第26話 本当の目的

 そこは見慣れない小屋だった。木製の古臭い小屋で、ベッドとサイドテーブル以外何もなかった。

 レイトはベッドに半身を起こした。サイドテーブルの上にはうっすらと埃が積もっているのに、ベッドは不気味に思えるほど清潔だった。まるでたった今シーツを取り替えたように見える。


「……っくしゅん!」


 レイトは体を震わせると、ベッドから降りて窓から外を眺めた。どこかの森の中で、雪が降っていた。

 寒いはずだ。くり抜いただけの窓から寒気が流れ込んでくる。


「ネスヴェルディズナじゃ雪は降らないしな……。北の大陸か……?」

「ここはインズバーグ帝国の東の外れだよ」


 レイトの独り言に答えた声の主は、黒い霧と共に姿を現した。


「お前……!? やっぱりあの時死んだわけじゃなかったんだな……!」


 レイトが警戒心剥き出しで問うと、黒髪の少年、レオナルドは面白そうに笑った。


「ふふ。君はなかなか警戒を解いてくれなかったから困ったよ」


 全然困った素振りを見せず、レオナルドはわざとらしく首を傾げて肩を竦めてみせた。


「……みんなの警戒がなくなってきた頃を見計らい、あの場でオレだけを拉致したってことは、やっぱり何かあるんだな……」


 魔物達の食料問題以外に何かが。この一言はあえて口にしなかった。それはレオナルド自身が一番よくわかっているはずだからだ。


「…………」


 レオナルドは笑顔を消し、無言でレイトを見つめた。何度か見た何の感情も映していない瞳。鳥肌が立つほど綺麗な瞳は、見ているだけで、何でも言うことを聞きたくなってしまいそうだ。


「……僕はね、初めて会った時からずっと君のことが気になってたんだ。正確には、その声の呪いのことだけどね」


 先程より低い声で、レオナルドはゆっくりと話し始めた。


「この力のことを知っているのか?」

「知ってるよ。……ねぇ、僕と取り引きしない?」

「………」


レイトは答えなかった。今までの彼の言葉と態度で予想ができたからだ。

 ネスヴェルディズナの王都で二度目に対峙した時の彼の瞳には、レイト達に対する憎しみの感情が感じられなかった。そのくせ、こちらの憎しみを煽る言葉ばかりを口にしていた。


 さらには先程の場で、全員殺せる状態だったにも関わらず、レイトだけを拉致した。それは、レイトだけが自分の願いを叶えられるとわかっているからだ。


「……断る、と言ったら……?」


 レイトは低い声で問い返した。

 レイトの呪いの力を使えば、叶えることができる。動物、人間を問わず、その声を聞いた者を魅了し、虜にする力。それは言い変えれば、自分の虜にさせ、言うことを聞かせる力だ。


「断るの? せっかく歌が歌えるようになるのに?」

「………!」


 レイトは目を見開いた。


「歌、好きなんでしょ? そんな力を持っているのに、吟遊詩人なんて職を選んだのは歌が好きだからなんでしょ?」

「……っ……!」


 レイトは顔をしかめて俯いた。

 そう、ずっと歌を歌いたいと思っていた。孤独を紛らわすために歌い始めた歌がいつのまにか好きになっていたのだ。酒場でも広場でも海でもどこでもいい。力一杯歌ってみたい。そんな思いはずっと燻っている。


「………」


 レイトは目を伏せた。

 この呪いを制御する方法は喉から手が出るほどほしい。だが、レオナルドの取り引きに応じるわけにはいかない。

 レオナルドはレイトに力を使わせて願いを果たそうと考えている。


 レオナルドの本当の目的、すなわち、自殺だ。自殺をするのに、何故レイトの力を使う必要があるのかはわからない。だが、彼は死のうとしている。


 彼に大切な人を殺された人などは「死んでくれるならさっさと死ね」と言うかもしれないが、レイトは彼を見捨てることができなかった。他人を傷つけてまで死のうとする。周りが見えなくなるほど彼は追い詰められているのだ。


 何がそこまで彼を追い詰めるのだろうか。レイトがそれを問おうと口を開きかけた時、また辺りが暗くなった。

 先程のように夜のように暗くなったわけではなかった。レイトの目の前で黒い霧が大量に現れた。そのせいで暗くなったように見えたのだ。


「今度は何なんだ!?」


 レイトはサイドテーブルに立てかけてある自分の剣を手に取った。レオナルドは本当に自分に対して憎しみを持っていないようだ。憎しみなり殺意なり、何かしらあるなら、剣を側には置いておかないはずだ。


「ようやく見つけたぞ……」

「っ……!」


 頭に直接響いているかのような錯覚を覚える。レイトは剣を持っていないほうの手で思わず耳を塞いだ。


「アレイスター……!」


 霧の中から現れた男をレオナルドはそう呼んだ。今までの彼からは想像できないほど低く、怯えた声だ。目だけでレオナルドを見ると、両手が僅かに震えていた。


「誰だ……?」


目の前の男は、黒い霧がそのまま人の形になったかのように上から下まで真っ黒だった。コートのようなローブに黒いグローブ。当然髪も真っ黒だ。ただ肌の色だけが人と同じ、しかも色白なので、夜に彼を見ると顔だけ宙に浮いているように見える。


「今から死ぬ者に名乗る必要などあるまい」


 レイトはレオナルドに聞いたつもりだったが、アレイスターと呼ばれた男が冷たく言い放った。


「あっ……ぐっ……!」


 レイトは一瞬で黒い霧に捕まり、首を締め上げられた。恐ろしく腕力の強い手で締め上げられているようだ。レイトは霧から逃れようとするが、両手を動かす度に霧は四散し、自分の首を掻き毟るだけになってしまう。剣はいつのまにか落としている。


「やめろ!」


 レオナルドはアレイスターからレイトへ伸びている黒い霧を切断するように腕を振り下ろした。火花が散ったような音がして、黒い霧は切断された。


「げほっ……ごほっ……!」


 黒い霧から解放されて、レイトは大きく咽こんだ。圧迫されていた喉に冷たい空気が入っていく。


「あの場で私の力を使ってくれたおかげでようやく見つけたぞ。私の申し子という栄誉な立場でありながら、自殺などというそんなくだらないことを考えていたとはな」

「くだらなくなんかない! 僕はもう嫌なんだ!」


 二人のやりとりを聞きながら、レイトは内心で驚いた。

 あの男は闇の精霊だ。「私の申し子」と言っているのだから間違いないだろう。精霊が目の前に現れたことよりも、アレイスターがレオナルドの本当の目的をあっさりと見破ったことのほうがレイトには驚きだった。精霊と申し子は精神的な部分で何か繋がりがあるのだろうか。


「お前は昔から人と関わりすぎる。だから生きているのが辛くなってくるのだ。今もそうだ。服従の調べを持つその男を見つけるのに、一体どれだけの人間と関わったのだ?」

「…………」


 レオナルドは顔をしかめて俯いた。

 アレイスターとレオナルドの会話はまるで理解できない。置いてきぼりを食らっている気分だ。この隙に逃げてやろうかとも思ったが、やめた。精霊から逃げられるとも思えなかったし、レオナルドを置いて行くことなどできなかった。


「……はあ、わかった」


 しばらくの沈黙の後、アレイスターは大きく溜め息をついた。


「えっ……?」


 レオナルドは顔を上げた。


「その男がいるから諦められないのだろう? 服従の調べを持つその男がいる限り、お前は諦めないだろう」


 アレイスターは顔をこちらに向けた。

 服従の調べ。先程も聞いたが、一体何のことなのだろうか。


「アレイスター……?」


 レオナルドは不安な表情で彼の名を呟いた。


「今ここでその男を殺してやるから、たわけたことを考えるのはやめろ」

「っ……!?」


 レオナルドは弾かれたように行動を起こした。


「ちょっ……おい!?」


 レイトの驚きの声を無視して抱きかかえ、窓から外へ飛び出したのだ。

 さすがに頭がついていかない。レイトは何も言うことができず、されるがままになっている。

 レオナルドはレイトを抱きかかえたまま森の上空を飛翔する。お姫様抱っこになっているのはこの際目を瞑ろう。


 二人の話にはまるでついていけないが、助けてくれたのはわかる。レイトはじっとレオナルドを見つめていたが、ふと顔を逸らし、後方に目を向けた。


「私から逃げられると思ったか!」

「ぐぁっ……!」


 突然背後にアレイスターが現れた。特別何かする素振りはなかったのだが、アレイスターが現れたと同時にレオナルドは大きく呻いた。背中を巨大な拳で殴られたかのように、レオナルドは地面に叩きつけられた。当然、レイトも地面に激突することになる。幸い雪が積もっていたので、衝撃はそれほどではなかった。


 追いかけてくる気配はなかったのに。あれではまるでテレポートそのものだ。離れた場所へ一瞬で移動する魔法である。恐ろしく高度な魔法であるため、使える人間は皆無と言われているが……。

 精霊はああも簡単に使えるのか。やはり精霊からは逃げられない───。

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