馬の名前のメッセージ

 海音と会う機会が度々訪れるようになると、いつの間にか週末のデートが恒例行事になった。


 毎週水曜日の深夜になると、海音から必ず、と言っていいほど連絡がある。

 連絡の手段は電話だ。メールとか、メッセンジャーとか、LINEとか、そういった物は一切使わず、直接電話が掛かって来る。


 私がLINEでメッセージを送っても、返事は電話だ。

 もっとも私から海音に連絡する事はあまり無い。

 私は受け身の立場を取っているので、水曜日の夜になると、海音の電話を待ってひたすらソワソワする。

 電話が掛かってこないとイライラしたりもするが、掛かってきた時の高揚感は何にも替え難い。

 スマホの画面に、あまね、と表示されると、私の心拍数は一気に跳ね上がるのだ。


 「週末はどこへ行きたい?」


 海音はいつも聞いてくる。

 これと言ったデートプランなど持ち合わせていない私は、いつも海音の言いなりになる。それが刺激と変化に富んでいるから、お任せのデートが楽しくて仕方がない。


 いつだったかは、大井競馬場へ連れて行かれた。


 「目一杯、お洒落な格好をして来てね」


 海音がそう言ったので、私は数少ないお洒落着の中から、シャンパンゴールドのワンピースを選んだ。買物に付き合ってくれた妹にそそのかされて買った逸品で、会社の同僚の結婚式で一度着ただけで、それ以来、出番の無かった可哀想な衣装だ。


 さすがにこれは着飾り過ぎかな、と思わない訳ではなかったが、待ち合わせ場所が品川だったから、披露宴なんかに出席する人達も多いだろうし、浮く事は無いだろうと思って、思い切ってドレスアップしてみた。

他にお洒落な洋服を持っていない、と言うのもある。


 待ち合わせの品川駅に着くと、海音はグレーのタキシードを着ていた。

 ダサいデザインのTシャツですら、お洒落に着こなしてしまう男前が、こういう格好をすると、その姿は眩しい程に輝いて見える。

 衣装の選択を間違えていなかった事に、私はほっと胸を撫で下ろした。


 「汐里、とっても綺麗だよ」


 まるで挨拶でもしているかのように、海音はさらっと言い、そう言われた私は照れ臭くてモジモジし、そんな私にニコリと笑いかけた海音は腰にそっと手を回して、ゆっくりと歩き始める。


 どこか高級なレストランにでも連れて行ってくれるのだろうか、それともクラシックコンサートとか? 

 私の妄想は膨らみ続け、駅から乗ったタクシーの中で、どこへ行くの?、と何度も聞いてみたのだが、海音は話をはぐらかすばかりで教えてくれず、車はどんどん駅から離れていった。


 そして着いたところが競馬場だった……


 ギャンブルと言うものに私はネガティブなイメージしか無い。

 それに私の妄想とはあまりにも大きくかけ離れていて、とても受け入れられる心境ではなかった。


 行き先を言わずにこんなところへ連れて来た海音に対して、怒りを露わにした。

 それなのに、海音は入場を嫌がる私の手を強引に引いていった。

 どう考えたって場違いな格好だった。すれ違う人達の奇異な視線を浴び続けるのは、苦痛以外の何ものでもなかった。


 そして人ごみを抜けて連れて行かれた先は、ダイアモンドターン、と言うレストランだった。


 高級感が漂う内装、タイトなスカートを履いた綺麗な女性スタッフのお出迎え、中に入っていくと、大きなガラス張りの向こう側が競馬場のコースになっていて、食事をしながら優雅に競馬を観戦出来る、という何ともセレブ感の漂う施設だった。


 海音と私は、受付に居た綺麗なおねえさんに、広くて豪華な個室へ案内された。

 膨れっ面だった私は、初めて見た煌びやかなスポットに心を躍らされる。


 優雅に食事を楽しんで、ワインを嗜み、ナイター照明に照らし出された美しいサラブレッドを眺める。ギャンブルを毛嫌いしていた私を気遣ってか、海音が競馬の話題を持ちかける事は無かったが、少し興味を持ち始めた私の疑問には、何でもスラリと答えてくれた。


 競馬新聞の見方、馬の毛色の話し、騎手が着ている服や、馬の脚質…… なかでも血統の話しは興味深くて、今存在するサラブレッドの祖先を遡ると、三頭の馬に辿り着くという話にはロマンすら感じた。

 僅かな時間だったが、競馬に関する基礎知識ならば、ひと通り身につけられた気がする。


 海音は馬券を買おうとしなかった。

 「馬券、買わないの?」、と聞くと、「今日は買わないよ、買うと豹変しちゃうからね…… みっともないところを見られて、汐里に嫌われたくないし……」、と笑って私の目を見つめてきた。

 私も海音の澄んだ瞳を見つめ返す。

 海音はいつまでも視線を外さない。

 優しい瞳に見つめられ、恥ずかしくなって目を逸らしてしまうのは、いつも私のほうだ。


 メインレースが終わった後、海音から馬券を一枚渡された。

 単勝という文字の後ろに三頭の馬の名前が書かれた馬券で、金額はいずれも一万円だった、合計で三万円になる。

 「何これ」、と言うと、「競馬デビューの記念にプレゼントするよ」、と海音は、はにかんで笑った。


 「これ、どうしたら良いの?」

 「そこの払い戻し機に入れたら、当たっていればお金が出てくるよ、適当に買ったから、たぶん当ってないけどね」

 私はドキドキしながら、機械に馬券を挿入した。

 何が起きるのだろうと、真剣に画面を見つめていると、画面に、払戻金58,000円と表示され、がちゃがちゃと機械の音がした後、一万円札が五枚と千円札が八枚、束になって出てきた。


 心臓がドキドキと音を立てているのが聞えた。

 隣に居る海音の顔を見ると、ニコリと微笑んで、「おめでとう」、と言い、さっさとその場を離れていく。

 私は手にしたお札を握り締めて、海音の後を追った。


 「これ、どうするの?」

 「どうもこうも、当ったんだから、自由に使いなよ」

 「でも、私が買った訳じゃないし……」

 「今はもう汐里のものだから」


 海音は何を言ってもサラリと交わし、人ごみを縫うように歩いていく。

 私は早歩きで海音を追いかけた。


 出口へ向かって歩いていると、台の上に乗って大声で喋っているおじさんに声を掛けられた。海音を見たおじさんが、にこやかに話し掛けてくる。

 海音は笑顔でひと言ふた事話し、売店へ駆け込んでペットボトルのお茶を抱えて戻ると、おじさんに渡した。

 私が一緒にいたせいか、挨拶程度でその場を離れたが、いつもなら世間話でもしていたのだろう、そんな雰囲気だった。


 知り合いなのか、と後で聞いたら、あれは予想屋のおじさんだよ、と言っていた。

 予想屋と言うのが、どういう人達なのかは分からなかったが、この競馬場に海音が良く来ている、と言う事は分かった。


 競馬場を後にした私達は、来た時と同じようにタクシーを使って品川駅に戻り、駅の近くにある、やきとり屋に入った。

 ドレスとタキシードを着て入るようなお店ではなかったが、もう海音に従うしか無かった。


 カウンター席に座ると、海音は店主と親しげに挨拶を交わす。

 このお店が、海音の馴染みである事はすぐに分かった。

 焼き鳥をつまみに、しこたま飲み、店主を交えて談笑を繰り広げ、店を後にした。


 会計は私が、競馬の払戻金で支払った。

 それでも沢山余っていたので、海音に返そうとしたのだけれど、「ドレスのクリーニング代にでもしたら……」、と言って受け取ってはくれなかった。

 お店の暖簾をくぐって外に出たとき、私に向かって、ごちそうさま、と言った海音の満足そうな笑顔が、瞼に焼きついている。


 「今度は、レースが始まる前に、馬券頂戴ね。お馬さんの応援がしたいから……」


 少しお酒に酔った私が言うと、「汐里が競馬新聞を振り翳して、声を張り上げる姿なんて見たくないから、やめておくよ」、とからかわれた。


 プクっと頬を膨らませた私の背中に、そっと手を当てて、駅に向かってゆっくりと歩き始める海音、そんな姿を俯瞰で思い返すと、お腹の奥が何故だか、くすぐったくなってくる。


 ちなみに的中した馬(勝ち馬)の名前はオープンハート(心を開いて)で、外れた馬はティアドロップ(涙のしずく)と、フォルスラヴ(偽りの愛)だった。

 さすがに、これは出来過ぎだと思う。

 だけど、そんな奇跡すら引き寄せてしまうところが、なんだか海音っぽい。

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