第3話 声の呪い

 マリーはぽつりぽつりと話し始めた。自分には過去の記憶がなく、何年か前にこの村の領主に拾われたこと。領主が自分の体しか見ていないこと。抱かれこそしないものの、毎晩毎晩、体を触られていること。マリーは目をきつく閉じてその場にしゃがみ込んだ。


「……体を触られると、気持ち悪くて吐きそうになる……!」


 マリーの瞳からはついに涙が溢れてきた。堰を切ったように溢れてくる涙は次々に彼女の頬を伝い、地面へと落ちていく。


「助けてほしくて、村の人達に何度も言ったけど……、私が辞めると次は自分が同じ目に遭うからって、誰も聞いてくれなくて……」


 それはいじめに嫌々荷担する者と同じ理由だった。マリーが使用人を辞めれば、領主はきっと別の女性を雇うだろう。村の女性達はそれを嫌がっているのだ。マリーがいれば自分達は安全だ、そんな思いが透けて見える。気持ちはわかるが、レイトには到底許すことはできなかった。


「……だから……ずっと、誰かに……助けて、ほしくて……!」


 マリーは、領主は音楽が好きなのだと言った。レイトが吟遊詩人で竪琴を嗜んでいることを知れば、屋敷に招くと思った。そうなれば、自分の気持ちに気づいて助けてくれるかもしれない、と思ったのだと。


 初対面の人間が助けてくれる保証などない。だが彼女はそんな僅かな可能性にでもすがりたくなるほど追い詰められていたのだ。


「なら、オレと一緒に行くか?」


 レイトはマリーの側にしゃがみ込んで、目の高さを合わせてから問いかけた。


「…………!」


 弾かれたように顔をあげたマリーの瞳にはまだ大量の涙が溢れていた。レイトは上着の内ポケットからハンカチを取り出し涙を拭ってあげると、そのハンカチをそっと彼女の手に握らせた。


「オレは当てのない一人旅だ。あんたがいいなら、オレに拒む理由はないけど?」


 レイトは穏やかに微笑んだ。領主と同じ男の自分と旅ができるのか、という問いはしなかった。今の彼女はそのことに気づいていない。気づいていないならそれで構わないし、気づいたならその時に改めて気持ちを確かめれば良い。今わざわざそれに気づかせて怯えさせる必要はないだろう。


「……うん、行く……! 一緒に連れてって……!」


 マリーは再びきつく目を閉じて叫んだ。


「よし決まり! 行くぞ!」


 レイトは勢い良く立ち上がり、マリーに右手を差し出した。彼女が自分を頼ってくれるなら、レイトはそれに答えたいと思った。何故答えたいと思ったのか、この時レイトはまだ考えたこともなかった。


     ★  ★  ★


 太陽の光も届かない深い森の中で、少年はたくさんの魔物に囲まれていた。だが魔物は少年を襲うようなことはしない。それどころか、膝をつき頭を垂れる魔物すらいる。少年はいたずらっぽい笑顔を浮かべ、自分を慕う魔物達に話しかけた。


「これだけいればいける。みんな、僕の目的のために力を貸して」


 少年の言葉に答えるように、魔物達は一斉に少年に向かって跪いた。


     ★  ★  ★


 朝のうちに旅支度を整えて出発しようと思っていたが、そう上手くいくはずがない。お気に入りの使用人がいつまで経っても戻って来ないことに頭にきた領主は、村の者達を使い、マリーを探させたのだ。

 レイトは村の入り口付近で村人達に取り囲まれてしまった。


「ちょっと、どこ行くつもりよ」


 クレアと同じ年くらいの女性が藪から棒に突っかかってきた。

 ちなみに、レイトの側にはマリーの他にクレアもいる。単に彼は怪我をレイトに見てもらっていたというだけで、一緒に旅をするつもりはなかったのだが、「命の恩人だから恩返しさせて下さい」と言って聞かなかったのだ。


「……私はもう……、屋敷には戻らない……!」


 マリーが少し怯えた様子で答えると、突っかかってきた女性の隣にいた別の女性が口を挟んできた。


「あんたがいなくなったら私達が使われるじゃない。早く戻りなさいよ!」


 別の女性がきつい口調で返すと、マリーは肩を震わせ俯いてしまった。

 レイト達を取り囲む女性達は皆、焦っているような雰囲気だ。恐らく領主が脅したのだろう。マリーを連れて来なければお仕置きだ、と。領主が言うお仕置きがどういうものなのか、村の者達なら良く知っているだろう。だから皆、必死になってマリーを捕まえようとするのだ。

 さすがにレイトは堪忍袋の緒が切れた。


「黙れ!」


 一切の反論を許さないその声に、女性達は身をすくませた。背後からもマリーとクレアの恐怖にも似た感情が向けられているのがわかる。これがレイトが歌わない理由だった。


 レイトはその声に、有無を言わさず人を魅了する力がある。レイトが黙れ、と言えば、どれだけ文句があった人間でも黙ってしまうし、自分を好きになれ、と言えば、相手が自分を殺したいほど憎んでいても好きです、と言わせてしまう。昔は力のコントロールができず、独占欲の強い母親に幽閉されていたこともあった。


 今はコントロールできるようになったが、何故か歌っている間は制御できなくなる。力が暴走してしまうのだ。


「それ以上マリーを犠牲にするような言い方をするな。オレがお前らを助けてやる。だから道を開けろ」


 レイトは感情のままに叫びたいのを必死に抑えながら女性達に話しかけた。力を使ったのは最初の一言だけだ。この力はあまりに危険すぎる。


「……聞こえなかったか? 道を開けろ……」


 レイトは無意識に喉元に左手を持っていく。

 女性達はしばらくその場を動かなかったが、お互い顔を見合わせると、少しずつ移動し、人一人通れるくらいの通路を作り出した。レイトはマリーの手首を掴み、その道を歩いて行く。クレアは勝手について来るだろう。


 この力は危険すぎる。一度でも力が暴走すれば、呼吸することも忘れてしまうほど自分に心酔させてしまう。思いがけず出た言葉が、相手の人生を破壊してしまうことだって有り得るのだ。

 あんな思いは二度としたくない。

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