第14話 呼びたいなら呼べばいい
翌日、レイトは散々迷ったが、エリンを連れて行くことにした。
最初は反対だったのだ。いくら人並み外れた聴覚や嗅覚を持っていたとしても、目が見えないというハンデはいずれ表に表れるだろう。もしかしたら、それで致命傷を負ってしまうこともあるかもしれないのだ。
だがエリンは頑として言うことを聞かなかった。どれだけ説得しても、ついて行くと言って聞かなかった。何も一人ぼっちで置いていく、と言っているわけではない。ちゃんと面倒を見てくれる人の所へ連れて行くつもりだったのだが。
エリンの気持ちに対して、ハウエルは寂しいのだろう、と言っていた。いくら自分の事を忘れているといっても、マリーは彼女にとってたった一人の姉であり、家族なのだ(まだ決まったわけではないが)
レイトには一応弟がいるが、一度も会ったことがない。大切な家族、という認識がないため、エリンの気持ちを理解することができない。だが、自分が大切に思っている相手に忘れられるというのはとても寂しいことのように感じられた。
レイトは数メートル先で魔物と戦っているエリンを眺めた。魔物が近づいている気配に彼女が真っ先に気づいたのだ。
エリンは盲目でありながら、魔物との間合いを正確に計り、両手に持ったナイフで魔物の喉を切り裂いた。
断末魔の雄叫びを上げて魔物は地に倒れ伏した。
「本当に盲目なんですか……?」
クレアが訝しげな顔を向けてくる。わかっているのだが信じ切れていない、といった感じだ。
「ああ。初対面でオレをお姉ちゃんって言ったしな。ちゃんと目が見えてるなら、オレをお姉ちゃんなんて呼ぶはずがないさ」
「はあ……」
クレアの返事はまだ納得しきれていないようである。
クレアの気持ちはわかる。レイトもたまに忘れそうになるからだ。
「お姉ちゃん!」
魔物を倒したエリンが嬉しそうにマリーのところへ駆けて行った。
「………」
マリーは無言で彼女を見下ろした。
「どう? あたし、強くなったでしょ?」
エリンは自慢げにガッツポーズを取った。
「確かに強いけど、私はお前のお姉ちゃんじゃない。そんなふうに言われても困る」
マリーは顔をしかめて言い放った。エリンは泣きそうな顔で俯いたが、泣くことはなく、きつく目を閉じてハウエルのほうへ走って行った。泣くのを堪えるかのようにハウエルに抱きついている。
レイトは小さく溜め息をついて、先頭を歩いているマリーの隣まで歩いていく。
「マリー。エリンのこと、何も覚えてないかもしれないけど、あんまり冷たくあたるなよ」
レイトはきつい言い方にならないように、なるべく優しく言った。
「冷たくなんてしてない。ただ、あいつにお姉ちゃんと呼ばれると頭が痛くなるんだ」
マリーはレイトの口調など気にしたふうもなく、顔をしかめたまま答えた。
「頭が……?」
「あいつにお姉ちゃんって呼ばれると、何か忘れてはいけない大切なことがあったような気がして……。それが何なのか思い出そうとしても何も思い出せなくて、頭が痛くなるんだ……」
マリーは悲しそうな顔をして俯いた。思い出したくても思い出せない。それでイライラが募るのだろう。
「そうか……。でも悪いけど、エリンがお前をお姉ちゃんと呼ぶのは許してやってくれないか?」
そうか、わかった、とはレイトは言わない。自分に同様の経験がない以上、マリーの気持ちを真に理解することなどできないからだ。レイトにできるのは、仲間内のコミニュケーションを円滑にできるようにするだけだ。
「何でだ? 私はあいつのお姉ちゃんじゃない」
マリーは少しムッとして聞いてきた。
「……例えば、明日オレ達が突然記憶喪失になって、お前なんか知らないって言ったらどうする?」
レイトの問いかけにマリーは大きく目を見開いた。
「そんなの嫌だ! レイトは私を助けてくれた。私はレイトのこと大好きなのに……!」
マリーは泣きそうな顔になって俯く。先程のエリンと同じだ。だからレイトはこう答えた。
「それが今のエリンの気持ちだ」
マリーははっとして顔を上げた。
「何も家族だけじゃない。大切な人に忘れられるってことがどれぐらい寂しいか、マリーならわかるだろう?」
レイトはエリンを振り返った。つられてマリーも彼女を振り返る。エリンはハウエルに負ぶってもらっている。顔を伏せているので、どんな表情をしているのかはわからない。
「………」
マリーは無言で俯いた。その瞳にはほんの僅かだが、後悔の色が見て取れた。レイトは気づかないフリをして、マリーが話し始めるのを辛抱強く待った。
「……わかった。次の野宿の時に話す……」
マリーは小さい声で答えた。
「そうか……。無理させてすまないな……」
レイトは優しく微笑み、マリーの頭を撫でた。
★ ★ ★
その日の夜は街道脇の林で野宿をすることになった。見通しの良い場所のほうが魔物に襲われた時に逃げやすいのかもしれないが、それだとどこから襲われるかわからない。それなら、太い木や大きめの岩などを背にしたほうが少なくとも背後から襲われる危険はなくなる。
レイト達は林の中に一回り大きな木を発見した。今日はここで休むとしよう。
「……エリン」
食事を終えた頃、マリーがおもむろに口を開いた。
「……何……?」
焚き火を挟んで向かい側にいるエリンは少し怯えた様子でマリーのほうを見た。
「私は、エリンのことを覚えていない……。それでも私をお姉ちゃんと呼びたいのか……?」
マリーは静かに問いかけた。相変わらず無表情だったが、少しだけ寂しさが混じっているように見えた。
「……うん。だって、お姉ちゃん、だし……」
エリンは「お姉ちゃん」と言うのを僅かに躊躇った。マリーに言われたことを気にしているのだろう。
「……私には昔の記憶がない。いつか思い出すかもしれないし、思い出せないかもしれない。もしかしたら私が姉ということがお前の記憶違いということもある。それでもいいなら、好きにすればいい……」
マリーは言い終わらないうちにそっぽを向いてしまった。
エリンは目を丸くしてマリーを見つめている。
「私を、お姉ちゃんと、呼びたいんだろう……?」
エリンが何も答えないので、マリーは再度問いかけた。
「……うん……、呼んでもいいの……?」
エリンは俯きがちに聞き返す。
「だから、好きにすればいい……」
マリーはそっぽを向いたまま答える。
「……ホント? ホントにいいの?」
エリンは焚き火を迂回してマリーの隣に座り込んだ。
「だから、呼びたいなら呼べばいい……!」
「お姉ちゃん!」
マリーが少し大きめの声で返すと、エリンはそれ以上の大きな声でマリーに抱きついた。
「ちょっ……くっつくな!」
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
エリンはマリーの抗議には答えず、しがみつくように抱きついている。その目には涙が浮かんでいた。
「好きにさせてやったら?」
二人の様子を見ていたレイトは笑いを含んだ声で呟いた。
「っ……!」
マリーは一瞬だけレイトを睨みつけたが、すぐにエリンへ目を向けた。
「……お姉ちゃん、か……」
レイトからはマリーの表情は見えない。だが今まで聞いたことがない優しげな声を聞いて、きっと僅かでも微笑んでいるだろう、と思った。
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