第45話 初めて会う弟
突然体が重くなった。セナから帝都ルヴェンティーナに出られるという鏡を教えてもらい、飛び込んだ途端、体が重くなり、地面に叩きつけられるように倒れ込んだ。
何とも不思議な感覚だ。今までこの体で、この体格で生きてきて、体が重いと感じたことなどなかったのに。まるで自分の体ではないようだ。
「いった……!」
倒れ込んだ時に腹部を床にぶつけのか、鈍い痛みを覚えて、レイトは無意識にお腹をさすった。
ゆっくり立ち上がると、そこは更衣室のようだった。小さめのクローゼットがいくつか並んでおり、レイトの背後には大きな姿見がある。今しがた出てきた鏡はこれだろう。レイトの後に続いてマリー、クレア、フェリオ、ルシア、セナと鏡から現れた。
「ここはどこなんだ……? ずいぶん古そうな建物だけど……」
フェリオが誰にともなく呟いた。
「外に出てみましょう」
クレアの呟きに促されるようにレイトは出入り口に向かった。
木製の扉を開けると蝶番が歪んでいるのか、大きく気持ち悪い音を立てた。その扉が軋んだ音に女神像を見上げていたシスターが気づいた。シワが目立つ年配のシスターだった。レイトは目を見開いた。
「え……!? さっき掃除した時は誰もいなかったのに……」
年配のシスターは両手で口元を覆った。恐ろしい物でも見たような顔で驚いている。
「お、驚かせてすみません! では失礼しますね!」
レイトは慌ててシスターに頭を下げて教会を出た。女神像もあったし、シスターもいたのだから教会だろう。
レイトは全速力でその場から逃げ出し、教会から少し離れた林へ飛び込んだ。自分でも信じられないほどに息が上がっている。周囲が薄暗い。どうやら太陽が沈みかけているようだ。
「レイト、どうしたんだ? 何をそんなに慌てているんだ?」
マリーに問いかけられてもすぐに答えられない。
あのシスターはかなりの歳だった。もしあのシスターが城に出入りしていたなら、レイトのことを知っているかもしれない。
レイトは呼吸を整えた後そう答えると、マリーは「ああ」と納得したように声を漏らした。
「でも、レイト君が幽閉されたのってすごく小さい時でしょ? さすがにわからないんじゃない?」
ルシアが小声で呟く。レイトは首を左右に振った。
「オレは母親似なんだ。オレの母親は滅多に人前に出ることはないっぽいけど、長く城に出入りしてる人間なら、オレの顔を見れば気づくよ。あのシスターが城に出入りしてない保証なんてない」
レイトは木の影に隠れながら答えた。
教会がある背後を振り向くと兵士が三人ほど教会を訪れていた。レイトはゾッとした。
「あれは……!?」
クレアとフェリオも気づいたのか、小さく声を上げた。
「どうやらレイトさんのことを見抜かれたみたいですね」
セナが落ち着いた様子で言った。
「ここを離れよう……!」
レイトはなるべく音を立てないようにその場を離れた。今捕まったらロザリオを奪われる。
帝都には酒場が密集している地域がある。というより、そんな地域があることを知った。レイトは帝都ルヴェンティーナをまともに歩いたことなどなかった。
その酒場が密集している地域から少し北に行ったところに太陽の光が当たりにくい森がある。そこにレイト達はいた。少々酒臭いが我慢するしかあるまい。
「お城からだいぶ離れてしまいましたが、どうやってライアス殿下に会うおつもりですか?」
セナが声を潜めて訊いてきた。ライアスとは現在の第一皇位継承者の名前だ。すなわち、レイトの弟だ。
レイトは無言で考え込んだ。当然正面から行くわけにはいかない。門前払いをくらうか、捕まるかのどちらかだ。かと言って、ネスヴェルディズナの時のような皇族専用の脱出通路なんてものは知らない。
全員が無言になってしばらく経った時だった。
「会ってどうするの?」
聞いたことのある声がした。幼さの残る高めの声。人を馬鹿にしたような口調。ディーナと別れた後に別れてからずっと音信不通だった青年、レオナルドだった。
「レオナルド……!」
マリーが声を荒げるが、さすがに飛びかかることはしなかった。
レイトはじっとレオナルドを見つめた。雰囲気が少しだけ穏やかになった気がするが、気のせいだろうか。
「決まっているだろう。申し子の話をして説得する」
「自分の血を分けた弟なのに?」
レオナルドは間髪入れずに訊き返してきた。
レイトは無言でレオナルドを見据えた。
レオナルドが言わんとすることはわかる。
申し子になればセナやレオナルドと同様、不老の首輪をつけなければならない。大切な人の死を、血を分けた弟に経験させ続けるのか、と。
だが、レイトはこの国に、自分の家族に何の未練もなかった。
声の呪いに囚われていたにも関わらず、レイトが抵抗したら会いに来なくなった母も、牢屋に閉じ込められてから一度も会いに来なかった父も、ましてや顔も知らない弟のことなどレイトにとってどうでも良かった。
「……知るかよ、そんなこと」
レイトは声を低くして答えた。無言を貫いても良かったが、レイトがライアスを説得するという選択を選んだ時点で、自分の胸中はバレているのだ。どちらでも同じだ。
レオナルドはしばらくレイトを見つめていたが、小さく息を吐いて「ついておいでよ」と言い、城のほうへ歩き始めた。
「ちょっと……! どこ行くのよ!?」
ルシアが声をかけるが、レオナルドは無視して歩いていく。
レイトは思わずセナを見た。すると彼はレイトと目を合わせて無言で頷いてきた。
信用しても良い、ということか。レイトは遠ざかっていくレオナルドの背中を見据えた。
どうもセナとレオナルドは同じ申し子同士だけではない関係があるようだ。だが今はそれを追及する時ではない。レイトはレオナルドの後を追いかけた。
城の正門は南側にある。その正門から城を左手に見ながら移動して行くと、もう一つ門がある。正門より幾分か小さい門はそれでも煌びやかな装飾がなされていて、国の豊かさを物語っていた。
城を真上から見た時、南東に位置する小さな門をくぐって少し歩くと、城の中庭に着いた。
中庭の周囲を北国でしか咲かない花が覆っていて、中央にある噴水の周りには花弁が七枚ある花の鉢植えがたくさん置かれていた。その七枚の花弁は全て色が異なっており、虹色に輝いていた。見たことあるのだが、名前は何だっただろうか。
「勝手に入って良いのですか?」
クレアがレオナルドの背中に問いかけた。レオナルドはこちらを振り向いた。
「今日は約束してるから大丈夫だよ」
レオナルドは抑揚のない口調で答えた。その時、近くの扉が開かれた。
一人で入ってきた少年はくすんだ赤い髪を後ろで一つに束ねている。その長さは腰くらいまであり、クセ一つなく、歩く度に風で揺れていた。
確か皇帝である父親が同じ髪色だったはずだ。
レイトにとって、実父ですら顔は愚か、髪の色すら曖昧なのだ。初対面の弟に情などあろうはずもない。
だがレイトは不思議な感覚を味わっていた。
確かに初対面だ。目の前の少年が自分の弟である保証はどこにもない。でも確かにレイトはこの少年が弟だと確信していた。顔が似ているからではない。もっと心の奥底の部分で彼が弟だと感じている。
血を分けた兄弟は例え何年会っていなくても、一目見ただけで兄弟だとわかることがある、とお伽話か何かで見た気がするが、本当なのだろうか。
「…………兄上……?」
「……え……?」
少年の言葉にレイトは言葉を失った。
向こうも初対面のはずである。いくら顔が似ているといっても、他人の空似などいくらでもいるのだ。自分を兄だと認識できるはずがない。あんなお伽話など、嘘に決まっている。
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