Water war (7)


「記憶を消せる、か」

「正確には、『機構運用者デバィスドライバが昏睡状態にぁるときに前後の記憶の伝達を再認できなぃよぅ繋ぐ』ですが」


 深々の確認を細かく訂正して、スミレは平然とそこに立っていた。

 堂々とした居住まいである。

 せいぜい年の頃は一三、四であろうに、場数を踏んで一九の年を数えたいまの理逸とも同格であるかのように振る舞っている。

 多少なり、その様に思うところはあるが、しかしいまは深々がどう受け止めるかだ。《七ツ道具》として彼女の部下にいる理逸はほかに動きようもない。


 はたして、長々と煙草を一服して。

 海の底まで届きそうな、長いため息のあとには。


「……このビルへ入るのを見られていなくとも、出るのを見られる可能性はある。他派閥に拾われても困る能力。といって我々に反目する要素も薄い。加えて2nADセカンナドに関係するのなら我々がアプローチしやすい……」


 四つの項目を左手で指折りして、小指だけ残した深々。

 ゆっくり差し出したその手を、スミレに取るよううながす。


「条件は揃った。きみを南古野に暮らす商業連合を守る団体、《南古野安全組合なごのセーフティ》へ迎えよう」

「……ぇっ、と」

「小指をからめろ。これが俺らのところの通過儀礼イニシエイションだ」


 理逸は戸惑うスミレをフォローしてやった。

 由来はもはや不明だが、かつて日邦ではびこっていたという風習。

 酒の盃を交わすとか血判を捺すとかいう野蛮なものよりは簡単で、それゆえに縛りも緩く感じられるそれを、深々など安全組合の人間は好んでいた。

 スミレはおそるおそる手を伸ばし、応じる。

 繋がれた指が二、三度上下し、契約は成された。あっけらかんとしたものだが、そういうものだ。


ゴウ》では同様に口約束を非常に重んじるし、《笹倉組ささくらぐみ》のような極道なら訪問そのものが契約になる場合もある。

 郷に入っては郷に──と先ほどスミレは軽く口にしたが、それは単なる処世術の言葉ではない。

『知らなかったでは済まされない』という覚悟の言葉である。

 少なくとも、現代の……日邦という国が解体されて以降の、民間水道局PWS凪葉良なぎはら内道水社をはじめとした企業による《統治区ドミニオン》においてはそのように扱われる。半世紀前、四大災害クァド・ディザスタに襲われる前の旧時代なら別なのかもだが。

 深々は左手の小指同士を繋ぎ、隻眼の左眼を閉じながら感慨深げに言う。


「契約は成ったよ。私は鱶見深々ふかみみみ。きみの名前をあらためて聞こう」

「……スミレです」


 あきらかに偽名であったが、誰も文句は言わなかった。そもそも2nADのように身分不肖で生きる者は名が無い者も多いし、あえて名乗りたくなくて隠す者も居る。余計な詮索はご法度はっとだった。

 深々は理逸の方を見もせずに決定事項としてつづける。


「そこの円藤に、きみの生活と仕事の受注については任せる。行動の判断も基本的にはそいつに仰げ、生まれてこのかた南古野から出たことがないから大抵のしきたりはわかっている」

「事実ですけど、なんか含みを感じるな……」

「田舎者とは言っていない」


 ほぼ言ってるようなもんじゃねぇか。彼は思った。

 滅びた首都・灯京とうきょうや旧都・京杜きょうとへの渡航歴があるだけで、生まれも育ちも南古野ここである人間を若干下に見るのは深々の悪癖だった。

 外国より渡ってきた存在であろうスミレからすればまるでわからないマウント合戦なのだろうが、《七ツ道具》のなかでも南古野ネイティブである理逸と同種の人間が渋い目つきで深々を見ている。地域格差とは、得てしてそういうものなのだ。


「……ま、とにかく暮らしについては俺が一旦面倒見てやる。よろしくな」

「同居、ですか?」

「ひとまずの監視も含むから」

「なるほど」


 正直に告げれば、あきらめたように肩を落とす。この所作が妙に似合うのがなんだか歳に不相応なものに感じられたが、言ってもしょうがないので理逸も黙っている。

 深々の対応につづいてたが、一旦の協定ということで。理逸は右掌を差し出した。


「あらためて。円藤理逸だ」

「……スミレです」


 差し出しかけた右手を、けれど不服だったのかスミレはさっと腰の後ろに隠す。

 だがそういう態度が好かない理逸は、見えている右肘に向かって右掌をぎゅっと握った。『能力』の発動で肘が引っ張られ、自然と手が前に出る。


「ぁ」

「よろしくな」


 ぱしんと平手を打ち鳴らすタッチをした理逸は、はじめてスミレに先制した。

 彼女はひどく不機嫌そうに、「……ぇえ」と苦虫をかみつぶしたような顔をした。そこまで表情に出すか、と理逸はげんなりした。


       


「金になるな」


 住まう場所(とりあえず理逸の住所である)登録や直筆サインによる筆跡確保や有事のための血液保管など、安全組合への参入手続きをあれこれと行うよう周囲に促されているスミレを見据えながら。席に戻った深々はくわえ煙草につぶやいた。


「……あなたにしちゃめずらしい、最高評価ですね」


 理逸は返す。

 深々は基本的に他人への評価が辛く、これまで彼女の口から聞いたもっとも評価の高かった者への言葉は「よほどうまく扱ってやれば金になるかもね」だ。断定で金になると言うのはかなりの珍事である。


統率型拡張機構ハイ=エンデバイスだからね」

「やっぱりそこが評価元ですか」

「警備兵の防御に穴を空けて主導権を握るなり、他派閥の機構運用者の乱入へ素早く対処するなりできる。おまけに記憶を消せば、彼女が動いたことそのものを抹消すらできる。正直言ってかなりの拾い物だよ」

「ただそれも『裏取りができれば』、ですよね」

「もう進めている」


 左手の人差し指と中指に挟んだ煙草を口から離し、深々は窓の外を見やった。

 視線の彼方の南大壁なんだいへきを見据えている。

 安全組合への参入に手続きが必要なのはウソではないが、しかしこれほど時間をかけて手順を踏んでいるのはその間にもスミレの身辺を洗うためだ。


 小麦色の肌、紫紺の瞳に銀の髪。少々目立つ容姿の彼女がこの南古野を歩いていたのなら、必ず目についている。

 いま深々がやっているのは周辺でのスミレの目撃情報がないか、あったのならば他組織などと繋がりがないか、じつは内部に入り込んで安全組合に打撃を与えるための内偵なのではないか……といった懸念事項の潰しだ。

 そこでふいに、書類に書き込んでいたスミレが(驚くことに日邦語をしっかり書けるらしい)視線を向けてくる。すぐに書面へ目を戻す。


「たぶん俺らが調べを進めてること、わかってる目ですね」

「それでもなにか言うことはないあたり、状況的に自分が不利であるとよく理解しているのだろうけど」


 へたな弁解や弁明を一切しないというのもそれはそれで反応に困る。ましてや相手は子どもといっていい年齢だ。普通なら、疑われていることに文句のひとつも出るだろう。

 しかしスミレは言っても意味が無い、とわかっているようだった。

 先の食ってかかる物言いで深々を試したときのように、理由がなければああした行動には出ないらしい。感情面だけで言えばそう簡単に納得できることでもないように思うが、無意味なことはしないようにしているのかもしれない。


 達観というか諦観というか、あるいは。


「合理的に考ぇて、です」

「え」

「二度言ゎせないでくださぃ。合理的に考ぇて、これほど多くの手続きが必要でしょぅか?」

「あ、あぁ……まぁ、組織ってのはどこも、こういうものだろ」

「理解しかねます」


 眉根を寄せて、スミレは書き込みをつづけた。

 横では織架が「機構については項目よりも詳しく話を聞きたいね」などと顔を近づけているがガン無視している。

 ……俺が内心で考えたことを言い当てた、のか。それとも単に思ったことを言っただけなのか。

 理逸はぼんやりと悩みながら、今後の生活について思いをはせた。


        +


「お前、『漂着者』だろ」


 ひと通りの手続きを済ませ、理逸のねぐらに向かう途中。彼は肩にかけた帆布ザック越しに振り返りながらスミレに訊ねた。

 一員になったなら生活に必要なものはやる、と深々から生活用品を押し付けられたスミレは、両手で抱える麻袋(過去なにに使ったのかところどころ血に染まっている)越しにひょこりと理逸を見る。

 次いでめんどくさそうに目を逸らし、自身の横をてててと歩く六本足に二又尾っぽの野良猫を見やりながら、気のない返事をした。


「先ほど、ミミさんとの会話でもそぅいぅ単語が出てぃましたね」

「否定はしないんだな」

「もぅ、逃げよぅがなぃので」


 あっさりと認めて、スミレは歩幅を変えない。

 地下で出くわしたとき「どうしてここにいる」「どうしてそんなことができるレベルの奴がこれまで表に出ずにいられた」と訊ねたら、スミレは口ごもった。答えるのがはばかられる出自だったからに相違ない。

 すなわち、どこか外からやってきた。けれど元・日邦のこの地へ残る、南古野を除いた五つの統治区ドミニオンから陸伝いに入ってくるには検問がある。もともと高い身分を持つ人間でなければ、まず入ることはできない。


 しかし街の南、南大壁よりさらに先の河口湾からなら別だ。海上には当局による警備の手が薄く、荷の積み下ろしも検閲は形式だけというくらいだ。あの場所は漁船も運搬船も密航船も区別なく呑み込む港となっている。

 とはいえ、密航者ならばそれはそれなりに密航者としての身分がある。大抵は港周りに街をつくる華僑か、港湾での労働者を中心として仕事の手配師をやっている《笹倉組》のどちらかに身柄を引き取られるのがほとんど。


 そうでない者だけが、寄る辺なき者たちの集いである2nADの集落──いつ崩れるかわからず危険な南大壁付近のバラックの集いに引き寄せられ……いつしか大規模に広がったそれを、《希望街》と誰ともなく呼ぶようになった。


「正規の密航、ってのもへんな言い方だが。そういったルートじゃねぇってことは難破船か拿捕船からの漂着だろ」

「ご明察です。ぁなたたちの情報網の程度によるでしょぅが……いまそちらの手の者が調べてぃるでぁろう過程で船の名もぃつやって来たかも、じきにゎかるはずです」

「……やっぱ調べてるのバレてたのか」

「ァホなのですか。『どぅせぁなたは調べるのでしょぅけど』、とさっきも指摘したではなぃですか。捜索の手を広げょうとミミさんと話してぃたの、バレバレです」


 呆れかえった様子で、スミレは理逸の浅慮をなじる。

 出会ってからこの方、やり込められっぱなしである。どうしてこうも頭も口も回るのかと不思議でしょうがなかった。


「どぅせぁとからゎかることですが説明はしておきます。乗ってぃた船はモーヴ号。四日前に、海賊らしぃ者たちに奪ゎれてしまぃました。場所はぉそらく岸から二〇キロほどの沖合」

「お、泳いできたのか……?」

「……ァホなのですか、本当に。一三歳女子の体力でそのょうな遠泳に耐えられるはずがなぃでしょぅ。小型艇を奪って逃げたのです」


 心底考え無しを咎める目つきで、スミレは「さいわぃ、動かし方は知ってぃましたので」と付け足す。どういうマニアックな知識なのだ。


「港に近づぃたところで、通りかかりの漁船に救難信号を飛ばしました。舟のサィズからして海賊の罠と疑ゎれることもなく、拾ゎれまして。ぁとは小型艇動力部と使用方法を運賃として引き渡してここまで連れてきてもらぃ、希望街の方々に助けてぃただきました」

「なんかあまりにも手慣れてねぇか、流れが」

「欲すならまず与えよ、交渉の基本でしょぅ?」


 平然と言うが、肝が据わっている。そうでもなければ生き残れない環境にでもいたのだろうか。

 いや、へたな詮索はしないのが鉄則だ。理逸は被りを振って家路を急ぐ。じりじりと暑いなかを歩くのは体内の水分がもったいない。

 おそらく話にウソはない。裏も取れるだろう。そうして身元さえ判明していれば、あとは当人がどのようなパーソナルであろうと関係ない。仕事さえできればいいのだ。


 子どもであろうと。

 子どもで、あっても。


「それで。ゎたしは今後、どのよぅに仕事をさせられるのですか」

「ん、ああ。仕事か」

「ゎたしの生活と仕事の受注はぁなたに任せると、ミミさんはぉっしゃってぃましたけど。水泥棒──制水式でしたか? ぁれをいつも、ゃってぃるのですか」

「毎週のようにやるってわけでもねぇよ。水泥棒は日照りがつづいて新市街からの供給が断たれたとき、つまり月に一度あるかどうかだ」


 猛暑になると、月に二度にわたって行われることもあるが。それはよほどの珍事であるし、一度目に参加した人間は二度目に出ることがほとんどない。争いが苛烈になるため負傷も激しくなる、という意味で。


「それ以外のときは《七ツ道具》──さっきあの場にいた安全組合の幹部な。あいつらも大抵、べつの仕事を持ってる。織架のやつならネオン技師と機構調律者デバイスチューナ。俺の場合は、『仲裁人』」

「紛争代理人ですか」

「そんなとこだな」


 要するに雇われ傭兵だ。南古野で揉め事が起きたとき、依頼があればその相手に肩入れする。対立派閥に狙われているのを護衛するとか、逆に邪魔な相手を狙って戦闘不能にするよう打って出るとか。

 簡潔な説明に、スミレはひとつ疑問を投げてきた。


「その際、殺しはぃたしますか?」

「しねぇよ。つーか最初に出る問いが、それかよ」

「紛争を終ゎらせるもっとも手早ぃ方法でしょぅ」

「合理的に考えて、か?」

「その通りです」


 平然と言う。どうも、こいつもこの南古野と同等かそれ以上に治安の悪い土地から来ているようだった。選択肢に相手の死が普通に入り込んでいる。

 けれど理逸にとって、それはナシだ。どんな仕事にあっても、だ。

 たとえば水泥棒はもとより『警備兵を殺害してはならない』という、向こうは殺しにかかってくるくせにひどく南古野市民側に理不尽な縛りが設けられているが。

 この縛りがなかったとしても、理逸は殺しだけはしない。……動けないレベルまで痛めつけることはあるが。命は奪わない。現に、発砲した際も狙いは手足に限定していた。


「合理的に考えたら」

「?」


 答えようとして言葉を止めた理逸を、スミレは首をかしげて見つめてくる。


「余計に、迷っちまいそうなんだよ。なら迷いそうなことは、最初からしないと決めておく」

「……理解しがたぃですね」

「理解してほしいとも思ってねぇよ。さ、ついたぞ。二階だ」


 理逸は大通りから二本逸れた路地にある、古めかしいアパートにスミレを招く。ビルとビルの間にある、ほとんど日が差さない土地にじめっと突っ立っている二階建ての建家は文明崩壊の半世紀前からここにあると言われても違和感がない。

 赤錆びがぱらぱらと落ちる階段をあがって蝶番の軋むドアを開き、六畳間に入る。スミレには奥に入るよう勧めた。サンダルを脱いで彼女はあがり、どこに座ればいいか迷っているようだった。


「座布団とかは押し入れだ。取られたくないモンは仕舞っとかないと隣室の連中に持ってかれるんでな」

「共有物ですか……」

「ここは鍵もかからないしな。見える範囲のモンはほとんどそういう扱いだ。さて、もてなしてやるから少し待て」

「もてなしが期待できそぅな場所に見ぇませんが」

「うるせぇな」


 天袋に隠しておいた、取り外し式の取っ手を、流しに突き出た蛇口の根本へ差し込んだ。

 ぐるり、手首をひねれば、しばしごふごふ空気を吐く音がして。


 さぁっ、と。


 蛇口から流れ出した水を、理逸は流し脇で埃をかぶりかけていた湯呑で受けた。

 スミレがあ、と声を漏らす。


「ほれ。ちゃんと希望街にも流れていってるぞ。ここらはあそこと同じ水道系だからな」

「……そぅですか」


 差し出した湯呑を、スミレはおずおずと受け取る。

 理逸は自分の分の湯呑にも水を注いだ。いつもそうだが水泥棒を終えて自宅に帰ってきたこの瞬間に限っては、一滴一滴が、非常に重たい。


「おつかれ。お前と俺が勝ち取った、水だ」

「どぅも」


 器を打ち合わせるほどの距離感ではないな、と思い、軽く掲げるにとどめる。

 スミレは両手で口許へ持っていくと、捧げ持つように静かにゆっくり、水を飲んだ。


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