第12話 誰だお前
ハウエルを先に走らせ、レイトは後を追うように走る。ここで自分が先に走ると、ハウエルを置いて行きかねない。
丘は緩やかな下り坂になっているので、ハウエルは時々前へつんのめりそうになるが、その度に堪え、走り続ける。大した運動神経だ。
このまま上手く逃げられれば、と思ったが、人間が四足歩行の魔物に足で敵うはずがなかった。先程の魔物は大きく跳躍し、レイト達の頭上を飛び越え、回り込んできた。
「グオオオオ!」
魔物は威嚇するように雄叫びを上げた。レイトは剣を抜いたが勝てる気はしなかった。自分は勇者でも何でもないのだ。
魔物が大きく息を吸い込んだ。周囲の気温が一気に上昇した。
まずい、炎を吐く気だ。道幅はそれなりに広いが、人間の身体能力であの火柱を避けるのは無理だ。
「やめろ!」
レイトは力の限りに叫んだ。呪いの力を込めて。
「グワアアア!」
だが魔物は動きを止めることなく、上空を見上げ再び雄叫びを上げた。その口からは既に炎が生まれている。
「嘘だろ!? 声の呪いが効かないなんて……!」
魔物が上空を見上げたままこちらを睨む。
ここまでか──。
レイトが死を覚悟したと同時に一陣の風が吹いた。レイトは一回だけ風が吹いたことが気になって、いつの間にか閉じていた目を開けた。
「……!?」
魔物の体が切り裂かれていた。鋭い刃物で全身を切り刻まれたように体中から血が溢れていた。かなり高い位置まで血が噴き出しているのに、レイト達には一滴たりともかからない。
「い……一体、何が起こったのじゃ!?」
ハウエルは周囲を見回しながら慌てふためいている。レイトは彼に顔を向けて気づいた。自分達の周りに風が滞留していることを。
風の結界。だから魔物の血が飛んでこないのだ。
「レイト!」
一体誰が、と思った矢先、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。直後に腹部辺りに当たる柔らかい感触。レイトはマリーに抱きつかれたのだと認識するのに少し時間がかかった。
「マリー!?」
レイトはマリーを引き離そうと思ったが、右手にはエリンを抱えているし、左手は剣を持ったままだ。剣を鞘に仕舞おうと思っても、マリーが邪魔でできない。
「ちょっ……マリー! 離れろって! エリンが落ちる! っつーか何でここが……!」
腹部に当たる感触に意識が向きそうになるのを懸命に堪えてレイトは叫ぶ。
「嫌だ! やっと会えた……無事だったんだ。もう離れない!」
「はあ!?」
マリーのとんでもない発言にレイトは素っ頓狂な声を上げた。助けを求めようとハウエルのほうを見ても、彼はきょとんとした顔をしているだけだ。レイトの意思に気づいてくれる素振りは微塵も見えない。
「レイトさん! ご無事だったんですね!」
またも聞き覚えのある声に呼ばれ、顔を向けると、クレアが息を切らせながら駆け寄ってきた。
「クレア! やっぱりお前もいたのか! じゃああの風は……!」
「ええ。間に合って良かったです」
クレアは心底安堵した声で微笑んだ。僅かに首を傾ける仕草がとても上品だ。
その時、木の陰に隠れていたレオナルドが黒い霧に包まれて消えた。レイト以外、誰も気づいていないようだ。あの魔物はレオナルドが差し向けたのだろうか。
「……お姉ちゃん……?」
抱えられたままのエリンが身じろぎした。レイトが下ろしてあげると、エリンはゆっくりとした足取りでマリーに近づいて行った。彼女は抱えられている間、ずっとレイトにしがみついていた。状況が目まぐるしく移り変わったせいで、周囲を把握しきれなくなっていたのだろう。
マリーとクレアが登場したことでレイトとハウエルの雰囲気が変わったのを察知した、といったところか。いや、一番の理由は「マリー」という名前に反応したのかもしれない。
「………?」
マリーが怪訝な顔をしてエリンを見下ろした。
「やっぱりお姉ちゃんだ! 同じ匂いがする! お姉ちゃん、あたしだよ! エリンだよ!」
エリンはすがりつくようにマリーに抱きついた。その顔は今にも泣いてしまいそうだ。
「……誰だお前……?」
「!!?」
マリーから発せられた一言にエリンは大きく目を見開いた。驚愕に見開かれた瞳に悲しみが広がっていく。
しまった、とレイトは思った。エリンからマリーが実の姉かもしれないという話を聞いた時に、マリーが記憶喪失だということは話さなかったのだ。本当に姉かどうかもわからなかったから、わざわざ話す必要はないと思っていたのだ。だが、本当に実の姉だった場合を考えるべきだった。予備知識として話しておくべきだったのだ。
「……うぅ……ううううぅぅ……うわあああああああああん!」
ついにエリンは大声を上げて泣き出した。今まで我慢してきた様々なものがついに我慢の限界を越えてしまったのだろう。
ハウエルがエリンを抱き寄せると、エリンは抵抗することなく彼にしがみついた。ハウエルの右肩辺りに顔を押しつけて泣いている。
「一体、何なんだ……?」
マリーが助けを求めるような目を向けてきた。
「いや、実は………っ!?」
レイトは説明しようとした時、再び左足のふくらはぎ辺りに鋭い痛みを感じた。いや、痛みはずっと続いていたのだが、ハウエルとエリンを助けるのに精一杯で気にならなかっただけだ。
「あっ……ぐ、うう……!」
「レイト!? どうしたんだ、レイト!」
マリーが何度も名を呼んでくるが、答える余裕がない。痛みが最初の時の比ではない。痛みをおして走ったからだろうか。
自分を呼ぶ声に何一つ答えることができないまま、レイトは意識を手放した。誰に倒れ込んだのだろうか。
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