第30話 信用するな
マリーは気がつくと雪が積もった森の中にいた。ここがレイトの故郷であるインズバーグ帝国なのだろうか。
マリーはクレアと共に、セナのテレポートで北の大帝国、インズバーグ帝国に来ていた。
北国へ行く対策として地の厚いコートを用意するよう、ハウエルから言われて用意したが、それで正解だった。マリーがもともと薄着だということもあるだろうが、コートを着ていても寒い。
ちらりとクレアを盗み見ると、やはり寒そうに両手に息を吹きかけている。
ふとクレアと目が合った。
「寒くないですか?」
「寒い。もっと厚着してくれば良かった」
「そうですね」
マリーの返答にクレアは困ったように苦笑した。
この辺りは森の入り口付近なのか、西の方を見ると、平原が広がっていた。街道もあるのだろうが、雪が積もって完全にわからなくなっている。
「インズバーグ帝国ではそろそろ寒くなってくる時期ですが、今日は一段と寒いですね」
セナが白い息を吐きながら呟いた。
「……本当にこの辺りにレイトがいるのか?」
マリーはセナのほうを振り向き、問いかけた。
「はい。ただ、私がレオナルドの力を最後に感じてから少し時間が経ったので、移動している可能性はありますが……」
セナは答えながら、森の奥へ顔を向けた。
インズバーグ帝国へ来る前、フェリオが言っていたことがある。
もし、セナがレオナルドの力を感じた場所に着いた時、既に二人がいなければ、帝都から離れる方向へ向かってくれ、というものだ。
その時マリーは何故なのか訊いたが、フェリオは詳しく教えてくれなかった。教えたほうがいいのだろう、とも言っていたが、やはり無断で話すわけにはいかない、と決めたようだった。
「じゃあ、ここから帝都はどっちの方角なんだ?」
「ここは帝都から東に馬車で三時間程度の場所です。あそこの街道を西に行くと帝都が見えてきますよ」
セナが街道のある場所を指差した。思わず顔を向けると、先程は雪でわからなかった街道がはっきりと見えている。街道の周囲だけ雪が溶けて無くなったようだ。
目を見開いて改めてセナを見ると、彼はあっけらかんとして答えた。
「さすがに街道が見えないと行商人が困ると思いまして、南のミオンの港町と帝都を結ぶ街道の雪だけ溶かしました」
「魔力も何も感じませんでしたが……」
クレアがぼそりと呟いた。
「結構得意なので」
セナは目を閉じて笑った。
全く理解できない。街道が見えていたほうが良いのは確かだが、今ここで行商人を気遣う必要などあるのだろうか。
マリーはセナの笑顔を見ていると何故か苛立ちが募っていく。悪い奴ではないと思うが、完全に信用することもできなかった。心の奥底で何かが引っかかっているのだ。
「……じゃあ、帝都から離れるには東へ向かえばいいのか?」
マリーは声を低くして問いかけた。
「ええ。では行きましょうか」
セナは頷いて森の方へ歩き始めた。
「……………」
マリーは黙って後をついて行く。
「……どうかしたのですか?」
クレアがマリーの一歩後ろから声をかけてきた。マリーは振り向かずに答えた。
「わからない……。何故かあいつの笑顔を見てるとイライラしてくる……」
「イライラ……?」
クレアはマリーの最後の言葉を繰り返す。
「心の隅のほうでずっと引っかかってる部分があって……、でもそれが何かわからなくて……」
「理由がわからなくてイライラする、といった感じですか……?」
「うん……」
クレアの問いにマリーは小さく頷いて俯いた。
あいつを信用してはいけない。気を許してはいけない。
心の奥底から語りかけてくるのは自分自身だ。でも何故そんなふうに思ってしまうのか、それがわからない。
「それは正しいことだぞ」
突然声が聞こえた。セナの声でも、クレアでもない。レイトでもない。レイトはこんなに低い声ではない。
「誰だ……!?」
マリーは空へ向かって叫んだ。すると周囲に黒い霧のようなものが現れた。同時に夜になったかのように暗くなった。太陽が隠れたわけではない。ちゃんと太陽は見えているのに周囲が暗い。
「突然現れて、心外なことを言わないでいただきたいですね」
セナが声を低くして誰もいない方を向いて言った。
「………?」
マリーは彼が誰に向かって言っているのかわからず、つい同じ方へ顔を向けた。
「あいつと似た気配がある、と思ってきてみたら貴様か、セナよ……」
黒い霧は徐々に一箇所に集まっていき、人の形をとった。腰まで届きそうなほどの長髪。色は黒で、周囲が暗いせいか、風景と同化しているようにも見える。
「お久しぶりですね、アレイスター。会いたかったですよ」
セナはにっこり笑って答える。
顔は笑っているが、声には一切の感情がこもっていない。会いたかったというのは真っ赤な嘘だろう。
腹の探り合いが苦手なマリーでも、それぐらいはわかった。
「……セナさん、この方は……?」
クレアがセナに問うた。その声は僅かに震えている。
「この方はアレイスター。……闇の精霊ですよ」
「えっ……!?」
クレアは一瞬だけ大きな声を上げて、アレイスターを見た。
マリーもアレイスターを見た。いや、睨んだ。
相手が精霊だろうが何だろうが関係ない。この男からレイトの匂いがする。記憶を無くしていた時は気にもとめていなかったが、全てを思い出した後は、自分がどれだけその匂いに安心していたのかがわかる。
太陽の光を存分に浴びた草花のような匂い。癖がなく、安心する匂い。
「オレは会いたくなかったがな……」
「お前、レイトの匂いがする! レイトはどこだ!?」
マリーはアレイスターの言葉を遮るように叫んだ。
「何だ? あの吟遊詩人の仲間か? 随分気の強い女だな」
「レイトはどこだ! 何でレオナルドはレイトを攫ったんだ!?」
マリーはアレイスターの胸倉を掴んだ。
「やめて下さい、マリーさん!」
「離せクレア! こいつ、レイトのことを知ってるんだ!」
クレアが焦ったような声をあげながら腕を掴んでくるが、マリーはその手を半ば叩くように払い落とす。
「相手は精霊なんです! どんな力を持っているかわからないんですよ!? 刺激するようなことはやめて下さい!」
クレアはなおもマリーの腕を掴んでくる。マリーは何とか怒りを抑え込み、アレイスターから距離を取った。
「ハハハハハ! 気の強い女は嫌いではない! あの吟遊詩人を探しに来たなら、東へ行ったぞ。助けるつもりなら早く行ったほうがいいぞ」
アレイスターは声を出して笑うと、東を指差して言った。それに驚いたのはセナだった。
「どういう風の吹き回しですか? あなたが人間に味方するなんて……」
口調には驚いている様子など微塵も感じられないが、口を開く前に僅かに目を見開いていたから、確かに驚いているのだろう。
「別に意味などない。気の強い女は嫌いではないからな。ただの気まぐれだ。……それに、貴様もあの吟遊詩人に用があるのだろう?」
「……………」
セナの顔から一瞬で表情が消えた。そのあまりの変わりようにマリーはぞっとした。
笑顔は誰にでも好かれる好青年といった感じだ。だが何の感情も読み取れない表情は冷酷極まりないようにも見える。人すらも簡単に殺してしまうのではないだろうか。
「クックックッ……だんまりか……まあいい」
アレイスターは面白そうに笑い、セナのほうを見ながらこちらへ歩いてきた。
マリーは腰に差している短刀に手をかけるが、その瞬間アレイスターの姿が消えた。
「!?」
「……あの男は信用するな。大切なものを助けたいならな……」
「えっ……?」
アレイスターはマリーのすぐ側に現れて耳打ちした。マリーは咄嗟にそちらを振り向いたがアレイスターの姿はとうになかった。僅かに残っていた黒い霧が風に攫われただけだった。周囲もいつの間にか明るくなっている。
「……一体、彼は何しに来たんでしょうか……?」
「さあ、精霊は気まぐれですから……」
クレアとセナは互いに目を合わせない。だが、どちらかと言えば、セナのほうが意図的に目を逸らしているように見える。
マリーはそっと自分の左肩に触れた。アレイスターに耳打ちされた時、彼に手を置かれたのだ。
『……あの男は信用するな。大切なものを助けたいならな……』
アレイスターの言葉が甦る。
信用するな、という言葉は理解できる。元々完全に信用しているわけではないのだから。だが、大切なものを守りたいなら信用するな、というのがわからない。
マリーにとって大切なものはレイトだ。そのレイトを助けるためにこの男はここにいるのではないのだろうか。
マリーはじっとセナを見据えた。マリーの視線に気づくと、セナはきょとんとした。
「どうしたんですか? 私の顔に何かついてますか?」
「いや、何でもない……」
「そうですか……。そういえば先程、アレイスターにかなり接近されましたが、何かされませんでしたか?」
セナは首を傾げて問いかけてきた。
「……大丈夫。早く、レイト達を追いかけよう……」
マリーは俯きがちに答えた。何かされたことを隠せていない気がするが、セナが追及してくることはなく、「そうですね」と言って、東へ歩き始めた。
『あの男は信用するな。大切なものを助けたいならな……』
再びアレイスターの言葉が甦る。
(どういう意味なんだろう……)
マリーはセナの足跡を追いかけながら考えたが、答えなどわかるはずもなかった。
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