第1話 少女の意思

 優しい音色が広場に響く。昼間でも人通りが多くない場所なのだが、今はその音色に誘われて普段では考えられない程の人数が広場に集まっている。


 ネーリスの村の広場ではベレー帽をかぶった青年が竪琴を奏でていた。薄い茶髪を耳が隠れる程度に伸ばし、明るい茶色の上着をベルトで留めている。足元には長旅用の荷物が置いてあり、明らかに旅の吟遊詩人を思わせる格好だが、目を閉じて演奏する姿はとても幻想的で、まるで絵画から抜け出てきたような雰囲気だ。演奏に聴き入る村人達も、彼のそういった雰囲気に目を奪われているのだろう。


「相変わらず素敵な演奏ですね」


 村人達の間から現れたのは、淡い水色のマントを羽織った青年だ。やや年上に見える彼は竪琴の青年の側まで来ると、首を僅かに傾けて穏やかに微笑んだ。


「ああ、クレアか。背中の傷はもういいのか?」


 竪琴を奏でていた青年、レイトは幼さの残る顔を青年に向けた。


「はい、おかげさまでだいぶ良くなりました」


 クレアと呼ばれた青年は風で揺れる髪に目を細めながら答えた。


 実はこのネーリスの村には医者がいない。レイトはこの村にはあまり滞在するつもりはなかったのだが、医学の心得があることを村人に知られてしまってからというもの、旅立とうとすると引き留められる始末である。そうして滞在しているうちに背中に大怪我を負ったクレアが村にやってきた。死ななかったのが奇跡としか言えないような大怪我で、レイトも初めて彼を見た時は、血まみれのその様に近づくのを躊躇した程だったのだ。


「そうか。じゃあ包帯替えるから一旦宿に行くか」


 レイトが荷物を手に取りながら言うと、クレアは「はい」と頷いた。並んで歩くとクレアの方が僅かに背が高い。


「そういえばレイトさんは竪琴の他にも何か楽器を嗜んでいるんですか?」

「いや、これだけだよ」


 レイトは竪琴を目の前に持ってきて答える。

「この竪琴も旅を始めてから練習を始めたから、そんな上手いわけでもないんだよ」

「そうなんですか? 私にはとても素晴らしい演奏に聴こえますが…」


 クレアは目を少し見開いて答えた。


「ならそれはきっと竪琴がいいからだな」


 レイトはおどけた調子でさらに返す。

 宿に着くと、レイトは従業員に手をあげて答え、クレアと共に彼の部屋へと向かった。


 クレアの部屋は驚くほど荷物が少なかった。だがレイトはその理由を知っている。クレアも一人旅をしていたらしいが、大怪我を負った際に、荷物のほとんどを無くしてしまったようだった。怪我が治れば、お金を貯めてまた旅を再開するのだとも言っていた。


「それではお願いします」


 クレアはレイトに背中を向けたままの格好で服を脱ぎ始めた。マントを外し、軽めの甲冑を外していく。


「だいぶ綺麗になったな」


 レイトはクレアの包帯を外しながら言った。左上から右下に向かって走る傷跡は痛々しかったが、出血はしておらず、完全に塞がっていた。後は傷跡も綺麗に治ってくれれば良いのだが。


「傷口は塞がっているけど、服で擦れないようにちょっとだけ薬つけて包帯巻いておくからな」

「はい、ありがとうございます」


 レイトはクレアの返事を聞いてから、背中に軟膏を塗り始めた。


「……あの、ずっと気になっていることがあるのですが……」


 クレアは躊躇いがちに声をかけてきた。


「ん?」

「レイトさんは歌は歌わないのですか?」


 クレアの問いかけにレイトは軟膏を塗る手を止めた。


「この村にいる間、レイトさんが歌っているところを一度も見たことがないので……」


 クレアは問いかけを続けてくる。レイトは一瞬だけ脳裏をよぎった光景を振り払うように目を閉じて顔を左右に降った。


「あの……、聞いてはいけませんでしたか?」


 クレアがレイトの雰囲気が変わったことを気配で察したのか、背後を振り返ろうとしてくる。


「動くな」


 レイトは咄嗟にクレアの頭を軽く叩いて動きを制した。


「あ、すみません……」


 クレアが沈んだ声で謝罪してくる。その必要以上に沈んだ声には、余計なことを聞いてしまったことへの謝罪も含まれているような気がした。


 事実「余計なこと」ではあるが、気になるのも当然だとレイトは思った。目を伏せて竪琴ばかりを演奏する。そういうスタイルだと言えば良いのだが、やはり吟遊詩人は歌ってこそだ、という思いが世間にはあるのだろう。


 レイトには生まれつき不思議な力があった。彼の声を聞いた者は人間だろうと魔物だろうと服従させてしまう。虜にしてしまうのだ。

 子供の頃は力の制御ができず、力に囚われた母親によって地下に幽閉され、喋ることを、歌うことを強要された。やめてと叫んでも、その声にすら母親は囚われてしまう。

 だからレイトは死物狂いで制御方法を身につけた。


「そんな気にすんな。単に音痴なだけだよ。ほら、終わったぞ」


 レイトは場の雰囲気を変えたくて殊更に明るい口調で返した。今は普通に喋ることができる。

 でも、歌えない。歌ったら何故か力が暴走した。


「ありがとうございます。吟遊詩人で音痴というのは致命的な気がしますが……」


 クレアは苦笑して答えた。レイトの雰囲気が明らかに変わったことに気づいているだろうが、クレアはそれ以上の追求はしなかった。


 翌日、レイトはクレアを連れて村の中を散歩していた。ここ二、三日安静にさせていたから、リハビリも兼ねて村の中を見て回っているのだ。

 生きているのが奇跡なくらいの大怪我が二、三日の安静で歩けるぐらいに回復するのかと思ったが、クレアの回復速度は異様に速かった。治癒系の魔法が使える、というのも理由の一つだろうが、それだけではないような気がした。


「ここは……?」


 クレアが一際大きな屋敷の前で足を止めた。小さな村には似つかわしくない豪華できらびやかな屋敷だ。何と庭には噴水まである。確か領主の屋敷だ。


「こんな小さな村のどこにここまでの金があるんだよ……」


 レイトは小さく悪態をついた。


「聞こえますよ、レイトさん……!」


 クレアは慌てて口元に指を立てて咎めてくるが、レイトはふん、と鼻を鳴らして屋敷を見上げた。ふと、窓に誰かが立っているのが見えた。遠くてわかりにくいが、少女のようだ。


「ここの娘さんでしょうか……?」


 クレアも気づいたのか、屋敷を見上げて呟いた。


「いや、バストアップしかわからないが、肩丸出しだぞ。この辺りの格好じゃないだろ」


 レイトは窓を見上げながら答えた。

 少女が窓から見えなくなった。屋敷の奥に向かったのだろうか。向こうもこちらに気づいていると思ったのだが。しばらく待っていると入り口から先程の少女が出てきた。胸の部分だけを隠した肩丸出しの格好だが、よく見ると忍び服を腰帯で留め、上半身だけ脱いでいるようだった。


「……ここに何か用ですか?」


 少女は感情のこもっていない声で問いかけてきた。


「え……、ああ、別に用があるわけじゃないんだ。散歩してたらたまたま通りかかっただけなんだ」


 レイトは内心驚いたが、何とか表に出さないようにして答えた。

 少女の顔には何の感情も表れていない。それなのに、夜闇のように黒い瞳はとても強い意志が宿っている。必死に、これでもかというほど強く訴えている目だ。だがレイトには何を訴えているのかまではわからなかった。


「そうですか……。この村にはあまりいないほうがいい……」

「え……?」


 クレアが聞き返したが、少女は何も答えずに屋敷に戻って行ってしまった。


「どういう意味なんでしょうか?」


 聞く相手がいなくなったからか、クレアはレイトに呟くように問いかけてきた。


「さあな……」


 レイトはクレアの方を見ずに返すと、少女が消えた先を眺めた。強い意志を秘めた瞳。少女は自分達に何を求めていたのだろうか。

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