第44話 身代わり

 目の前に女性を象った像がある。それは噴水の一部で、女性が持っている水瓶からは綺麗な水が流れていた。その女性はどことなく六花に似ていた。


「ここ、ルヴェンティーナ……?」


 レオナルドは周囲を見渡した。雪が積もっている遊具がある。それらで遊べない子供達が笑い声をあげながら雪合戦をしていた。

 砂漠で炎の精霊と話をした後、どうやらいつの間にかインズバーグ帝国の帝都に来てしまったようだ。


 いつだったか、申し子候補の気配を感じ、何となくここに来たらレイトを見つけたのだ。その時既にレイトは服従の調べを持っていた。

 レオナルドはすぐにレイトが申し子候補ではないことに気づき、その弟が候補であることに気づいたが、特に何かするわけではなかった。これならいける、と思っただけだった。


 噴水から少し離れたところに人だかりを見つけた。人だかりの中心にいるのは身なりの良い少年だ。まだ幼さの残る顔立ちで、雰囲気がレイトに似ている。

 レイトの弟だ、とレオナルドは思った。

 ふと少年と目が合った。少年は少し驚いた顔をしたが、すぐに目を閉じて笑った。物腰が柔らかそうな少年だ。

 少年がこちらに近づいてきた。後ろからついてくる大柄な男兵士達は護衛だろうか。


「突然すみません。あなたがあまりにも薄着なので驚いてしまって……」


 少年はレオナルドの腕を示した。レオナルドが着ているのはハイネックだが、ノースリーブだ。


「え、ああ……。寒さには強いから、大丈夫……」


 レオナルドは服装のことを言われるとは思わず、咄嗟にそう答えた。別に寒さに強い、というわけではない。申し子になって精霊の加護を受けると、暑い寒いを感じなくなるのだ。


「今年の冬は特に冷えますから気をつけて下さい」


 少年はレオナルドの言葉を特に疑うことはせず、自身が首に巻いていたマフラーを差し出してきた。背後にいる兵士達が少年を嗜めようとするが、少年はやんわりと制した。

 レオナルドがマフラーを受け取ると、少年は満足そうに微笑んだ。


「それでは……」


 少年はそのまま踵を返した。

 レオナルドはマフラーを眺めた。とても肌触りの良いマフラーだ。高級品なのだろう。

 その物に頓着しない性格は、レオナルドにかつての少女を思い出させた。


 かつてレオナルドを慕ってくれた少女、ナディアは不治の病にかかる前、仕事で稼いだお金でずっと欲しかったペンダントを買ったと言っていた。お気に入りだと言っていたが、病にかかったことを知ると即捨ててしまったらしい。

 どうせ自分はそのうち死んでしまう。持っていても仕方ない。ナディアはそう言っていた。理由は他にもありそうな気がしたが、レオナルドは追及しなかった。


 レオナルドは少年が歩いて行った先を眺めた。城に帰るのかもしれない。

 あのように他人を思いやれる少年が申し子の候補なのか。レイトの弟ならばまだ未成年なのだろうに。


 今現在、セナの服従の調べを持っているのはレイトだ。正式な申し子の候補はレイトの弟なので、あの少年が申し子となることを承諾すれば、レイトは解放される。だが承諾しなかった場合、レイトが申し子にならなければならなくなる。

 レオナルドはあの少年が申し子になることも、レイトが申し子になることもどちらも嫌だった。

 ではどうすれば良いのだろうか。


「……いっそ身代わりになれたなら……」


 レオナルドは思わず呟いてしまった自身の言葉にはっとした。

 そうだ。この手があった。これなら、二人は申し子にならなくて済むし、自分の願いも叶えることができる。

 これしかない。


     ★  ★  ★


 後方で瓦礫が崩れる音がした。ネスヴェルディズナの王都で瓦礫の撤去作業にあたっていたドルアドは背後を振り返った。女性が尻持ちをついていた。どうやら周囲の瓦礫の山が何かの拍子に崩れてしまったようだった。ドルアドは慌てて女性に駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」

「……はい、ありがとうございます」


 女性はドルアドが差し出した手を握り返してきた。小さな手だ。身長もドルアドのみぞおちくらいまでしかない。しかもフードをかぶっているので顔が良く見えない。


「怪我はしていませんか?」


 ドルアドがやや早口で問いかけると、女性は無言で首を横に振った。萎縮させてしまっただろうか。

 これだから長身というのは不便だ。小柄な女性と話すのは苦手で仕方ない。


「……あの、お尋ねしたいことがあるのですが……」


 ドルアドがどうしたものか、と悩んでいると、女性のほうから声をかけてきた。


「はい……?」


 ドルアドは努めて優しく声を出した。


「薄い茶髪で中性的な顔をした、レイトという男の人を見たことはありませんか……?」


 女性の質問を聞いた瞬間、ドルアドは未来を見た。生まれつき持っている少し先の未来を見ることができる力である。一枚の絵のように未来の様子が脳裏をよぎるのだ。それは一瞬なのに、何故か細部まで覚えている。


 ドルアドはその未来を見て全身が総毛立った。この女性にレイトのことを話してはいけない。話したらレイトが殺されてしまう。この未来を阻止するには、ここで知らぬ存ぜぬを通すしかない。


「……いや、知らないが……。珍しい名前ではないが、オレの知り合いにも同じ名前の人はいない……」


 ドルアドは女性をしっかり見据えて答えた。目を逸らしてはいけない。嘘だとバレてはいけない。

 女性もドルアドを見上げて真っ直ぐに見返してきた。フードのせいで目元ははっきりと見えないが、時折射抜くような鋭い目が見える。


「……そうですか。ありがとうございました。失礼します……」


 やがて女性は小さく溜め息をついて踵を返した。

 女性の姿が見えなくなった頃、ドルアドは大きく息を吐いた。


 ドルアドは初めてレイトと出会った時から彼が北の大帝国インズバーグ帝国の第一皇位継承者だということに気づいていた。彼は皇妃である母親に良く似ている。それにロザリオの鎖に使う独特の宝石も垣間見えた。

 インズバーグ帝国の第一皇子が行方不明だという噂は聞いていた。信じてはいなかったが、まさか本人が目の前に現れるとは思わなかった。


 レオナルドが死んだと思われていた時、レイトに国に戻らなくて良いのかと訊いたことがある。レイトは複雑な顔をしたが、特に驚くことはなく、「弟がいるから平気だよ」と答えてきた。


 レイトは頭の回転が早く、聡明な男だ。いずれ自分が持っているロザリオが必要になることも知っているだろう。

 今、どこでどうしているのだろうか。無事でいると良いのだが。

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