第10話 紅の民

「あたし、エリン」


 少女は公園のベンチに座って呟くように名乗った。

 船から降りてすぐのところだと目立つので、場所を変えて話を聞くことにした。ここは商店街の側にある公園だ。近くに男性用の服屋もある。話が終わったら、すぐに服を買いに行くことができそうだ。


「そうか。……エリン、オレをお姉ちゃん、と呼んだ理由は何なんだ?」


 レイトはなるべく優しい口調で話しかけた。


「あの、間違えちゃってごめんなさい。お姉ちゃんと同じ匂いがしたから……」


 盲目の少女エリンは俯いて答えた。言葉の最後のほうはボリュームが低く、ほとんど空気が抜けただけのようになってしまっている。自分はそんなに怖いだろうか。


「お姉ちゃんと同じ匂い、というのは?」


 エリンの右隣に座っているハウエルが彼女の頭を撫でながら聞いた。ちなみにレイトは左隣だ。


「そのままだよ。お姉ちゃんと同じ匂いがするの。ねえおじさん、お兄ちゃん、お姉ちゃんのこと知らない? お姉ちゃんはマリーって言うの」

「………!」


 姉の名前を聞いてレイトは目を見開いた。まさかマリーが? そう思ったが、慌てて首を振った。決めつけるのはまだ早すぎる。マリーという名前はよくある名前だ。たまたま同じだけかもしれない。だが、目の前の少女とマリーが着ている服は酷似している。偶然で片付けることはできなかった。


「お兄ちゃん、お姉ちゃんのこと知ってるの? 知ってたら教えてほしいの! あたし、どうしてもお姉ちゃんに会いたいの!」


 レイトの気配が変わったのを感じ取ったのだろう。エリンはレイトのほうを向き腕を掴んできた。顔はくしゃりと歪み、今にも泣いてしまいそうだ。


「ちょ、ちょっと待て! 確かに同じ名前の女の子は知ってるけど、本当にエリンの姉さんかどうか知らないし、ちょっと前にはぐれちまったんだ」


 レイトは力ずくにならないように、エリンの手を自身の腕から離した。


「はぐれちゃった、って、今はどこにいるの……?」

「北のネスヴェルディズナ王国だよ……」


 レイトが答えると、エリンは「そんな……」と俯いてしまった。


「もしや王都が魔物に襲撃された時か?」


 はぐれた、という言葉に反応して、ハウエルが聞いてくる。


「ええ、宿の手配を頼んだ後に別れてそれきりなんです」


 レイトは頷く。


「……お兄ちゃん達も魔物に襲われたの?」


 今度はエリンが二人の会話に反応して顔を上げた。


「ああ、そうじゃよ」

「それじゃああたしと同じだね」


 ハウエルの答えにエリンはレイトとハウエルを順に見上げる。


「同じ、って、エリンも魔物に襲われたことがあるのか?」


 レイトは僅かに目を見開いて聞いた。


「うん。でもあたしが小さい時だったからあんまり覚えてないの。その時にお姉ちゃんが、魔物からあたしを助けてくれた、ってお父さんとお母さんから聞いたの」


 お姉ちゃんとはぐれたのもその時だ、とエリンは続けた。


「……エリンはもしかして忍びの者か?」


 レイトは先程より少しだけ声を低くして聞いた。もし忍びの一族なら……。


「うん、そうだよ。魔物に襲われた時にこのシデン大陸に移って来たって里長様に聞いたよ」

「移り住む前はどこにいたか知ってるか?」

「ううん、知らない」


 エリンは首を横に振った。

 恐らく、移り住む前はネスヴェルディズナ王国南東の国境付近だろう。確かな証拠はないが、エリンの年齢から考えると、八年前ネスヴェルディズナ王国の国境付近にあったと言われている忍びの里が魔物の襲撃を受けて滅んだ、という話と合致する部分がある。


 もしマリーがエリンの実姉なら、その襲撃の際に記憶喪失になったと考えれば辻褄が合うのだ。


「たぶん、里長様なら知ってると思うよ……」


 レイトが考え込んでしまったので、エリンは遠慮がちに口を開いた。


「レイト殿、一度忍びの里へ行ってみたらどうだね?」

「えっ……?」


 ハウエルの提案にレイトは顔を上げた。どうやら俯いていたらしい。


「お主の旅の仲間はマリーの他にもいるのか?」

「ええ、後一人……」

「それなら、無事王都から逃げおおせることができたなら、きっとお主の後を追ってくるじゃろう。そうでなかったとしても、後で合流できた時のために、場所を知っておいても損はないのではないか?」


 どうやらハウエルには、レイトがマリーはエリンの実姉ではないか、と思いかけていることを見抜かれていたようだ。


「ですがこの後は……」

「仲間を募るなら、立ち寄る場所は多いほうが良いと思うがね」


 ネスヴェルディズナ王都奪還のためにシデン大陸を治める女王に会いに行くつもりだ、と言おうと思ったが、ハウエルに先を越されてしまった。


「う……まあ、そうですね……」


 ハウエルにこのように返されるとは思わず、レイトの返事は歯切れの悪いものになってしまう。


「お兄ちゃん、おじさんも一緒に里に来てくれるの?」


 エリンは嬉しそうに声を弾ませた。


「ああ。もちろん、忍びの里にワシらのような部外者が行ってもいいならの」

「そんなの、全然関係ないよ。あたし達はホントは紅の民って言うんだって。この服は動きやすいからで、そしたらいつの間にか忍びの一族って呼ばれるようになったんだって」


 エリンの話を聞いて、レイトは大いに納得した。

 最初気にはなっていた。エリンが忍びの一族丸わかりの格好で港をうろうろしていたのを。だが、忍びではないのなら、別に存在が公になろうが問題ない。忍びの里が魔物の襲撃を受けて滅んだ、という話が伝わっている時点で気づくべきである。


「なるほどのぅ。ではレイト殿、よいかな?」


 ハウエルは再度、確認を求めてきた。


「ええ、異論はありませんよ。ですが、ハウエル殿の服を見立ててからですよ」


 レイトは今度ははっきりと頷いた。

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