第8話 不気味な日常
森を抜けて三日目。国王がふと話しかけてきた。
「レイト殿、お主は精霊の存在を信じるか?」
「精霊ですか?」
レイトは街道を歩く速度を緩めずに聞き返した。
「そうじゃ。この世界は数多の精霊達によって支えられている、という話じゃ」
国王は空を見上げて答えた。
その話は聞いたことがある。各地に根付いている精霊信仰の考え方だ。
「実際に見たことはありませんが、信じているほうですね。でなければ、魔法なんて現象が起きるわけがありませんから」
レイトは少しだけ肩をすくめて答えた。
この大気中には精霊達の力が染み込んでいる。その力は人間が持つ魔の力、魔力と相性が良い。だから人間は魔力を使って大気中に染み込んでいる精霊達の力を集め、様々な魔法を使うのだ。
「ふむ、確かにそうじゃな」
「陛下は信じておられるのですか?」
レイトは隣を歩く国王へ顔を向けて聞いた。すると国王は少しだけ明るい表情で答えてきた。
「うむ、信じておるよ。子供の頃に一度だけ見たことがあるのじゃ」
「えっ……!?」
国王の言葉にレイトはさすがに驚いた。精霊は普段、自然の中に溶け込んでいて、まず見つけることはできない。だからこそ、精霊の存在を信じる者とそうでない者が出てくるのだ。
それを指摘すると、国王はしっかりと頷いた。
「うむ、だからワシも信じておらなんだが、あの夜から考えを改めたよ」
子供のように目を輝かせて話す国王は、少し間をおいてその時のことを話してくれた。
「もう何十年も前のことじゃが、夜中にふと目が覚めてな、城内をふらふらと歩いて、バルコニーに来た時に見たんじゃ。夜空を泳ぐように飛んでいる精霊をな……」
それは二対四枚の羽根を持っていて、明らかに人ではなかった、と国王は続けた。
確かに精霊である可能性は高そうだが、レイトはいまいち信じられなかった。
「……失礼ですが、それは本当に精霊だったのですか? その話ですと、ただの鳥のようにも聞こえるのですが……」
だからだろうか、ついそんな質問が口から出てしまう。二対四枚の羽根を持つ鳥はたくさんいるのだ。
「ふむ。確かにの。羽根を四枚持つ鳥は五万とおるからな。現に我が国の国鳥も四枚羽根だ。じゃが、ワシが見たのは夜空に消えてしまったのだ」
「消えた?」
レイトは国王の言葉の最後を繰り返す。
「うむ。建物の陰に隠れたのではない。空中で突然ふっと消えてしまったのじゃ」
国王はレイトを説得するように話してくる。これは精霊だと、レイトに認めてもらいたいのだろう。
確かに突然消えたとなれば、ますます精霊である可能性が高くなる。消えたという現象が自然に溶け込んだ、と解釈できるからだ。
「それは、確かに精霊っぽいですね……」
レイトはまだ信じきれなかったが、国王に同意した。精霊ではない、と否定できる要素もなかったからだ。自分が信じきれないのも、実際に目撃していないからだと納得することにした。
「そうじゃろう!」
国王はとても嬉しそうに首を縦に振った。
少しでも元気 になったならそれでいいか。レイトはホッとしたような、安心した気持ちで国王を眺めた。
★ ★ ★
森を抜けて四日目の朝、ようやくシャロンナイトの港町に到着した。海が近いからか、潮の香りが町全体を包んでいる。町の入り口には見張り台があり、交代で見張りを行っているようだ。魔物の襲撃に備えるためだろう。
レイトは見張り台にいた男性に手を振って答え、町の奥へと進んで行く。目指すは船着き場だ。
「定期船乗り場に行ってみましょう。運が良ければ、今日の定期船に乗れるかもしれません」
「わかった」
レイトの提案に国王こと、ハウエル・リズナディアは頷いた。
シャロンナイトに着く前、ハウエルはレイトに一つ頼み事をしてきた。それは自分を「陛下」と呼ばないでほしい、とのことだった。素性を知られるわけにはいかない、というのが理由の大半だが、ハウエルは国を取り戻すまでは自分のことを「王様」ではなく、一人の「仲間」として扱って欲しい、と言ってきたのだ。
今まで「陛下」と呼んでいた相手を、いきなり仲間と同等の扱いをしろ、と言われてもすぐに切り替えることは難しい。「努力します」と答えたものの、ボロを出さないかと不安になってくる。
定期船のチケット売り場はそれほど混んでいるわけではなかった。レイトは受け付けの女性に、今日乗れる時間はあるか聞いた。
「それでしたら、先程二名様のキャンセルがありましたので、最後の便にお乗りできますよ」
受け付けの女性は乗船名簿を見ながら教えてくれた。
「じゃあそれにします」
「かしこまりました。ではこちらが乗船券でございます。紛失されますと、再発行できませんのでご注意下さい」
受け付けの女性はマニュアル通りの対応をしながら、乗船券を渡してくる。行き先はシデン大陸のロルナの港町だ。
「ありがとうございます」
レイトは礼を言いながら、乗船券を受け取った。代わりに金貨を六枚手渡す。六千リルだ。
「ご利用ありがとうございます。時間を間違えませんようご注意下さい」
受付の女性はまたもマニュアル通りの対応をしてくる。しかもずっと無表情だから愛想がないことこの上ない。文句の一つでも言いたくなるが、やめておいた。今は国王を連れているし、目立つ行動は避けたほうが良い。それにもともと目立つのはあまり好きではないのだ。
乗船券のチケット売り場を離れた後で、レイトはチケットの一枚をハウエルに手渡した。
「見ていて思ったが、乗船券が一枚三千リルというのは高くないか?」
ハウエルは乗船券を眺めながら問いかけてきた。
「それはオレも思いましたが、部屋が最上階、二階部分なので仕方ないかと思います」
「二階と言えば特別室か。節約しなくて良いのか?」
「これを逃すと明日以降になりますし、そうなると追っ手が差し向けられていた場合、この港町も巻き込むことになります」
「………!」
レイトの答えにハウエルは目を見開いて俯いた。理由はもう一つあった。外に直結している部屋のほうが万が一のことがあった時にすぐに逃げることができるからだ。
「……そうじゃな。……忘れておったわけではないが、不気味じゃの……」
ハウエルは声を低くして小さく呟いた。港町の喧騒に掻き消されてしまうくらいの小さな声だ。
「不気味……?」
レイトは怪訝な顔をして聞き返した。
「王都が乗っ取られたというのに、どこにも影響が出ておらん……」
ハウエルは警戒するように周囲を見回した。レイトもつられて辺りを見渡す。
そこでは町の人々や旅の商人達が行き交っている。船着き場の少し開けたところでは、漁から帰ってきた漁師達が魚を競りにかけていた。魚を安く仕入れようとしている商人に漁師は「もう一声!」と言い、値段を少しでもあげようとしている。それを町の子供達が笑い声をあげながら眺めていた。きっとこの港町の普段の風景なのだろう。
王都が乗っ取られてすぐに影響が出るとは思っていないが、目の前の光景を見ていると、王都が乗っ取られたのが悪い夢だったのかとさえ思えてしまう。
「あのレオナルドという男がよほど上手く統率しているのでしょう。ですが、いずれ気づかれます。王都に行った者達が戻って来ないという状況が続けばね……」
王都が乗っ取られたという事実を回りに知られたくなければ、王都に来た者達を帰さなければ良いだけのこと。だが、それが続けばいずれ気づかれる。今はまだ気づかれていないが、時間の問題だろう。
「早く何とかしなければ……!」
ハウエルは視線を地面に落とし、両手をきつく握り締めた。
「焦ってはいけません、ハウエル殿。今のうちに長旅に備えましょう……!」
「そうじゃな……」
レイトがハウエルの肩に優しく手を添えると、彼は力強く頷いた。
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