第32話 声を出させない方法

 その時、空気が震えた気がした。何か聞こえたわけではない。だがマリーは誰かの悲鳴を聞いた気がして弾かれたように空を見上げた。


「どうしたのですか?」


 マリーの後ろを歩いていたクレアが声をかけてきた。その声に気づいてセナもこちらに顔を向けてきた。


「今、レイトの声が聞こえた気がした……」


 マリーは空を見上げたまま答えた。雲一つない青空には何の変化もない。


「……少しずつ近づいているとは思いますが、声が聞こえるほどでは……」


 セナが首を傾げて答えかけた時、明らかに空気が振動した。目に見えない大きな力の波が三人を飲み込んだ。


「こ……れ、は……!」


 力が暴風になって叩きつけてくる。マリーは思わず顔を背けてしまう。

 周囲の動物達が一斉に鳴き出した。動物だけではない。魔物達も雄叫びを上げ始めた。

 この力、覚えがある。マリーの脳裏にあの時のことが蘇る。


 ネーリスの村で村人達に捕まりそうになった時、レイトが「黙れ」と叫んで助けてくれたこと。

 この力の暴風はあの「黙れ」によく似ている。


「レイト!」


 マリーは聞こえるはずがないとわかっているのに、空に向かって叫んだ。


「えっ……!? まさか、この力は……!?」


 クレアがつられて空を見上げる。


「間違いありません。レイトさんの声の力が暴走しています!」


 強く意思を持って下さい、でないと力に囚われます! セナは間をあけずに続けた。

 それと同時に周囲の動物や魔物達がある方向へ向かって移動し始めた。先程まで鳴き叫んでいたのに、突然ピタリと鳴きやんだのだ。


「囚われた瞬間ですね……」


 セナが答えるように呟く。


「飛翔して追いかけましょう! お二人とも、私の近くに……!」


 クレアは魔力を放出する。

 この動物達の後を追えば、レイトに会える。いや、後など追わなくとも、この力の出所を感知すれば良い。この二人なら得意そうだ。マリーはクレアに近寄りながら思った。


「お二人とも、動かないで下さいね!」


 クレアの言葉の後にマリーの体は宙に浮いた。

 ネスヴェルディズナでも経験したが、何とも不思議な感覚だ。自分は魔法を使えないのに、魔法使いの側にいるだけで簡単に体験することができる。クレアに魔法使いなら誰でも空を飛ぶことができるのか、と聞いたら、そういうわけではない、と言っていた。


 魔法使いは基本一つの属性しか扱うことはできず、飛翔魔法は風属性魔法の中でも結構高度な魔法なのだという。「私も覚えるのに苦労しましたよ」とクレアは言っていた。


 森の木々より高い位置を東に向かって飛んで行くと、少し開けた場所が見えてきた。だが、その開けた場所は動物と魔物達で埋め尽くされていた。


 近づくにつれて声の力の影響がより強くなってくる。一切の反論を許さない声。気を抜くと、意識を奪われてしまいそうだ。

 ネーリスの村の時はこんなふうに思わなかったのに。もしかしたら、この力は力を向ける先を選べるのかもしれない。


「レイト!」


 マリーは動物と魔物達の中心にレイトの姿を見つけた。思わずそこへ駆け寄ろうとしたが、クレアに止められた。


「飛翔魔法の影響下から出ないで下さい! これ以上近づいたら危険です! 正気を保っていられなくなりますよ!」

「でもあのままじゃレイトが……!」


 マリーはクレアに掴まれた腕を振りほどこうとするが、クレアの腕力は意外なほど強かった。


「せめて声を出ないようにすれば……!」


 セナが独り言のように呟く。その言葉を聞いて、マリーの頭にある案が浮かんだ。これしかない。


「くっ……!」


 マリーは腕を捻るように回して、クレアの拘束を解いた。


「マリーさん!?」


 クレアの声を無視して、飛翔魔法の影響下から飛び出す。

 マリーは魔物を下敷きにし、落下の衝撃を転がって相殺する。もしかしたら、動物にも怪我を負わせてしまったかもしれない。


 マリーは態勢を整えて辺りを見渡すと、魔物と動物達が敵意剥き出しでこちらを睨んでいる。この人は誰にも渡さない。そんな言葉が聞こえてくるかのように、魔物や動物達はレイトを守るように取り囲んでいく。

 それはこちらの台詞だ。マリーとてレイトを譲る気はない。


「一体何が起こってるの!?」


 どこかで幼い少女の声が聞こえる。だがマリーは気にしない。


「どけえぇぇ!」


 マリーは脇目も降らずに駆け出した。魔物と動物達を殴り、蹴り飛ばしていく。レイトの全身をその目に捉えた時、マリーは彼に飛びかかるように抱きつき、その口を自らの口で塞いだ。


 その瞬間、レイトの力、呪いが一気に流れ込んでくるのがわかる。一切の反論を許さない力。どれだけ抵抗しても、有無を言わさず包み込もうとする力。

 それは強制的に支配しようとする力の波なのに、マリーにはとても気持ちの良い、柔らかなヴェールのように思えた。


 だが、この力に身を任せてはいけない。それは力に囚われたことになってしまう。

 マリーはレイトを助けに来たのだ。かつてレイトがそうしてくれたように。

 今度は私が助ける番だ。マリーは強く思い、レイトに顔を押し付けるように口づけを続けた。


(私の声にも力があればいいのに……)


 そんなことを思った時だった。先程まで洪水のように流れ込んでいた力が突然止まった。周囲に撒き散らしていた力も、突然変異でも起こしたかのようになくなった。強張っていたレイトの全身からも力が抜け、マリーにもたれかかってくる。その時に互いの口は離れてしまう。


 どうやらレイトは気を失っているようだ。マリーはレイトの体を支えた時、自分達が膝立ちの状態であることに気づいた。

 先程まで響き渡っていたレイトの声も止まり、嘘みたいに静まり返っている。少しずつ魔物と動物達が散開していく。あれほどレイトに執着していたのに、振り向きもしない。


「マリーさん! 何て無茶をするんですか!?」

「ですが、おかげで暴走は止まったようですね」


 降りてきたクレアとセナが口を開く。


「あなた達、一体何をしたの……?」


 ついさっき聞いたことのある幼い少女の声が聞こえた。マリーが背後を振り返ると、淡い水色の服を着た少女が驚いた表情で立っていた。レイトやクレアが着ている服とは全然違う、お伽話に出てくるような衣装。


「これはこれは……。珍しい方がいらっしゃるものですね」


 セナは驚いたように言うが、その口調はどこかわざとらしい。


「……セナ……どうしてここに……!」


 セナの名を呟く男の顔をマリーは一日たりとて忘れたことはない。

 レオナルドは覇気のない顔でセナを見つめている。

 今すぐにでも斬り殺したいほどの憎しみが湧いてきた。


「マリーさん、落ち着いて下さい。少し状況を整理しましょう」


 マリーの殺気を感じ取ったのか、クレアが側に屈んで声をかけてきた。


「……わかった」


 マリーは低い声で頷いた。本当は今すぐにでも斬り殺したい。あの男は故郷を滅ぼし、両親を殺した張本人なのだ。

 だが、レイトが彼と行動を共にしているには何か理由があるはずだ。いくらマリーでもそれぐらいはわかる。

 マリーは憎しみの感情をぐっと押さえ込んだ。

 一体、レイトとレオナルドに何があったのだろう。

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