第34話 仕方がない

 自分にとって親のような存在だった。幽閉されている間、一度も会いに来なかった実父よりも、あの地下牢から助け出し、生活の知恵を教えてくれたセナのほうが、余程父らしく思えた。


「ちょっと待ちなさい。申し子が独断で服従の調べを他人に譲渡できるわけがないわ」


 六花がきつい口調で問い詰める。セナは六花の態度を特に気にしたふうもなく、穏やかな口調で答えてきた。


「もちろん、光の精霊の許可はもらいましたよ」


 不承不承といった感じでしたけどね。セナは少し間をおいて続けた。


「私は仕事柄、一つの世界に長く留まるわけにはいかないんです」


 セナの言葉にレイトは伏せていた顔を上げた。


「……まるで、世界が複数あるように聞こえるな……」


 レイトはセナを睨みつけた。裏切られた、とレイトは思った。

 生まれつきだと思っていた声の呪いの力。だからこそ、地下牢から助けてくれたセナには心の底から感謝していたのに。

 その力が、誰かによって与えられたもので、しかもその誰かが自分を助けてくれた張本人だったなんて。


 少し前と同じだ。自分は一体何のために生きているのだ。まさか、セナの代替品だとでも言うのか。


「そうですよ」


 セナはレイトの感情に気づいているのかいないのか。一切の感情を消し去った表情で答えた。


「この世界は数多ある世界のうちの一つ。全ての世界はある場所を挟んで繋がっているんですよ」

「……はあ……?」


 レイトは苛立ちを隠そうともしない。


「ずいぶん荒唐無稽な話ですね……」


 クレアが低い声で呟いた。


「信じられないのも無理ありません。ほとんどの人が、自分達が暮らしている世界の外に別の世界があるなんて知らないまま生きて、知らないまま死んでいきますからね」


 セナは無表情のまま答える。彼はさらに続けた。


「本来なら、別の世界へ通じる入り口が開くことはまずありません。ですがごく稀にその入り口が開くことがあるんです。その入り口は吸引力が強いので、入り口に近づいた人が吸い込まれることがあるんです。そうやって吸い込まれた場合、まず戻って来れませんから、周囲からは突然消えたように見えるんですよ。これが俗に言う神隠しです」


 セナは淡々と続ける。

 到底信じられる話ではなかった。自分達が暮らしているこの世界の外に別の世界があり、それらは間接的に繋がっている。理解はできるが、まるで現実感がない。全てセナがその場の勢いでついた嘘なのではないか、とさえ思えてくる。


 だが今はセナの話の真偽を考えている場合ではない。レイトは静かに立ち上がり、セナのほうへ歩いて行く。


「レイト……?」


 マリーが不安げな声で名を呼ぶが、レイトはそれには答えず、セナに詰め寄った。


「……そんな話なんてどうでもいい。……セナ、何でオレに服従の調べを渡したんだ? 自分の代わりにでもするつもりか?」


 レイトは自分でも聞いたことがないくらい低い声でセナを問い詰めた。返ってくる答えなど、わかりきっていたのだが。


「……そうですよ」


 セナは少しだけ間をあけて答えた。

 答えを聞いた瞬間、レイトはセナの胸倉を掴み、後方の壁に押し付けた。


「ふざけるな! そんなことオレが受け入れるとでも思ってるのか!? 長く世界に留まれないなら申し子になんかなるな!」


 感情的になってしまわないよう、レイトはつい感情を抑えてしまう。感情的になれば、服従の調べが制御できなくなってしまう。本来ならしなくていい行為だ。

 レイトは慣れてしまっている自分が嫌だった。


「……私に怒りをぶつけるのはやめてもらえませんか?」


 そこで初めてセナの口調に怒気が含まれた。顔は無表情のままなのに、声だけが明らかに違う。それが不気味な感じがして、レイトは思わず、胸倉を掴んでいた手を離してしまった。


「……っ……!」


 レイトは数歩後ずさる。


「私も光の精霊に騙されたんです。私に恨み言を言われても困るんですよ」


 セナは衣服を整えながら続けた。その言葉には怒りと、僅かな苛立ちが混ざっているように思えた。


「騙されたって……」


 それまで黙っていたレオナルドがポツリと呟いた。セナはレオナルドを一瞥すると、すぐに逸らし、さらに続けた。


 光の精霊は申し子がいない時が長く続いた。それを他の精霊から指摘されることが多かった。冗談混じりにからかってくる精霊もいたらしい。さすがに光の精霊は腹が立ち、たまたまこの世界を訪れていたセナに申し子になるよう依頼した。

 セナも最初は断ったのだが、光の精霊は次の申し子を見つけるまでで良いから、とかなり強引に申し子の話を進めてきたのだ。


 だが、それからというもの、光の精霊は次の申し子を全く探そうとしなかった。催促をしても、今はまだその時ではない、とか、相応しい器の力を感じない、などと言って動こうとしないのだ。セナはさすがに頭にきて、「なら私が探してきます!」と言った。そうしたら光の精霊は待ってましたとばかりに「そうか、ではよろしく頼むぞ」と返してきたという。


「何か……、精霊って厳格なイメージだったけど、そうでもないのかな……」


 マリーが驚いた表情で呟いた。レイトも同感だった。

 精霊は自分にも周りにも厳しく、妥協を許さない性格だと思っていた。書物などに出てくる精霊は皆、そのような存在だ。セナの話とは似ても似つかない。


「……だから仕方ない、なんて言うつもりか?」


 レイトは自分の感想を頭の隅に追いやって問うた。自身が俯いているので、セナの表情はわからない。どうせ無表情だろう。


「そうですね」

「っ……!」


 その言葉にレイトは弾かれたように顔を上げた。


「だって仕方ないでしょう。私は長く一つの世界に留まることはできません。ですが、申し子は誰かがならなければいけないんです。たまたまレイトさんに白羽の矢が立っただけですよ」


 セナは淡々と続けた。

 確かにセナの言う通りだ。セナの本業が何かは知らないが、この世界に長く留まれないなら、申し子としての立場を誰かに渡さなければならない。これをどう足掻いても変えられないと言うなら、別の誰かを申し子にしなければならなくなる。だからその「別の誰か」が自分だったというだけだ。


 だからセナは過去にレイトを助けたのだろう。服従の調べを譲渡して、助けるまでの間に十年近い間があった理由はわからない。だが、助けたのは死なれては困るからだ。


 大人はいつだってそうだ。こちらの気持ちなどまるで考えず「仕方がない」と口にする。


『かわいそうだけど仕方ないよ』

『そんなことしたらクビになる。オレ達にも生活があるんだ。仕方ないよ』


 助けてほしいと懇願したのに、皆は口を揃えて言う。


「……大人はいつだってそうだ……」


 レイトは再び俯いて呟いた。仕方がない、はずるい言葉だと思う。子供心に考えたものだ。もし、レイトを牢から出せば、出した相手が王妃から厳罰を喰らう。そうなればその者は生活ができなくなるかもしれない。家族がいれば、その家族も辛く苦しい生活を強いられるかもしれない。


 自分が我慢すればいい。そうすれば丸く収まる。だから、仕方ない。


「大人はいつだってそうだ! もっともな理由をつけて仕方ないって言う! そう言えばオレが我慢するって知ってる! もうたくさんだ! たくさんなんだよ!」


 レイトは再度セナの胸倉を掴んで叫んだ。

 仕方がない。ああ、そうだ。仕方がない。そんなことはわかっている。あの兵士達にだって生活がある。命令違反をするわけにはいかない。自分だって仕方ない、で済ましてきたことがあったかもしれない。レイトも大人なのだ。


 だが子供の頃、散々我慢を強いられてきたのに、今もまだ我慢を強いられる。自分は一体いつまで我慢すればいいのだ。


「レイトさん、いい加減にして下さい」

「っ……!」


 セナはレイトの左手首を掴んで捻り上げた。大して鍛えていないはずなのに、セナの手は信じられないほどの力がこめられている。


「レイトさん、生きている以上、我慢は強いられるんですよ。我慢せずに生きていくなんてできないんですよ」


 今まで穏やかな口調と表情を崩さなかった彼が、ぞっとするほど怒りを露わにしている。昔、共にいた時も一度たりとて見たことはなかった。まるで別人のように見えて、レイトはただ純粋に怖かった。


「……これ以上何か言いたいのなら、光の精霊に直接言って下さい。彼は光の山にいます。そこでお待ちしていますよ」


 セナは吐き捨てるように告げると、部屋を出て行った。


「セナ!」


 レイトは咄嗟に後を追って外に出るが、セナの姿はどこにもなかった。


「テレポートね……」


 六花の声が背後から聞こえてくる。


「くそっ……!」


 レイトは入り口の扉に拳を打ちつけた。

 生きている以上、我慢は強いられる。そんなことは知っている。だが、その我慢を強いたのはセナ、お前ではないか。

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