Wandering wag (5)


 理逸はまたしても失念していた。

 彼女がいかに幼かろうと、経験不足だろうと。異様に頭が回る、合理性の塊じみた才媛であるということを。


「ゎたしの知る限りだと、2nADの人々は『取り分を主張しなくては生きてぃけなぃ』との状況で生きてぃたことに根差して、とくにそぅいぅ話し方が顕著ですが……」


 と、なにやら興味を引くような語り口を得てからは早かった。


「それ以外でも他人に訴ぇを起こす際、誰でぁっても自分の正当性を担保してもらぅためにまず『自分が正しぃとぃう感情の乗った会話』をするはずです。──話が決裂した、とぉっしゃぃましたね? 大抵の場合、そぅした自分の不利益を語るなら直後に自分の正しさを主張する言葉が入るはずです。ぁなたにはそれがなかった」

「それが、なんだというんだ……」

「自身の正当性を信じ切れてぃなぃか、その主張ょりも優先すべき、潰してぉきたい懸念がぁったのでしょぅ。『なにか言ってぃませんでしたか』とぃうのが、それですね」


 断じて、スミレは鼻を鳴らした。自分の頭の高さにある柱の表面を薄く撫でて、指先になにか付着したのか親指と残り四指をすり合わせている。


「ぁなたはぁの能力保有者プライアホルダーとゎたしたちに、会話してほしくなかったのです。だから自分の正当性を主張する感情の乗った会話ょり、問ぃかけを優先した」

「だからそれは、譫妄せんもうとしか思えない言葉をやたらと吐く男だったからだ。そんなことをあんたがたに吹き込まれて、万が一信じ込まれては困るだろう?」

「そぅいぅことにしてぉきましょぅか。では、なぜァザミさんがここに居たのですか?」


 しつこくひとつを話すことはなく、軽くかわして別軸に移った。

 唐突な話題の変更に尾道はついていけない様子で、急に話題に上がった薊の方もそれは同じだった。あからさまに動揺している。


「この場所は、ぉ客が先に来てから嬢が合流するポィントなのでしょぅ。なぜぉ客もぃないのに嬢がここに? それもょりにもょって、厄介客に狙ゎれてぃるとのァザミさんを」

「それはあんたがたが彼女に、話を聞きたいんじゃないかと思って、」

「それなら最初から同席をぉ願いするでしょぅ」

「いや、途中で呼ぼうと、」

「こちらが訊ねるまで呼ぶ素振り見せなかったですょね?」

「……ちょっと円藤さん、なんなんだねこの子は!」

「先ほどもお話した通り新入りでして、大変失礼いたしました。……おいスミレ行くぞ」

「まだぉ話は終ゎってぃな──もが、」


 つかつかと忍び寄った理逸はスミレの口に手を当てて塞ぐとそのまま「ではあとのことは手配しておきますので」と言って引きずりながら慌ててドアを出た。

 話をぶった斬ってでも強引に、もっと早く連れ出すべきだったと反省しながら階段を降りる。途中で小脇に抱えられるかたちになったスミレはまだもがいていた。

 一階まで来て、上の尾道たちに聞かれていないと判じてから、ようやく理逸は離す。スミレは口にばっちぃものをあてがわれたと言いたげにぺっぺっとつばを吐いた。さすがに多少理逸も傷つく。


「ぁなたは突然、なにをするのですか」

「こっちのセリフだ。なんで依頼主に食ってかかっているんだお前は」

「怪しい点ばかりだったからに決まってぃるでしょぅ? 『なにか言ってぃませんでしたか』『錯乱の気がぁるので』と言ってぉきながらもその具体的な会話例は出さず、被害に遭ってぃる嬢を平然と室内に呼んでぃて、嬢の方もその状況に異を唱えなぃ。不可解です」


 彼女の論を借りるなら、『感情の乗った会話』というやつが、薊にもなかったことを言っているのだろう。恐れる相手が来た直後ならもっと取り乱すか、あるいは沈黙しきっている方が自然ということだ。それがないのは、つまり隠した情報が尾道と薊にある可能性が高い。

 言っていることはわかる。

 わかるのだが、まくし立てんばかりの彼女の両肩に手を置いて理逸は押しとどめた。


「まあ待て。落ち着けって。その点は俺も、気づいてたんだよ」

「……正気で言ってぃるのですか」

「本気で言っているのですか、の言い間違いだよなおい。お前から見て俺はいつも狂気の沙汰だってのか」

「ぃつも理知的に理性的に動ぃているとの誤った自負がぉ有りでしたらすぐに病院へ行くことをぉ勧めします」

「この街の病院闇医者なんざ行ったら請求額見た途端なけなしの理性が崩壊するぞ……あぁもう、とにかく、聞け。怪しい依頼や伏せ情報のある依頼をつっついて、場合によっちゃ蹴るっつーお前の合理性も一理あるがな、それだけじゃ立ち行かねぇんだよこの街は」

「理解できません」

「だろうな。理解してりゃ出てこない行動だからな」


 このお子さまめ、と頭を抱えた理逸は壁に背をもたせかけてずるずると滑り落ちた。

 ふいに横に目をやると、拘束されたまま暑い地面に寝転がるのが嫌だったのか、同じように壁に背をもたせかけたポーズの影男と目が合う。

 まなじりの垂れたどんよりしたまなこに、言いたいことが詰まっていると思われた。

 けれど彼はなにも口にしない。

 ため息をつき、理逸はスミレを招き寄せる。


「スミレ」

「なんでしょぅか、リィチ」

「俺を名で呼ぶなっつったろ。せめて苗字で呼べ……それはさておき、こいつがなぜなにも言おうとしないかは、わかるか」

「自分の行ぃが正しくなぃことは薄々ゎかってぃながら、それでもァザミさんに執着があるからでしょぅ」

「どういう執着かはわかるか」

「客の一線を越ぇたぃとの身勝手では」

「やっぱわかっちゃいねぇな」


 お子さまめ、と二度目の思いを抱えながら理逸は影男の肩を肘で押す。


「客の線はもともと越えてる。こいつはたぶん、薊の兄貴だ」

「……ぇ」


        #


「大方、兄妹で食い詰めて《バンス》に頼ったんだろ。で、抜け出せなくなった妹を連れ戻そうと兄がちょくちょくやってきていた。尾道がそれを鬱陶しがって追い払うことに決めた。流れは、そんなとこか」

「……ばんす?」


 博識小娘のスミレも、夜の街の用語は良く知らないらしい。

 娼館などには、前金バンス制度というものがある。

 娼婦や水商売は実入りも多いが、その分着飾ったり人間関係を保ったり……維持費としての支出も激しい。また、そもそもが困窮によって切羽詰まっての就業であり、最初から借金をこさえて来ていることもある──


「──そうした際に雇用側が、就業前の被雇用者にある程度の金を工面してやることがある。これが前金バンスだ」


 簡単に説明してやると、合点がいったのかうなずくスミレだった。


「なるほど。……しかし、ょく兄妹だとゎかりましたね」

「俺も兄が居たからわかる」


 どことなく妹、薊の所作には上のきょうだいが居るような……自分と近いものを感じたのだ。まあ理逸の場合は血の繋がらない兄だったので、兄貴分と呼ぶのが正確なのだが。

 ともあれ前金は便利な制度だ。この街で世話になる者も多い。


「さて。そんであんたたちは前金について、法的拘束力のある契約を結ばされた」


 国家体制の崩れたこの企業統治区ドミニオンのなかでも、法は変わらず存在する。執行者が国から《沟》《笹倉組》《南古野安全組合》の三組織より選出された法務執行人になった、というだけで。

 ゆえにあまりに違法な行いがあれば、最低限の治安維持のため雇用側に縄をかけに来る。

 だが。


「契約内容の確認を怠ったな」


 理逸の指摘に影男はなにも言わない。とはいえうつむいて苦悶滲ませる顔を見れば、首肯したも同然だ。

 もっとも、確認を怠ったというより、そもそも契約書面を読めなかった可能性もあると理逸は判じていた。はるかむかし、刀を差して着物で歩いていた時代から高い平均識字率を誇ったこの元・日邦も災害後の世界では日に日に識字率が落ちている。それは生活に要する言葉が2nADたちのように雑多に混ざったこともあるし、生きることで手一杯という事情もあった。

 影男はなにも言わないが、理逸の考えはそう大きく外れてはいないように感じられた。

 スミレは影男を見据えつつ屈みこむ。


「前金を返さなぃと出られなぃ、返すにも利息を払ぅので精ぃっぱぃ、ぁるいは条件を満たさなぃと返済自体受け付けなぃ……そんなところでしょぅか、拘束される契約とは」

「たぶん正解だ。利息率の数字はあんま動かすと同じく金貸しやってる《笹倉組》の怒りを買うから、前金の返済が滞るような条件が組み込まれてんだろ」


 理逸が言えば、影男はぐっと身を固くする。わかりやすい反応だ。

 影を纏っているときは表情や仕草もまるでわからない状態だったが、あれもじつのところは『黙っていても内面が漏れる』自身の気質への防衛反応からの発現か……とまで考えこんでかぶりを振る。幾多の能力保有者と戦ってきた経験がため、どうも理逸は能力から相手の内面と攻略法を探るのがクセになっていた。

 品がない、と自省しながら視線を外すと、そちらでも身を固くしている者が居た。

 言わずもがな、スミレである。


「……合理的ではぁりません」

「なにがだ」

「その契約とゃらが、です」

「どこがだ。この上なく合理的だろう」


 搾取の仕組みとしては完璧だ。

 そう思った理逸が返すと、屈みこんでいたスミレは立ち上がった。化粧っけのない顔のなか、目尻にのみ施した赤いメイクだけが力強く、紫紺の瞳と共に睨みあげてくる。


「非合理、です。こぅした横暴が積み重なれば、ぃずれ社会不安の原因となり長期的に見て統治区ドミニオン全体へ不利益を生むでしょぅ。そんなことの端緒となりぅる契約が、合理的とは到底言ぇません」

「……強引だな。その可能性がゼロだとは言わねぇが、お前、どう見てもそういう点から話をはじめてないだろ」

「では聞きますが。ぁなたはなにも思ゎなぃのですか」

「思うことと感じることと考えることとは全部切り離してる。可哀相だとは思うが、それでどう感じ考えそして動くかはまったく別のことだ」

「騙すょうなひとがのさばる世を、それを仕方なぃとする世をぉ望みですか? 解決しょうとは思ゎなぃのですか?」


 強い嫌悪感をあらわにしながらスミレは言った。

 義憤である。先ほどの尾道への当たりの強さも、公平性を欠いた契約内容を読み切っての憤慨だったのだろう。

 考えてみればこうなるのも当たり前のことだ。だって彼女は仲間が水を求め、己にそれが可能だという、たったこれだけの理屈で危険な地下に潜り水泥棒を敢行しようとした人物なのだ。

 まったく、耀かんばかりの精神である。どこかの史書の英雄像を転写したような心根だ。

 ……ガキめ。理逸は心中で深く嘆息した。


「俺の仕事は、傭兵じゃねえ」

「存じてぃますが」

「わかっちゃいねぇよ。いいか、俺の仕事は仲裁人だ。金貰って誰かの味方をするわけでもなきゃ頼まれて誰かを殺すわけでもねえ。双方を和解させる、たったこれだけだ」

「和解できるとぉ思ぃですか」

「させるんだよ」


 これ以上の問答をする気はなく、理逸は屈みこんだ。相変わらず黙り込んだままの影男の襟首をひっつかみ、無理やりに上向かせてから手を離す。


「依頼主から要望をくみ取ると『これ以上あそこと薊に近づかないこと』そして『お前がこっそり近づかないよう安全組合の見回りを強化すること』この二点になった。これより南古野安全組合・《七ツ道具》三番の名において俺はお前にこの条件を承服してもらう。なにかお前からは、話しておきたいことあるか」

「…………語ってなにか解決するのか」


 はじめてまともに開かれた口からは、かすれたやる気のない声が問いとして漏れる。理逸はこれに返した。


「解決、ね。そもそも人間同士のやり取りにおいて『解決』なんてものはこの世に無い、と俺は考えている」

「開き直りか」

「ちがう。利害も感情も絡んできたら、どう決着しても絶対に遺恨は出るって話だ」

「だから『言いたいことはあるか』と訊ねてわずかばかり俺の機嫌を取り、少しでもお前に向く遺恨を減らそうという魂胆か」

「それもちがう。べつに恨むなら好きにすればいい」


 いぶかしげな影男の視線に対して理逸が言えば、彼は首をわずかにかしげて解せない、という雰囲気を見せた。

 理逸は影男の目を見る。


「恨みをすべて捨てるのは無理だろう。和解させるとは言っても、許せなんて言わない。ただ俺は、あんたがほかのことを思う時間を持てるようにしたいだけだ」

「……なんだそれは」

「あんたが妹さんのこと思い出すとき、恨みの感情なんざ出てこないだろう。それ以外なら、たとえば誰かと飯食う時間とか、まどろんでるときとか。そういう、恨みに駆られてない時間を増やすようにしたい」

「それは結局、自分が恨まれたくない気持ちからくる行動ではないのか」

「そりゃ、恨まれたくはない。でも恨まれる覚悟はしてるよ。……同時に、俺はあんたの納得のためにも動く」

「納得?」

「恨みを抱えたそのままで、あんたが自分を責めずに眠りにつけるようにする」


 影男は、それを聞いて視線を外しかけたが、もう一度目を合わせると「馬鹿なのか」と鼻で笑った。

 それきり目を閉じると、壁に頭をもたせかけたままで。

 通りに風が二度吹く程度の時間をおいてから、わずかに語り出した。語り出したことに、スミレが横で息を呑んでいた。


「……俺は、交渉に来ただけだった」

「妹さんの前金返済の緩和、とかか」

「ああ。契約は、薊が客を取った売上から経費を差し引いた分……そこから一定額しか、返済されないものだったのでな」


 ほかの支払い、つまり兄である影男が自分の給金などで残額を支払い早めに辞めるなどが出来ないということだ。

 こうなると、一定期間を確実に拘束される。しかも客が取れなければその日の利息は確実に上乗せされる。辞めるのはまた、遠くなる。

 じわじわと終わりが先延ばしされる不安……ここに付け込んでストレス解消の麻薬ドラッグや散財に引きずり出して貯蓄を奪い、さらに来月の前金を貸し出すことで永続的に嬢を囲い込む悪質な娼館もかつて存在したと、理逸は知人の楼主娼館の主人から聞いたことがある。


「なんとか俺のかき集めてきた金で、早くあそこを抜けることが出来ないものか、と。たびたび尾道のところへ交渉に訪れていた。けれどいつも態度は頑なで、しかも今日は……」

「なぜか向こぅから呼び出され、しかも攻撃された、のでは」


 スミレが言葉を継ぐ。驚いた顔で、影男は目を開いた。

 理逸もおそらく同じような顔でスミレを見ていたらしく、「なんです、間の抜けた顔で……」と呆れ混じりの一瞥いちべつを喰らった。


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