第37話 最低限のルール
今から三百年以上前、シデン王国の西に水の精霊の加護を受けた国があった。水に恵まれた美しい国だったのだが、いつからか、その加護は徐々に失われていった。
それからどういう経緯があったのかはわからないが、その国は滅んでしまったのだ。
レオナルドも理由はわからない。アレイスターに訊いたら、「彼らはやってはいけないことをした。その天罰だ」と言っていた。全く理解できなかったが、今考えると、目の前にいる炎の精霊が関わっているのではないかと思えた。なぜなら彼の瞳は常に悲しげだったからだ。
「いつもは相手を馬鹿にしたような生意気な顔をしているのに……。それがお前の本心か……」
「………!?」
レオナルドはドキッとした。図星だった。今まで本心を悟られまいと心にもない感情を表に出し続けてきた。
ネスヴェルディズナ王国は世界の中央にある国でたくさんの人が集まってくる。そこで事件を起こせば、自分を恨む人を増やすことができる。噂が噂を呼び、レオナルドと無関係の人も憎んでくれるようになる。
レイトがそうだ。彼はレオナルドと直接的な関係はない。だが、ネスヴェルディズナ王都乗っ取り事件で、レオナルドに敵意を向けるようになった。結果的に失敗したわけだが。
「…………」
レオナルドは炎の精霊グラヴァールを見上げた。彼もまたこちらを見下ろしてくる。無言で先を促しているようだった。
「……あんたは、昔は人間だった、って聞いたことがある……」
「………」
グラヴァールは何も答えない。
「あんたは、何でそうやって、無限の時を生きていられるんだ……?」
レオナルドの問いかけに、グラヴァールは一瞬反応したように見えた。彼は目を伏せ、しばらくしてからまたレオナルドを見据えた。
「……それを知ってどうする?」
「………!」
レオナルドは僅かに目を見開いた。
「オレとお前では事情が違いすぎる。オレの理由を聞いたところで、納得できるとも思えんがな……」
「……僕が今何をしたがっているのか、知ってるような口ぶりだね……」
レオナルドの呟きにグラヴァールは再び目を伏せ、今度は顔を逸らした。
「この世界に存在する炎は全てオレの眷属だ。そこにオレの意思の有無は関係ない。そこに炎があれば、オレはその炎を通して世界を見ることができる」
お前が何を思い、各地で事件を起こして来たかは大体知っている。グラヴァールは間をあけて答えた。
「…………」
レオナルドは黙り込んだ。レオナルドの真意を知っているなら、先程の問いかけにグラヴァールは絶対答えないだろう。どんな前向きなことを言われても、レオナルドは信じないからだ。
レオナルド自身、わかっていたことだったのに、なぜあんな問いかけをしたのか。同情が欲しかったのか。
レオナルドは俯いた。
視界の外で何かが動く気配がした。グラヴァールが瓦礫から飛び降り、レオナルドの目の前に降り立ったのだ。
レオナルドが顔を上げると、悲しげな顔をしたグラヴァールがそこに立っていた。若干彼のほうが背が高い。
「お前が何を思い、これから何をしようとしているのか、そのことに口を出すつもりはない。だが、一度決めたことを覆すことだけはするな。それがお前が負うべき責任だ」
グラヴァールは静かに告げた。
レオナルドは再度俯いて、目を見開いた。世界を見守るべき、命を守るべき精霊の言葉とは思えない。
一度決めたことを覆すな、ということは、一度死のうと決めたならそれを貫け、ということなのだ。レオナルドが今まで何をしてきたか知っているのに。
でも、とそこでレオナルドは考えた。今まで自分は取り返しのつかないことばかりを起こしてきた。たくさんの命を奪ってきた。そんな自分が今更死にたくない、と思う資格はないということだ。思ったことなどないが。
目を閉じれば何度でも蘇る。自分の目の前で絶命した少女の姿が。レオナルドが欲しかったのはこんな記憶ではない。
レオナルドが顔を上げると、そこにグラヴァールの姿はなかった。
自分が今一番しなければいけないことは何であろうか。
★ ★ ★
レイト達がノルスウェート王国北部の港に着いた時、フェリオへ宛てた式神が戻ってきた。その手紙にはミリエラの街で待つ、とだけあった。
ミリエラの街とは、ノルスウェート王国北部の南よりにある街だ。平野にある街で、季節の花に囲まれた美しい街だ。そのはずだったのだが、レイトは目の前の惨状に息を詰めた。
季節の花などどこにもなく、街は既に廃墟になっていた。原型を留めている建物は一つもない。地面には子供が大切にしていたであろう動物のぬいぐるみが落ちていた。そのぬいぐるみも頭がもげていて、腹部からは綿が飛び出していた。
「何で……こんなっ……!」
「……それに、臭い……」
クレアとマリーの声が重なる。
臭いはレイトも気になっていた。廃墟特有のツンとした臭いではない。別の何かが原因の臭い。
「レイト」
廃墟を少し進んだ時、背後から声をかけられた。振り返ると見慣れた人物が立っていた。
「フェリオ……」
フェリオは厳しい目をしていたが、表情は安堵に満ちている。隣にはルシアもいた。
「ルシアさんも来てくれたんですね」
「うん、まあね……」
クレアが声をかけると、ルシアは悲しげな目を向けて答えた。何となく元気がないように見える。
「……ほっとしたぜ」
フェリオは小さく呟いて、左手を握りしめて差し出してきた。
「心配かけて悪かったよ……」
レイトは短く詫びて自身の左の拳をフェリオのそれにコツンと当てた。フェリオは右利きなのに左手を出したのは、レイトが左利きだからだ。
「……フェリオさん、ルシアさん。この街の惨状は一体……」
一呼吸間を置いて、クレアがそう切り出した。
「……あの山を見て」
ルシアは東にそびえる山を指差した。レイトがそちらへ顔を向けると、奇妙な形をした山が視界に入ってきた。
ノルスウェート王国は広大で、国土の中央に巨大な山脈が南北に走っている。東に見えている山はその一端だ。だが、その山が大きく抉れてしまっている。まるで、目に見えない何者かが削り取ったかのように抉れている。確かあの辺りは質の良い鉱石か何かが採れる鉱山があったはずだが。
「何だ、あれは……? 巨大な化け物に齧られたみたいだ……」
マリーが低い声で呟いた。
「あの辺には鏡石が採れる鉱山があったんだけど、ちょっと前に大きな爆発があって、山がああなったのよ」
ルシアは説明しながら、腰につけているポーチから小さな石を取り出した。その石は小さいながらも太陽の光を反射していて、周囲の風景を映し出している。まるで鏡のようだ。
「鏡石だな」
レイトが呟くとルシアは「ええ」と答える。
「何でああなったのかはわからない。でも、その爆発があった後から、有毒なガスが湧いてきたの……」
ルシアは鏡石をポーチに戻してから続けた。
「毒があるなら、オレ達も危ないんじゃないのか?」
レイトが問いかけると、フェリオが山を見据えて答えてきた。
「いや、毒ガスはもうほとんど出てないんだ。ただ、この辺りには臭いがこびりついちまっているんだよ」
レイトもつられて山を見た。綺麗に抉れている。爆発があった、とルシアは言ったが、本当だろうかとレイトは思った。そんな単純な話ではないような気がした。
「……さて、レイト。レオナルドに拉致られてから何があったか、話してくれないか?」
一呼吸間を置いてフェリオがそう切り出した。
「そうだな……。いろいろありすぎたから、長くなるかもしれないけど……」
レイトは手頃な瓦礫に腰かけた。どこからどうやって話せば良いのか。レイトは自身の頭の中でまだ纏まり切っていない事を話し始めた。
レオナルドがレイトを拉致したのは、レイトの服従の調べが目的だったこと。レオナルドの本当の目的が自殺だということ。そのために魔物を使い、各地で事件を起こし、自分を憎むように仕向けたこと。
だが、結局は自分を殺すことができる者はおらず、レイトの拉致も含めて全て失敗したこと。
レイトがレオナルドに対して敵意を持てなくなったことも話した。
「お前まさか、これ以上レオナルドを追い詰めるのはやめようとか言い出すんじゃねぇだろうな?」
するとフェリオが怒りを剥き出しにして責め立てるような声を出した。大きめの瞳が鋭く細められ、一瞬で殺意にも似た怒りがフェリオを覆う。そのあまりの変わりようは、彼をよく知るレイトでも思わず肩を震わせるほどだった。
「……ああ……あ、いや……正直、わからない……」
レイトは俯いて曖昧に答える。
どうしたら良いのか、自分がどうしたいのかわからなかった。
レオナルドに敵意を持てなくなったのは事実だ。よくよく考えてみたら、レイトとレオナルドの間には直接的な関係はない。ネスヴェルディズナの王都が占拠されたから、それを奪還する手伝いをしただけだ。その過程で、レオナルドのあまりの暴挙に怒りが湧いたのだ。
フェリオはレオナルドに個人的な恨みがあるという。レイトの態度に腹をたてるのも当然だろう。彼はレオナルドへの恨みから協力してくれていたのだから。
「わからないって……。お前、こんなことで悩むようなヤツだったのかよ!? お前とレオナルドの間に関係があろうがなかろうがどうでもいい! レオナルドが今までやってきたことは許せることじゃねぇだろ! 今関わっちまったんなら、最後まで責任持ちやがれ!」
フェリオはレイトの胸ぐらを掴んでまくしたてた。
レイトは目を見張った。
フェリオの言う通りだ。レオナルドにどのような理由があろうと、人の命を奪うことは許されない。何があっても許されることではないのだ。
何の因果か、今自分はレオナルドと関わりのある者達と共にいる。マリーはレオナルドに故郷を滅ぼされ、家族を殺された。フェリオも彼に恨みがある。クレアの背中の傷もレオナルドにやられたものだ。ルシアについては不明だが。
とにかく、レイトが彼らと関わったのはレイト自身の意思だ。それなのに今更「やっぱりや〜めた」というのは無責任だ。
レイトはフェリオに胸ぐらを掴まれたまま、首を大きく左右に振り、真っ直ぐフェリオを見据えた。その視線を受け止めたフェリオは小さく息を吐き、レイトの胸ぐらから手を離した。
「……それでいいんだよ。レオナルドに関わったことがお前の意思だろうと何だろうと、関わったのなら最後までやり通せ。それが人として最低限のルールだ」
フェリオの顔から怒りが消える。レイトは大きく頷いた。もう迷わない。
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