第11話 生きていた証すら……

 ここシデン大陸には国が一つしかない。昔はもう一つ国があったのだが、三百年前に滅んでしまっている。何故滅んでしまったのか、詳しい記録はどこにも残っていない。その国があったと言われている大陸の西部には、草木一つ生えない砂漠が広がるだけである。


 現在ロルナの港町から東へ伸びる街道を進んでいる。ハウエルの言葉に従い、エリンが暮らしている紅蓮の民の里へ向かっているのだ。


 最初は踏み固められた道だったが、街道を進むにつれ道は柔らかい土に変わっていき、木々が増えてきた。この方向で合っているのか疑いたくなってくる。

 だが、エリンは歩き慣れているのか、迷うことなく道無き道を歩いて行く。こちらも本当に盲目なのか疑いたくなってくる。


「エリンよ、本当にこちらで合っておるのか?」


 ハウエルがついに問いかけた。


「うん、合ってるよ。草を踏む音が同じだからね」


 エリンは自信たっぷりに即答した。


「違いなどあるのかのぅ……?」

「さあ……?」


 ハウエルが同意を求めるようにこちらに顔を向けてくるので、レイトは肩をすくめて答えた。


 やがて少し開けた場所に出た。海は見えないが、結構近いのか、潮の香りがした。

 目の前には小さな山が見えている。山、と言うよりは丘と言ったほうが良いだろう。正面に入り口が見えた。入り口の側には色とりどりの花が咲いていた。中には五枚ある花びら全ての色が違うという花もあった。


 だが、そんなカラフルな花よりも、丘の中腹付近から立ち昇っている黒煙のほうがレイト達の目を釘付けにした。


「あれはっ……!?」


 レイトは言葉を詰まらせた。


「何……? 何だか煙の匂いがする……?」


 エリンは不安げな表情で一、二歩足を出す。


「丘の中腹辺りから煙が昇っているのじゃ。エリン、お主の里はどの辺にあるのだ?」

「えっ……! お父さん! お母さん!」


 ハウエルの問いかけには答えず、エリンは脇目も振らずに走って行った。


「エリン!」

「待つのじゃ!」


 レイトとハウエルは同時に叫んで、エリンの後を追った。エリンの見た目は十歳前後だ。それぐらいの子供にはすぐ追いつくだろうと思っていたが、エリンは信じられない程のスピードで丘を駆け上がって行く。恐らくレイトが全速力で走っても追いつけないだろう。もともとそんなに速くはないのだが。


 丘を上っていくと、徐々に煙の匂いがきつくなってきた。煙を目視で捉えることもできる。やがて数メートル先でエリンが足を止めた。レイトも一歩後ろで立ち止まる。


「っ……! こ、れ……は……!」


 レイトは袖口で口元を覆って目を見開いた。まさか地獄を二度も見ることになろうとは。


 真っ赤な炎が周囲の木々を覆い、黒煙を上げている。木材を積んで建てたらしい簡素な家は、その全てが炎に焼かれ既に原型を留めていない。炭となって倒れている木の下には半端に燃え残った人が倒れていた。折り重なるように倒れている木々に下敷きにされており、下半身は確認できないが、恐らく人だろう。


「何故、このような……!」


 ハウエルが苦痛に顔を歪めた。体の痛みではない。心に受けた痛みなのだろう。レイトも同じ気持ちだ。


 エリンはその場にしゃがみ込んだ。その瞳は大きく見開かれている。何が起きているかは理解しているだろう。だが、どう行動して良いかわからないのだ。少女はただ燃えていく里を見ているだけだった。


「エリン!?」


 その時、聞いたことのない声が聞こえた。エリンははっとして声のしたほうを向く。


「良かった! 無事だったのね!」


 四十代くらいの男女の二人組がこちらに向かって走って来た。どちらも傷だらけで、腕や足から出血している。男性は頭からも出血していた。


「お父さん! お母さん!」


 エリンは高い声で叫んで立ち上がった。両親の元へ走ろうとしたその瞬間、横向きの火柱が二人を襲った。


「え……?」


 エリンの声は、本当に何が起こったのか、わからない、といった感じのものだった。レイトにも何か起こったのかわからなかった。横向きの火柱が収まった時、たった今そこにいたエリンの両親の姿はどこにもなかった。塵一つ残さず焼かれてしまったのだ。


「え……何……?」


 レイトは上手く言葉が紡げない。だって、さっきまでそこにいたではないか。我が子が無事だったことに心底安堵していた両親が。


「お父さん……? お母さん……? どこ……? どうして匂いがなくなったの……?」


 エリンの目は光を映さないが、両親がいなくなってしまったことは見えていたのだろう。先程まで両親が立っていた場所までふらつく足で歩いて行く。あれは死んだなどというレベルではない。遺体が残っていればまだ生きていたという証は立てられる。だがその遺体さえ焼かれてしまったのだ。身にまとっていた服や装飾品も何もかも。そこに確かに生きていたという証すら焼き尽くされた。


「お父さん……? お母さん……?」


 エリンは両親が立っていた場所に座り込み、土を掻き分けている。両親を探しているかのように見える仕草はとても痛々しく、レイトは見ていられずに目を逸らした。


「グオオオオオオオン!」


 突然聞こえた雄叫びにレイトは空を見上げた。空から聞こえてきたわけではない。そんなふうに聞こえたのだ。


「レイト殿! あの木の向こう!」


 ハウエルがまだ燃え残っている木を指差した。木と煙で見にくいが、確かに大型の魔物がいた。その魔物はゆっくりこちらに近づいてきている。完全にレイト達を捉えていた。徐々に露になるその姿は、犬か狼に近い。鮮やかなオレンジの体毛に真っ赤に燃える炎のような瞳。鋭い牙を持つ口からは、小さな炎が見え隠れしている。

 こいつだ、とイトは思った。こいつがエリンの両親を焼き殺したのだ。


 さらにレイトは見た。その魔物の側にネスヴェルディズナ王都で会った少年、レオナルドが立っていたのを。何故、この地に立っていられるのだ。今も王都にいるはずだ。だがあれは見間違いではない。


「エリン! こっちに来るんじゃ!」


 ハウエルの言葉にレイトは我に返った。どうやら頭に血が上りかけていたらしい。レイトは首を左右に振り、改めてエリンのほうを見た。大型の魔物がエリンのすぐ側まで迫ってきていた。だが、エリンは気づかずに土を掻き分け続けている。魔物が右の前足を振り上げた。


「エリン!」

「くっ……!」


 レイトは荷物を放り出して走った。その荷物が、衝撃が厳禁な竪琴だということは頭になかった。魔物の前足がエリンに命中する直前、レイトはエリンを抱きかかえ、地面を転がっていく。間一髪でエリンは助かったが、魔物の前足がレイトの左足を掠めていた。


「ぐっ、うう……!」


 レイトは全身を走り抜ける鋭い痛みに顔を歪めた。魔物の爪が掠めたのは左のふくらはぎ辺りだ。そこだけなのに、まるで全身を切り裂かれたかのような痛みに襲われる。


「レイト殿!」

「来るな!」


 レイトは何とか意識を現実に繋ぎ止め、力の限りに叫んだ。相手が王様だろうが関係ない。今はこの魔物の危険性を伝えなければ。この魔物は通常の魔物とは違う。何がどう違うのかはわからない。だがこの魔物は違う、やばい。レイトは本能的に悟っていた。


「逃げろ!」

「嫌じゃ! ワシに二度も仲間を見捨てろと言うのか!」


 ハウエルの即答にレイトは面食らったような顔をした。今はそんなことを言っている場合じゃない。と叫びたかったが、レイトはぐっと堪えた。謁見の間でハウエルを庇って死んだアルドを見捨てさせたのは、他でもない自分だ。


 魔物が尻尾で追撃を仕掛けてきた。レイトはエリンを抱えて再び地面を転がってかわすと、左足の出血を無視して立ち上がった。王を守らなければ。王はあそこを動かない。ならば自分がそこへ向かうしかない。出血など知ったことか。


「申し訳ありません。参りましょう!」


 レイトは何とかハウエルの元へ辿り着いた。


「よろしい!」


 ハウエルは涙で震える声で答えた。

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