第36話 歳をとらないということ
「フェリオさんと合流するって……、ここからネスヴェルディズナへ帰るんですか?」
クレアは驚いた様子で問いかけた。
「いや、このままあの港からノルスウェート王国へ行く」
レイトの返事にクレアはきょとんとする。現在地からネスヴェルディズナに帰るには、一度ノルスウェート王国に渡ったほうが早いからだ。
「レイト、ここからなら、一旦ノルスウェートに渡って、シズリナ行きの船に乗り換えたほうが早いけど、そのことを言ってるの?」
六花がクレアの気持ちを代弁する。
ネスヴェルディズナ王国があるリンデンシア大陸の最東端の港がシズリナ港だ。ネスヴェルディズナ王国はリンデンシア大陸の西部にある国で、シズリナ港は東部の国、マーヴェリナ王国の一部である。
「いや、ノルスウェート王国でフェリオ達と合流する。あいつも何人か連れてノルスウェートに向かってるだろうしな」
レイトは六花に返事をしながら、上着の内ポケットから小さな紙を取り出した。
「そんな話は聞いてないけど……」
マリーが小さな声で呟く。
「マリー、オレを助けようと帝国へテレポートする際に、帝都から離れるようにして探せって言ったのはフェリオなんだろう?」
レイトが確かめるように問いかけると、マリーは小さく「ああ」と頷いた。まだどこかぎこちない。
「フェリオはオレの過去を知っている。なら、お前達がテレポートした後にネスヴェルディズナの王都を出ているはずだ」
最終的にネスヴェルディズナに帰るとしても、合流するのは早いほうが良い。レイトがフェリオの立場ならそうする。
レイトは紙に短い文章をしたため、鳥の形に折り込んで空へ飛ばした。宛先はもちろんフェリオだ。術者が相手を知っている場合、相手が移動中であっても探し出してくれるのだ。
「……ですが、馬に乗って移動したとしてもノルスウェートに到着するのにかなり差が出ると思いますが……」
「いいえ、距離的には大差ないはずよ」
六花が近くに落ちている枝を拾って、雪の上に器用に地図を描いていく。
ネスヴェルディズナの王都はリンデンシア大陸の西部にある。レイトがレオナルドに拉致された時にいた小屋は、リンデンシア大陸の北にあるインズバーグ大陸の南部にある。だが小屋のほうが少しだけ東よりだ。さらにそれぞれの大陸の最東端は、インズバーグ大陸のほうがより東へ出っ張った形になっている。故に直線距離で考えるとあまり大差ないのである。
「……確かに。これなら大丈夫そうですね」
クレアは地図を眺めながら頷く。レイト達が森を抜けるのに時間がかかったことをふまえると、あまり差はなさそうである。
「よし、じゃあ出発するぞ」
「それなら私はここまでね」
レイトのかけ声の後に間髪入れずに六花が言った。
「えっ……?」
「一緒に来てくれないのか?」
クレアとマリーの声が重なる。
「私は精霊といっても下位精霊なの。自分のテリトリーからは出られないのよ」
六花は当たり前のように言う。
精霊には様々な力を持った者が存在するが、その誰もが平等というわけではない。世界中に浸透している精霊信仰では、光と闇の精霊が最上位にあたり、地水火風の基本属性の精霊が中間、それ以外は下位精霊と言われている。ちなみに光と闇の精霊は地域によっては昼と夜の精霊とも呼ばれているらしい。
精霊信仰の中だけの話かと思っていたが、精霊である六花本人が言うのだから本当のことなのだろう。
「それなら仕方ないな。……世話になったな、六花」
レイトが声をかけると、六花は口元だけの笑顔を見せて答えた。
「私も久し振りにあなたに会えて嬉しかったわ」
六花は一言だけ答えると、森の奥へ姿を消した。
何とも不思議な気分だ。地下牢に閉じ込められていた時に出会った六花は、当時のレイトよりも背が高かった。それなのに今は自分のほうが高い。マリーよりも背が低く、小柄だった。こんなに小さかったっけ? と思った。
精霊は歳を取らない。知ってはいたが、今改めて考えると複雑だ。
自分より年下だった存在が、いつの間にか年上になっている。それは置いてきぼりにされた感覚に似ているのではないだろうか。
その感覚を何十年、何百年と感じ続けていたら、心が耐えられないかもしれない。少なくともレイトはそう思う。
レオナルドがあんな大事件を起こしてまで死を選んだのも、これが根底にあるのかもしれない。
ふとレイトは思った。もしかしたら精霊もずっとそんな孤独感を抱えているのではないだろうか。精霊は人智を超えた存在で、人間の常識など当てはまらないかもしれない。だが、もしそうなのだとしたら申し子を作る意味もあるのではないか。
「レイトさん、どうしたのですか?」
クレアが心配そうに声をかけてきた。
「ああ、いや、何でもない。行こうか」
レイトは考えていたことを頭の隅に追いやった。これはただの推測にすぎない。話すべきではない。
★ ★ ★
結局死に損なった。アレイスターに見つかるのを覚悟の上でレイトを拉致したのに、レイトはレオナルドが一番欲している言葉を口にしてくれなかった。
レオナルドは溜め息をついた。
申し子になってどれくらい経っただろう。もはや申し子になった時の記憶などない。だが自ら死を選ぶきっかけになったことだけは今でもはっきり覚えている。
たった一つの事件。
ひねくれ者だった自分を慕ってくれた唯一の女性。レオナルドが不老だと知っても態度を変えなかった女性。まだ少女と言えるほどの歳だったが、とても大人びていた。落ち着いた性格のように見えたが、ころころと表情が変わる、とても感情豊かな少女だった。
だが、その少女は不治の病に侵されていた。感染の危険はないものだったが、彼女が住んでいた村では、まるで汚いものを触るかのように隔離されていた。
だからこそ少女は頻繁に村を抜け出し、レオナルドに会いに来るようになった。
アレイスターから人と関わりすぎるな、と言われていたが、彼女と話す時間はとても幸福だった。長年忘れていた人の温もりを思い出させてくれたのだ。彼女がいれば、彼女との思い出があれば、これからの永遠の時も寂しくないと思った。
だがある時、少女の父親だという男が、娘をたぶらかしたのはお前だなと言ってレオナルドに詰め寄ってきた。
レオナルドは反論したが、男は聞かなかった。他の村人達と一緒になって彼女を隔離したくせに。
男は剣を抜き、斬りかかってきた。その時、少女がレオナルドの正面に身を躍らせた。
「…………」
レオナルドは顔を歪ませ目を伏せた。喉の奥から込み上げてくるものがあり、目を伏せてじっと耐える。
少女は父親の剣によって死んだ。レオナルドの目の前で絶命したのだ。その命の灯が消える直前、少女はレオナルドに告げた。父を恨まないでほしい、自分の分まで生きてほしい、と。
レオナルドにはとても無理だった。目の前の男が少女の父親だったとしても、レオナルドから少女を奪ったことには変わりない。短い間だとしても、彼女との思い出が欲しかったレオナルドにとって、それを奪った男を恨まずにいることなど到底できるはずもなかった。目の前の男を恨まずに、彼女のこんな最期を目にしたまま生きていくなんてできない。さっさと死んでしまいたかった。
それからレオナルドは死ぬことだけを考えてきた。死んで彼女の元へ行ければ、永遠の孤独を味わわずに済む。
やっとの思いでレイトを見つけ出したのに、失敗した。レイトに目的を見透かされた以上、これ以降どれだけ頼んでもレイトはレオナルドの願いを叶えてくれないだろう。
「っ………!」
レオナルドはその場に座り込んだ。その時、そこが砂漠だと気づいた。どこまでも砂漠が続いている。いつの間にかテレポートで辿り着いたらしい。地面に刺さっているように見える瓦礫は何かの遺跡だろうか。
瓦礫の上に誰かいる。自分と同じ歳くらいの男だ。
「誰かと思ったら、お前か……」
瓦礫の上で片膝を立てて座っている男は、静かに見下ろしてきた。
「……炎の精霊、グラヴァール……」
レオナルドは座り込んだまま男を見上げた。後頭部でまとめ上げた髪は腰くらいまであり、切れ長の目はどことなくアレイスターに似ていた。
だが髪をまとめているのは黄色のリボンで、それが彼を庶民的に見せていた。身につけている衣装も、どこにでも売っていそうな物で、彼の人間臭さを一層引き立たせていた。
「珍しいな。お前がそんな顔をしているなんて……」
男は低い声で無表情のまま告げた。
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