出入りの意志がある奴を扱うときだけだ。商品として人間を運び出すなら基本笹倉の方が慣れてるんだよ」


 文字通り商品として『物扱い』できるよう薬漬けにしたり、有毒排気が満ちているときの地下道を無理やり通過させたり、解体バラして手荷物に入れて運んだり。多少の傷みを度外視するなら笹倉はどんな手段でも思いつくし実行する。

 だからむしろ、沟の人間が関与するならそこまでひどいことになっていないはず……という予測のもとに先ほどの「悪い方向に考えすぎるな」という言が理逸から出ていたのだ。

 しかし、彼の言のなかでの子どもを商品扱いする語が気に入らなかったらしい。スミレは顔をしかめて腕組みしていた。


「自分でぇらぶことのできる年齢なら、売る・売られるも選択肢に入って当然でしょぅ。けれどさらゎれたのは、そのょうな判断がつく年齢の者ではぁりません。ぃやな話です」

「だろうな」

実りをThose待てぬ者はwho eatじきにthe種籾にもsprouts手を出しwill soon餓えとeat the災いをseeds招くas well.……子どもを搾取するょうな場は、破滅が近ぃと決まってぃるものです」


 さて、と腕組みしたままでスミレはつづける。彼女が足を止めたので、路地の十字路の真ん中で二人は立ち尽くすこととなる。


「この場の連中は、なにか知ってぃるのでしょぅか」

「あ?」

「『姑獲鳥』をぃまさっき、ゎたしが忠華語で話したでしょぅ。ぁの発音に反応した視線が、二つ三つぁりました」

「沟のシマん中で忠華の語が、それも目立つ容姿のお前から聞こえりゃ反応するもんじゃねぇか?」


 視線の存在には感づいていたので、理逸はそちらを見ないようにしながら軽く返す。スミレは心底じとっとした目で理逸を睨みつけた。その後巡らせた視線で、自分への目が抜けるルートを探っている。


「ァホなのですか。一度気になって反応したとして、その後は忠華の語を発さなぃゎたしにずぅっと目を向けつづけてぃるのは異常でしょぅ。そも、『ゎたし』に注目するのなら、声を発する前からでぁるべきです」

「お前自分の容姿にそんなに自信あったの?」

「本当にァホだったのですね、ぁなた?」

「冗談だよ……安全組合指揮系統に入ったお前に、目を向けないのは妙だってことだろ」


 トジョウと食事をとる前に、スミレに向いていた複数の視線を思い出す。彼女が指揮役に今後就くということで、いま各派閥ではスミレの情報の洗い出しや能力の測定が急務になっているのだ。

 であれば、本来なら沟の領域に入った時点でもっと目が向いていて然るべきということだろう。


「あいつらは最初目を向けないようにしていた。でも忠華の語が急に出たことと、それが姑獲鳥を意味するものだったために思わず見てしまい、そこからは強まった警戒心で注視しつづけている」

「『姑獲鳥』との名称につぃて反応したのは、彼らもぉなじ呼び方をしてぃるからか。そうでぁるならどこからその名称が出たのか。ぁるぃは──彼らが『姑獲鳥』そのものなのか。確かめたほぅがぃいでしょぅね」

「いいでしょうねって気楽に言うけどよ、やるの俺だよな」

「ぁいにくと、もはやゎたしは機構デバイスを使ぇませんので」


 言って、ベアトップワンピースの裾に手を伸ばす。

 ……じつのところ、さっき雨で濡れた際に彼女が裾を引っ張ったのは、下着が透けるのを気にしたことだけが理由ではない。

 右の内腿に手を伸ばしてグリップを握り、

 彼女が銃の存在を周囲に示した。


「それでもぃざとなれば──支援火力去做援護射撃します


 忠華の語で口にし、周囲を牽制する。

 あのときスミレが透けるのを嫌ったのは下着だけではない。太ももに巻き付けて体に沿わせたホルスターを、隠すためだったのだ。

 二連装の亜式拳銃サタスペの存在を匂わせる。とはいえ、これは彼女にとって自己防衛手段をちらつかせ脅しをかけるための道具であり撃つ気がない。

 そも、抗争でもないのに相手のシマで武器を構えるのはご法度だ。だからあくまで最終手段があることを示すだけで、スミレはすぐグリップから手を放す。

 つまり実質理逸はひとりで戦うことになるわけだが、まあこれも支障はない。

 いつものことだ。


「視線、正面からは感じねえ。左右と背後からだけだ。距離がもうかなり近い、どうする」

「ぃまからゎたしを抱ぇて退避すると、相手が飛び道具を持ってぃたときに対応できません。このまま倒してくださぃ」

「了解」


 短くやり取りを成して、理逸は十字路で背後をかえりみる。

 人込みにまぎれているが殺気を隠しきれていない男が、周りとはわずかに異なる歩幅と速度で進み来る。

 この人込みが厄介だった。あまり派手に『引き寄せ』で飛び回るなどすれば自分に害意のない相手も蹴飛ばしてしまう。


(控えめに叩くしか、ねえか)


 だから仕方なく、理逸も一歩ずつ前に出る。速度を少しずつ上げて、行路流の技を使いやすいように。体を勢いに、乗せていく。

 相手は辮髪べんぱつでこそないが、髪を三つ編みにして後ろに流した男だった。ジャージ姿でいかにも労働者風であるが、険しい顔つきに戦闘者の空気が隠せていない。


 間合いが削れていき、

 周りの人間の動きがスローに映り、

 互い、すれちがう──

 瞬間に、仕掛けられた。


 五指を開いた左手がゆるく弧を描いて襲い来る。ぽんと肩に手を置こうとするような自然さとスピードだった。

 しかしその直前、力強く体重を地面に落とす踏み込みがあったのを理逸は見た。ゆったりして見えるが、その左手は十分に威力の乗った打撃であった。

 とっさに右足を軸に左半身を引き、その掌撃をいなす。

 目標地点を過ぎた左手は、揃えた指先で豆でもつまむかのように形を転じ、一気に真横への振り薙ぎに変化した。手首から手の甲にかけての部位を叩きつける技である。

 側頭部めがけて下から正確に狙う一撃を、理逸は頭を下げて避ける。そのときには右拳の用意ができていた。

 歩いてきた速度と踏み出した右足からの力を伝え、手の甲を下に向けた《白撃》の拳を繰り出す。

 喉元に突き刺す一撃で昏倒させ、頭を上げて姿勢を正しながらもまだ理逸は止まらない。つづく右側からの接敵を即座に迎え撃った。


 指先を地と水平に伸ばし、理逸へと飛んできた右掌底。二人目も似た格好の男だった。

 真横から、理逸の右脇腹──肝臓をつぶそうとの一手。右肘をブロックに入れて防いでも歩いてきて稼いだ力積で構わず押し込む算段だろう。

 取り合わず、左に倒れこむようにかわした。背を向けるように旋回、ショートレンジでの左後ろ回し蹴りで下段を狙う。

 相手が踏み込んでいた左足の膝に、斜め上からふくらはぎで叩き被せるような一撃。自分の踏み込みの力に真上から力を加算されたことで、男は硬直が発生する。

 すかさず左手を向けて『引き寄せ』、拳を握ったまま左肘を顎に打ち込んで気絶させた。

 最後の一人はまたたく間に二人やられたことで、歩速に戸惑いが現れていた。

 だからといって容赦はしない。速足で距離を詰め、もう一度、《白撃》を繰り出そうとして──


「わ、わ! 待った待った、ちょっと止まって!」


 沟のシマなのに日邦語で話しかけられ、首を傾げた。

 見れば、人込みから現れた最後のひとりは、見覚えのある人物だった。

 先端がうねった肩までの黒髪、柔和な笑みと整った面立ちのなかでやたらと長い睫毛。背は高めですらりと長い脚にはショートパンツ、しっかりした骨格フレームのためか出るところはかなり出ている体つき。

 真っ赤なボレロに覆われた胸部、アンダーとトップを革のベルトで留めた扇情的な恰好の彼女は……だれかと思えば楊欣怡ヤンシンイーだった。

 理逸はぴたりと足を止め、振りかぶる寸前だった右拳を下ろす。欣怡は、ほっとした顔だった。

 その油断をすかさず狙って、逆の平手で頭をはたく。


「俺に止まれっつーなら、この二人も止めろよお前この野郎」

「ぎゃふ」


 欣怡は涙目になってうつむいた。

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