第31話 意味のないもの

 レイト達を一晩泊まらせてくれた女性はディーナと名乗った。家の中は暖炉と必要最低限の家具しかなく、生活感があまり感じられなかった。


 ディーナは「火事だけは起こすなよ」と言って家を出て行った。それきり、深夜になった今でも帰って来ていない。

 レイトはディーナが貸してくれた毛布にくるまって暖炉の火を眺めた。レオナルドは横になって眠っている。六花もだ。


 精霊に睡眠は必要ないはずなのだが、六花曰く、「起きていても退屈だから寝るの」だそうだ。つくづく不思議な存在である。


(不思議っていや、オレもか……)


 ふとそんなことを思った。

 生まれつき持っている呪いの声。聞いた人を有無を言わせず魅了してしまう。魅了し、従わせる力。アレイスターは確か「服従の調べ」と言っていた。


 その服従の調べについて、レオナルドに訊いたことがあるが、彼の説明によれば服従の調べとは、精霊が自分の申し子に与える力がそう呼ばれているという。それに何も「声」だけが服従の調べではないのだそうだ。証拠にレオナルドが持つ力も服従の調べと言うのだ。その力とは、睨むだけで相手を意のままに操る、というものだ。


 申し子が持っている力を何故自分が持っているのかわからない。この力を持っていて良かったことなど一つもない。強いて言えば、マリーをネーリスの村から助けた時か。あの時だけはこの力に助けられた。


 服従の調べのことをレオナルドに訊いた時、この力を生まれつき持つということはあり得るのか尋ねたが、彼も六花も目を逸らせて俯いただけだった。

 隠し事をしているのは明白だったが、問い詰めたところで、話しはしないだろう。

 自分がこの力を持っていることに何か意味があるのか。

 レイトはこれ以上考えたところで泥沼にはまるだけだと思い、考えるのをやめた。


「……服従の調べ、か……」


 レイトは小さく呟いて目を閉じた。

 今まで歌ってこなかった自分が、気づかないうちに「調べ」を奏でていたなんて……。レイトは何だか滑稽に思えて、目を閉じたまま鼻で笑った。


    ★  ★  ★


 翌朝、レイトは外から聞こえる騒がしさで目が覚めた。いつの間にか横たわっていた体を起こし、大きく欠伸をする。まだ寝足りない気分だ。


 辺りを見回してもレオナルドと六花の姿がない。思わず出入り口の扉のほうを見ると、近くの窓のところに二人は立っていた。窓と言っても、くり抜いてあるだけで、ガラスははめ込まれていない。


「……何かあったのか?」


 レイトが二人に問いかけると、六花がこちらに顔を向け、無言で窓の外を指差した。

 レイトは二人の間から外を見た。ちょうど昨日声をかけた男性の畑が見える。その畑の周りに人が集まっているようだ。五人いる。恐らくこの集落全員だろう。その中にディーナの姿もあった。


「何してるんだ……?」


 レイトは誰にともなく呟いた。ディーナを含めた五人で何かを囲んでいるようにも見えるが、ディーナが責められているようにも見える。


「声はよく聞こえない。でも、お前のせいだ! って言ってるのは聞こえた」


 レオナルドが外を見ながら答えた。


「様子を見に行こう。ここからじゃよく聞こえない」

「事情を知ってどうするの? 何かトラブルがあったとしたら、巻き込まれるわよ」


 六花が冷たい口調で告げる。出入り口の扉を開けようとしていたレイトは手を止めて六花を振り返る。


「そんなこと知るかよ。でもディーナは素性も知れないオレ達を泊めてくれたんだ。困ってるなら放っておけない」


 レイトははっきりと言った。

 外へ出て、ディーナ達の元へ行く。近づいていくと、鉄の臭いが鼻についた。血の臭いである。


「まさか……!」


 まさか皆の中心にあるのは……。昨日六花が声をかけた男性だけが、立っている者達の中にいないのだ。


「これはっ……!?」


 後を追ってきた六花とレオナルドの声が重なる。

 皆の中心にいたのはまさに昨日立花が声をかけた男性だったのだ。全身が血まみれで頭からも出血していて、既に絶命しているのがわかる。一体何があったというのだろうか。


「一体、何でこんな……?」


 レイトはディーナを見た。表情一つ変えず男性を見下ろしている。彼女はレイトに気づくとじっと見据えてきたが、すぐに逸らしてしまった。


「昨日の夜、魔物に襲われたみたいなんだ……」


 ディーナを除いた四人のうちの一人、寝癖のある男性が答えてきた。


「魔物……」


 レイトは口の中で呟き、俯いた。

 昨日は静かな夜だったはずだ。この辺りの森には魔物が少なかった。精霊である六花がこの近辺に住んでいるのなら、その力を恐れて魔物が寄り付かないのだろう。


「昨日の夜に襲われたなら、僕達も気づくと思うけど……」


 レオナルドが独り言のように呟く。レイトも内心頷いた。そこまで疎くはないつもりだ。


「闇に紛れて奇襲をかける魔物もいるって聞いたことがあるわ。そういう類じゃないの?」


 四人のうちの一人、ロングヘアの女性が言った。


「どちらにしろ、見回りはディーナの役割りだ。こいつが死んだのはディーナのせいだ」


 四人のうちの一人、頰に傷のある男性が乱暴な口調で吐き捨てるように言った。

 その言葉にレイトは引っかかるものがあった。


「そうとも言い切れないんじゃないのか? 夜中に魔物の襲撃が予想されるなら、全員で警戒するべきだろう」


 亡くなってしまった男性を含めると、この集落に暮らしているのは六人だ。見回りをローテーションにすることぐらい簡単なはずだ。

 だがロングヘアの女性は即否定してきた。


「それは無理よ。私達には別の役割りがあるもの」


 女性は至極当然のように言った。


「……役割りって?」


 六花が呆れたように問いかけた。


「死んでしまったそいつは畑を耕して作物を育てる役目、オレはその作物を使ってみんなに料理を作る役目、そっちの女は誰かが怪我したり、病気になった時に手当てする役目。そんで、オレの後ろでおどおどしてるのが、家の修理とか、小物の修理とかをする役目だよ」


 寝癖がある男性は最後に自分の背後に隠れるように立っている男性を指差した。

 役割りを決めて、一見効率良く生活を回しているように見えるが、これには決定的な欠点があった。


「……じゃあ周囲の魔物を警戒するのがディーナの役目なら、彼女はいつ寝るんだ?」


 レイトは怒りを露わにして四人に問うた。

 一見効率良く生活が回っているように見えるが、このやり方だとディーナだけ負担が多いことになる。彼女だけが魔物に警戒していなければならないなら、寝てしまうわけにはいかない。だから昨日もレイト達を家に上げた後、さっさと出て行ったのだ。


「…………」


 四人は誰一人答えなかった。レイトはさらに怒りを募らせて口を開いた。


「黙るってことはあんた達はこのやり方に欠点があるって知ってたんだろ……。それなのに何でやり方を変えようって思わないんだよ?」


 レイトは自分の言葉に呆れの感情がこもっていることに気づいた。先程六花が呆れたような口調だったのも、きっとこんな気持ちだったのだろうか。


「……仕方ないだろう」


 頰に傷のある男性が苛ついた様子で答えてきた。


「オレ達は全員脛に傷を持っているけど、誰もが戦う力を持ってるわけじゃねぇんだ。だったら戦う力があるヤツに魔物の警戒を頼むのは当然だろう」

「そうよ。それで戦えない私達は別のことで役に立てばいいじゃない」


 だから自分達はこういう役回りにするしかない。彼らは口を揃えて言う。

 これが良識ある大人の言うことか。人一人亡くなっているのに、弔う前に責任はお前にあるだ、お前のせいだなどと。


「黙れ!」


 レイトは我慢できなくなって感情のままに叫んだ。もしかしたら呪いの力を乗せてしまったかもしれない。


「人一人死んでるんだぞ! それでもあんた達は仕方ないなんて言うのかよ!?」


 声に完全に呪いの力が乗っているのがわかるが、レイトは自分を制御する気はなかった。


 大人はいつだってそうだった。何とかしなければならないと思いつつも、いろいろ理由をつけて仕方ないと言って何もしない。

 何もしてくれない。


 レイトが幼い頃、母親によって幽閉されていた時、会いに来てくれていた兵士に助けてほしいと懇願したことがあるが、皆が皆、そんなことをしたら王妃にクビにされる、怒られる、殺されるなどと言って助けてくれなかった。可哀想と思うけど、逆らうわけにはいかないから仕方ない、皆そう言っていた。


 確かに仕方ないとは思うが、心の奥底では彼らに対しての憎しみがずっと燻っている。


「お前、その声……!」


 その時、ずっと黙っていたディーナが驚いた声を上げた。


「えっ……?」


 頭に血が上っていたレイトは一瞬誰に声をかけられたのかわからなかった。


「レイトと言ったな。お前、その声、服従の調べだろう。誰からもらったんだ……?」


 ディーナは目を大きく見開いて訊いてきた。


「え……これは生まれつきだけど……」


 ディーナのおかげで冷静になれたレイトは呪いの力を抑え込んで答える。


「えっ……! 嘘だ……ありえない……!」


 ディーナの声が僅かに高くなる。心底驚いているのがわかる。


「嘘も何も……オレは物心つく前からこの力を持ってたんだ……」


 レイトは嫌な予感を覚えながら言葉を返す。


「……服従の調べは、精霊が自分の申し子に与えるものなんだ。かつて精霊達は、自分の眷族や下位の精霊達を使役させるためにその力を作り出したと言われている。だからその力を生まれつき持っているなんてあるはずがない……」


 ディーナは言葉の最後に首を横に振った。

 レイトは頭が真っ白になった。


「……ちょっと待てよ。それならオレのこの力は……」


 レイトの声には力がなく、最後のほうは空気が漏れるだけで、声にはならなかった。


「恐らく、物心つく前に誰か、たぶん精霊によって意図的に与えられたもののはずだ……」


 ディーナの答えを聞いた時、レイトの脳裏に昔の記憶が洪水のように押し寄せてきた。

 初めてこの力に気づいたのは五歳の時。母親が何かに酔ったような顔になり、あなたは私のものよ、と言って、レイトを地下の牢へ閉じ込めた。その後はただ母親の言いなりだ。毎日のように子供でも読める絵本を読ませられ、子供用の歌を歌わされた。全てはレイトの声を聞くためだ。だが、母は決して牢を開けて中には入って来なかった。牢を開けたら、その隙に逃げるとでも思っていたのかもしれない。


 レイトは声が枯れるまで本を読み、歌を歌った。

 そのうちレイトが力を抑えることを覚えると、母は徐々に会いに来なくなった。早く本を読みなさい、歌を歌いなさい。何度も命令するが、決して手を上げない。レイトは母が牢に入ってこないことを知っていたから、ひたすら逆らい続けた。そうしたら母は会いに来なくなった。


 それからはずっと一人だった。何の音もしない、耳が痛くなるほどの静寂。その無音の世界が嫌で、散々歌わされた歌を歌うようになった。地獄のような思い出しかない歌だが、孤独を紛らわすにはこれしかなかった。その歌を好きになったのは、何とも不思議なことではあるのだが。


 だが、この呪いの声が誰かに与えられたものなのだとしたら、自分の人生は一体何だったのだ。今までは仕方ない、と思えることもできた。生まれつきなんだから、それを恨んでも仕方がない、と。


 だが、この力が誰かに意図的に与えられたものなら、その誰かのせいで自分は地獄の数年間を過ごすことになったということだ。それなら、自分は一体何のために生きているというのだ。本来はする必要のない経験を何故自分がしなければならないのだ。

 自分は一体何のために、誰のために生きているというのだ!


「うああああああああ!」


 自分の経験が、人生が意味のないもののように思えて、レイトは何も考えられなくなった。抑えきれない感情が呪いの力と共に溢れ出る。

 その後のことは何も覚えていない……。

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