第29話 あと五分

 意図せず生まれ故郷に帰ってきたからか、レイトはふと昔のことを思い出した。

 レイトが母親によって閉じ込められていた地下牢から脱出したのは九年前、十歳の頃だった。とある青年によって助け出されたのだ。その時に初めて会った男が何故自分を助けてくれるのかわからなかったが、レイトは外に出られるなら誰でも良かった。


 その青年は、レイトに様々なことを教えてくれた。世界の歴史からちょっとした自炊の方法まで、実にたくさんのことを教えてくれた。歌う時だけ声の呪いを制御できないなら、竪琴をやってみたらどうだ、と勧めてくれたのも彼だった。


「どうしたの? さっきから後ろばっかり見て……」


 ふと六花に声をかけられた。背後の方角は帝都がある方角だ。


「ああ、悪い……。ちょっと昔のことを思い出してな……」


 レイトはベレー帽をかぶり直すと、前を向いた。六花の悲しそうな顔が視界に入った。


「……昔って……」


 六花は言いかけて口をつぐんだ。レイトは彼女の態度に小さく苦笑すると、優しげな口調で話し始めた。


「そんなに気を遣わないでくれ。完全に吹っ切れてるわけじゃないけど、普通に話すぐらいはできるから……」

「え、ええ……」


 六花は頷きはしたが、その表情はまだ悲しそうだ。


「何の話だ……?」


 話についていけないレオナルドが眉を片方吊り上げて、半ば睨むようにこちらを見据えてくる。


「昔の話だよ。オレが昔、母親によって地下牢に閉じ込められていたって話」

「えっ……!?」


 レオナルドは目を見開いた。

 ここでレイトは自分のことを話した。母親によって地下牢に閉じ込められていたことや、その時に六花が会いに来てくれていたことを簡単に話した。


 自分のことを話したのは二回目だ。初めて話した相手はフェリオだったが、その時は自分のことを話すのにかなり躊躇った記憶がある。面白い話ではないし、気を遣われるのが苦手だったのだ。

 だが、不思議と今はペラペラと話すことができた。やはり、少しだけ歳をとったからだろうか。


「……と、まあこんな感じだ。面白い話じゃないけど、辛いこと思い出させてごめん、とか言わないでくれよ。……って、お前はそんなこと言うタマじゃないよな」


 レイトはややからかうような口調で言うが、レオナルドは聞こえていないのか、無言で俯いている。


「レオナルド……?」

「……んで……」

「え……?」


 レオナルドが何か言いかけたが、聞き取れず、レイトは思わず声を上げて聞き返した。

「何でそんな辛い目に遭ってたのに、生きていられたんだ……?」


 レオナルドは今にも泣いてしまいそうな顔で問いかけてきた。

 彼の意外な表情にレイトは面食らったが、何とか平静を装い、レオナルドを見返した。答えなど決まっている。


「……諦めたくなかったからだよ」

「諦めたくない……って、何を……」

「生きることを」

「………!」


 レイトが静かに答えると、レオナルドは先程よりも大きく目を見開いた。既に生きることを諦めているレオナルドにとっては、信じられない答えだったのだろう。


「あと五分生きていれば何かいいことがあるかもしれないだろう? 例え今、死んでしまいたいくらい辛かったとしても、あと五分生きていれば、楽しいことがあるかもしれないじゃないか」


 レイトは当たり前のように言った。

 ずっとそうやって生きてきた。今、牢屋に入れられていても、後五分生きていたら、牢屋から出してもらえるかもしれない。牢屋から出られる出来事があるかもしれない。ずっとそう思っていた。例えそれが、無いに等しい可能性だったとしても、だ。


「……だからお前も後五分生きてみたらどうだ?」


 レイトはできるだけ優しい口調で言った。レオナルドは唇を真一文字に結んで俯いている。何を考えているのか。

 レオナルドは少しの間黙り込んでいたが、突然顔を上げると、声を荒げた。


「そんなのとっくにやったよ! それでも僕にいいことなんかなかった! 好きで申し子になったわけじゃないけど、アレイスターに認められて嬉しかったから頑張ったのに……! 君に僕の気持ちがわかる!? 申し子はね、精霊から不老の首輪を与えられて年を取らなくなるんだよ!」


 レオナルドは堰を切ったように叫んだ。ずっと溜め込んでいたものが溢れ出したのだろう。レオナルドはその場に座り込んでしまった。


 年を取らなくなる、と言われてレイトは驚いたが、いろいろ納得もできた。

 ネスヴェルディズナの王都でマリーの記憶が戻った時、レオナルドは彼女に向かって「大きくなったね」と言った。マリーの故郷を襲撃したのは八年前だ。マリーと大して歳が違わないのに、上から目線の言葉が気になっていた。だが不老になっているなら納得できる。


 それともう一つ。不老であるなら、数えきれないくらいの死を見てきただろう。どれだけ親しい相手を作っても、その相手のほうが先に死んでしまう。相手だけが老いていく様を見るのはどれほど辛いことだろうか。


 それを思うと、後五分生きてみたら、と言ったことに罪悪感すら覚えてしまう。申し子は不老であることを知らなかったのだから、仕方ない、といえば仕方ないのだが。

 レイトはレオナルドと目線を合わせるように屈んだが、何と声をかけて良いかわからなかった。


「……ちょっといい?」


 少しの沈黙の後、今まで黙っていた六花が声をかけてきた。

 レイトが無言で六花のほうへ顔を向けると、彼女は無表情で続けた。


「いろいろ思うところもあるみたいだけど、先へ進むわよ。もう少し歩くと村があるわ」

「村……? こんな森の中に……?」


 レイトは立ち上がって東の方角を見た。太陽の光が入り込み、比較的明るい森だが、東の方角は一体いつまで続くのか、と思うほど森が広がっている。


 マリーやクレア達と合流するなら、六花と出会った場所から南に進めば港があるので、船に乗ればすぐである。だが、港はより帝都に近い。もしかしたらレイトを知っている人物がいるかもしれないのだ。物心ついた頃からずっと地下牢に閉じ込められていたレイトを知っている人物などいないかもしれないが。どちらにしてもレイトはなるべく帝都に近づきたくなかったのだ。


 六花は恐らくレイトの心情を見抜いていたのだろう。だから何も言わず、帝都から離れる方向、東へ歩き出したのだ。


「訳ありの人達がひっそりと暮らしているのよ。もしかしたら泊めてくれるかもしれないわ」


 六花はレオナルドを一瞥すると、再び歩き始めた。

 レイトはレオナルドに「行くぞ」と声をかけた。それ以外思い浮かばなかった。六花の後をついて行くと、後ろからレオナルドがついてくる足音が聞こえる。

 レイトは内心ほっとした。


 しばらく歩くと、開けた場所に出た。そこには木材を適当に組んで建てたような家が数軒点在していた。雨風をしのぐためだけに造られたような家だ。村、というよりは集落といった規模だ。「訳ありの人物」達が村や町の規模で集まっていたら、それはそれで嫌である。


 良く見ると、家の側に畑もあるのがわかる。六花はいくつかある畑の一つに、男性が立っているのを見つけて近づいて行った。


「ちょっといいかしら?」


 六花が声をかけると、男性は大きく肩を震わせてこちらを見た。まだ若く、体格の良い男性だ。三十代後半、といったところだろうか。


「…………」


 男性は無言のまま、何も答えない。六花は小さく嘆息して続けた。


「どこか泊まれるところを探してるんだけど、心当たりはないかしら?」


 六花が抑揚のない声で問いかけると、男性はすぐに視線をある一点へ向けた。レイトはつられるようにそちらへ顔を向けるが、そこには周囲と同じ家が建っているだけだった。


「……あの家かしら?」

「ああ……」


 六花が確認するように問うと、男性は一言だけ返して背中を向けた。もうこちらと会話をする気はないようだ。

 六花は呆れた表情でレイトを見上げた。


「取り敢えず行ってみようぜ。空き家かもしれないし……」

「それもそうね……」


 六花は心底呆れた声で答えると、男性が示した家へ向かった。

 その家も周りの家と同じで、木材を適当に組んで建てたように見える。灯りはついていない。レイトは駄目元で扉をノックしてみた。

 やはり何の反応もない。


「……留守、みたいだね……」


 幾分か気を持ち直したのか、レオナルドが小さく呟いた。


「みたいだな……。どうすっ……!?」


 背後にいる二人の意見を聞こうと思い、振り返ったレイトは絶句した。

 先程まで背後には六花とレオナルドしかいなかったのに、もう一人立っていたのだ。


 一体いつからそこにいたのか。足音も聞こえなかった。気配も感じなかった。

 今もそうだ。確かにそこにいるのに、目を閉じれば、本当にそこにいるのかわからなくなる。六花とは違った意味で存在感が曖昧だ。


「何か用……?」


 そこに立っている女性は低い声で聞いてきた。鋭い声と、隙を見せまいとしている佇まいに、レイトは無意識に唾を飲み込んだ。


「……ここはあんたの家か?」

「何か用……?」


 レイトが聞き返すと、女性は同じ言葉を繰り返した。これは肯定、と取っても良いのか。


「……今日一晩だけ泊まらせてもらいたい」


 レイトが静かに答えると、女性はレイト達を順に眺めた。その瞳からは何の感情も読み取れない。


「……食事は出さないからな……」


 女性は言いながらレイト達を押しのけて家へ入って行く。レイトは六花とレオナルドを見た。二人は静かに頷く。

 レイトは意を決して家の中へ足を踏み入れた。

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