第46話 兄か弟か

「もしかしたら、僕には兄か姉がいるんじゃないか、って思っていました」


 レイトの弟、ライアス=メイアーノ=インズバーグは穏やかな笑顔を浮かべてそう言った。


 ライアスは幼い頃から自分が第一皇位継承者だと聞かされてきた。それなのに証であるロザリオを渡されていない。皇家の決まりでは、第一皇位継承者が生まれた時点でロザリオも受け継がれることになっているからだ。だから自分の上には兄か姉がいるのではないか、とライアスはずっと思っていたらしい。


「一度母にロザリオのことと兄弟のことを訊いたことがあったんだけど、はぐらかされてしまって……」


 ライアスは少し俯き、またすぐに顔をあげると、真っ直ぐにレイトを見据えた。


「会えて嬉しいです。連れてきてくれてありがとう、レオナルド」


 嬉しさを全身から溢れさせてライアスはレイトの右手とレオナルドの左手を握った。ライアスが両手でそれぞれの手を握るので、レイトとレオナルドの手の甲が触れ合った。


 目の前の少年は自分の弟だ。それは間違いない。正直ライアスが自分に向けてくる感情に悪い気はしない。だが、家族であると認識することはできなかった。


「……悪いけど、オレはあんたの顔も名前も知らなかったんだ。今更弟だなんて思えない」


 レイトはライアスの手の中から自身の手を引っ込めると、冷たく言い放った。

 自分に弟がいることは知っていた。だがそれはセナによって助け出された後に知ったのだ。知識として知っていただけで、愛情があるわけではなかった。


「………っ………」


 ライアスが息をつめたのがわかる。その顔には絶望と驚愕が入り混じっていた。

 仲間は何も喋らない。


 ライアスはゆっくりレオナルドのほうを見た。レオナルドは目をそらし顔を背けた後、呟くように言った。


「……申し子って知ってる?」

「え……?」


 ライアスは驚いたように声を漏らした。


「この世界には、この世の理を司る精霊達がいるんだ。申し子っていうのは、その精霊達の跡継ぎのことだよ……」


 レオナルドはゆっくりと説明した。その言葉を聞いたレイトはセナへ顔を向けた。セナは目を伏せたが、しばらくするとレオナルドの説明を引き継ぐように話し始めた。


「申し子になるには条件があります。中でも光の精霊の申し子が一番条件が厳しいのです」

「えっ……ちょ、ちょっと待って下さい! いきなり何の話ですか!? レオナルド、この方達は一体……?」


 ライアスは状況が飲み込めないのか、セナの言葉を遮る。存在するかもしれない上の兄弟に合わせるために自分を呼んだ、と思っていたのかもしれない。

 レイトは溜め息をついてライアスを見据えた。


「ライアス、もう一回訊くぞ。申し子については知ってるな?」

「は、はい……」

「さっきセナ……こいつが話してた光の精霊の申し子の候補がお前だ」

「えっ……!?」


 レイトはセナを顎でしゃくった後、ライアスを指差した。


「…… で、だ。申し子になるには服従の調べっていう力が必要なんだが、今まで光の精霊の申し子の代わりをしてたセナがその服従の調べを渡す相手を間違えてな……」


 レイトはわざと言葉を切ってセナを睨みつけた。我ながら子供臭いと思う。


「間違えた……?」

「ああ。オレとお前は良く似ているらしい。セナはオレに渡してきたんだよ」


 レイトの言葉にライアスは無言で目を見開いた。そのままセナを見据える。ライアスにとって服従の調べがどういうものかわからないので、どう反応して良いのかわからないのだろう。


「…… よく、わかりませんが、本来僕に渡されるはずの服従の調べ? が間違って兄う……レイトさんが持つことになったということですか?」

「そういうことだ」


 レイトは頷いた。ライアスが「兄上」と言いかけたことについては触れなかった。

 レイトの返事を聞いた時、ライアスはパッと笑顔になった。その変わりようにレイトは驚き、思わず「どうしたんだ?」と問いかけた。


「だって、レイトさんの服従の調べを僕が譲り受ければレイトさんは苦しみから解放されるんでしょう?」


 ライアスはレイト、セナ、レオナルドを順に見渡した。


「それはそうだけど……。本当にいいの……?」


 嬉々として話すライアスにそう問うたのはレオナルドだ。


「……え……だって、それがあるべき姿なんでしょう……?」


 ライアスは僅かに後退りした。レオナルドのあまりに低い声に驚いたのか、恐怖したのか。


「申し子になると、服従の調べの他に不老の首輪もつけることになる」

「不老の首輪……?」


 ライアスがレイトの言葉をおうむ返しのように呟くと、セナが「これです」と言って、自身の首を指し示した。中央に小さな宝石のついた銀色の首輪。


「これをつければ……」

「歳取らなくなるんだよ!? そうやって精霊が死ぬまで生き続けるんだよ!? 大切な人ができても絶対その人のほうが先に死ぬんだよ!? 何十回、何百回も死に別れるんだよ!? 君は耐えられるの!?」


 説明しようとしたセナを遮り、レオナルドは捲し立てた。ライアスの両肩を掴んでいるレオナルドの手が震えている。


 マリー、フェリオ、ルシアは驚いた顔をしているが、クレアだけは目を伏せていた。クレアも風の精霊をその身に宿した特殊な例とはいえ、不老である。思い当たることがあるのだろう。


「だって理由はどうあれ、兄上が服従の調べで苦しんでいるのは確かなんでしょう? どういうものか知らないけど……。それを持つのが元々僕だったのなら、僕がやらなきゃ……」


 ライアスはレオナルドの両手に自身の手を添えた。レオナルドの両手がゆっくりとライアスから離れていく。

 ライアスは穏やかな笑顔をレイトに向けた。


「僕が申し子になれば、兄上は戻ってきてくれるんでしょう? 本当の第一皇位継承者は兄上なんだから……。もちろん僕も申し子としての責務を果たしながら、兄上のサポートもするつもりだし……」


 ライアスは楽しそうに語っている。レイトが城に戻ることを疑っていない。よくもまあ初対面の人間をここまで信用できるものだ。こいつは何もわかっていない。


「……言っておくけど、オレは城に戻るつもりはないぜ」


 レイトは低い声で言い放つ。一瞬でライアスの顔から笑顔が消えた。

 背後でルシアがハラハラしている気配が伝わってくる。


「な、何故ですか……? 第一皇位継承者は兄上なのに……」

「ちょっとは考えろ。いいか。お前が第一皇位継承者になった時点で、オレは皇族でも何でもないんだ。城に戻る義務も義理もない」


 レイトは答えながら今までずっと首から下げていたロザリオを服の下から取り出した。そのまま引っ張って紐を千切る。ロザリオと一緒に繋がれていた小さな宝石が次々に地面に落ちていった。


「兄上……」

「申し子になるならこのロザリオはくれてやるよ。だが断るならオレが申し子になってやるが、ロザリオは渡さない。どっちか選べ」


 レイトはロザリオをライアスの前に突きつけた。

 ライアスは絶望に似た表情でロザリオを見つめていた。

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