第27話 雪女
アレイスターの力は圧倒的だった。ポーズをとってそこに立っているだけなのに、レイトは再び黒い霧に首を締め上げられ、レオナルドは重力の魔法でもかけられているのか、うつ伏せに地に押しつぶされている。必死に抗おうとしているが、身動き一つできないでいる。
「あっ……ぐ、うぅ……!」
レイトは無意識に両手を自身の首に持っていくが、その手は何も掴むことはなく、最初の時と同様、自分の首を掻き毟るだけである。
「く……そっ……!」
レオナルドの声が聞こえる。
このままでは殺される。アレイスターはレオナルドの目の前で、レイトを殺すつもりだ。
今死ぬわけにはいかない。マリーとの約束がある。何より今レオナルドの目の前で死ぬと、彼がどうなるかわからない。自殺に何故自分の力が必要なのか知らないが、彼にとって唯一の望みである自分が死ぬと、彼が正気を保てなくなる可能性がある。
「あっ……うぁ……!」
レイトは何とか声に呪いの力を乗せて言葉を口にしようとするが、黒い霧に喉を圧迫され、何も喋ることができない。呻き声が漏れるだけだ。
「そろそろ終わらせてやる。……死ね」
アレイスターが低く呟いた時だった。
突如猛吹雪が吹き荒れた。曇ってはいたが、吹雪になる予兆など微塵もなかったのに。
「くっ……!」
突然の吹雪にアレイスターの集中力が途切れたのか、レイトを捕らえていた黒い霧が霧散していった。霧散というより吹雪によって飛び散っていった、というほうが正しい。
「げほっ! ごほっ……!」
レイトは再び大きく咳き込んだ。
吹雪はまだやまない。視界の隅でレオナルドを襲っていた重力の魔法が消えているのが見える。彼を連れて逃げ出したいが、この吹雪では立つこともままならない。
「……そこまでよ、アレイスター」
鈴のような声が聞こえたと同時に吹雪がやんだ。途端に辺りが静まりかえる。虫の鳴き声一つ聞こえないのが不気味だった。
「まさか貴様が人間に味方するとはな……」
「その子に手を出すことは許さない。立ち去りなさい」
遠くから雪を踏む音が聞こえる。徐々に近づいているようだ。
「断る」
「あなたの力は私には不利だと思うけど?」
木の間から現れたのは淡い水色の服を着た少女だった。胸元が広く開いており、腰には幅の広い帯を締めている。髪は乳白色だ。全身が薄い色でまとまっているので、存在感がすごく曖昧に感じる。本当にそこに立っているのか、思わず目をこすりたくなってしまうほどだ。
「……………」
アレイスターはかなり長い間沈黙していたが、やがて小さく舌打ちすると、黒い霧と共に姿を消した。
助かった、とレイトは思ったが、すぐに頭を左右に振った。現れた少女が味方である保証などないのだ。
レオナルドも同じように思ったのだろう。体勢を立て直し、片膝をついた状態で、少女を睨みつけている。
だが、少女は薄く微笑むと予想外の事を口にした。
「あの可愛らしい男の子がずいぶん凛々しくなったわね」
レイトはきょとんとして少女を見た。レオナルドも同様だろう。
「あの可愛らしい男の子」とはどちらのことだろう。レイトは一瞬考えたが、すぐに理解した。少女の青い瞳はずっとレイトを捉えている。
「知ってるのか……?」
レオナルドが問いかけてくる。レイトはかぶりを振った。
全く記憶にない。第一、レイトが「男の子」だった時には、目の前の少女はもっと幼かったはずだ。どう見てもエリンより二、三歳程度年上にしか見えない。
「覚えていないのも無理ないわね。あの頃のあなたは考えることを放棄していたから……」
少女は悲しそうな顔をした。
──どうして君がそんな顔をするの──?
不意に声が聞こえた。実際に誰かが喋ったわけではない。脳裏によぎった映像が鮮明すぎて声が聞こえた気がしただけだ。
その声は自分の声。かつて母親によって地下牢に閉じ込められていた時、いつからか一人の少女が会いに来るようになった。その少女は頼んでもいないのに、レイトの知らない世界のことをいろいろ話してくれた。
声を出すことも恐れていたレイトは、無言で頷くくらいしか相槌を返せないのに、少女は楽しそうに話してくれた。
だが一度だけ少女が悲しそうな顔をしたことがあった。その時に初めて声をかけたのだ。自分の声に呪いの力があることを忘れて。
「まさか、あの時の……! あり得ない……だって十年以上前のことなんだぞ! 何であの時と同じ姿なんだ!?」
レイトは驚愕に満ちた声で叫ぶ。目の前の少女は当時と全く同じ外見をしていたのだ。
「あんた、精霊なのか……?」
レオナルドはレイトを一瞥した後、少女に問いかけた。
「……そうよ。私の名は六花。この国の人達は私のことを精霊とは認識していないけどね」
その名には心当たりがあった。インズバーグ帝国に古くから伝わっている話の中にその名があった。
「まさか……雪女……? 雪女の六花……?」
「そうよ。思い出してくれたかしら?」
レイトの呟きに、六花は嬉しそうに顔を綻ばせた。
だがレイトには思い出したという認識がない。初めて会った当時に名前を聞いたかどうかも覚えていないし、精霊であることと、六花という名前で昔話を思い出しただけだ。彼女自身を思い出した訳ではない。
「なるほどな。精霊なら、年をとらないのも頷ける……」
レイトが六花に対して何も答えないので、レオナルドが呟くように頷いた。
「……あの時もそうだけど、何で助けてくれたんだ……?」
レイトは申し訳ないと思いながらも話題を変えた。六花はレイトの無言の態度で大体のことを察したのか、特に気にしたふうもなく、口を開いた。
「その質問の前にこの森を抜けましょう。ここは夜になると冷えるわ」
落ち着いた口調で話すと、六花は東へ歩き始めた。
レイトは立ち上がってレオナルドを見た。レオナルドも立ち上がり体についた雪を払う。
レイトの視線に気づいたのか、レオナルドがこちらを向いた。彼は辛そうに顔を歪めると、顔を背けた。
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