明けない夜はきっと無い
私には姉と妹がいる。
つまり私は三姉妹の次女という事になる。
姉は私より三歳年上で十年前に結婚した。
相手は誰でも知っている都市銀行の行員、職場結婚だった。
結婚と同時に退職し、今は二人の男の子を授かり、専業主婦をしている。
たまに会うと色々と愚痴を零すが、まぁ幸せなのだろう。
父は大手の家電メーカーに勤めていて、一昨年、定年退職した。
新卒で入社した企業に勤め続けて、取締役に就任するまで出世した。
母との出会いは、姉と同じく職場だった。
母も姉同様、結婚と同時に退職したそうだ。
夫婦喧嘩はたまにするが、暇があれば二人で旅行に出掛けたりしているので、まずまず幸せのようだ。
そして今日、妹に先を越された。
妹の相手は公務員で、歳は私と同じ。人の良さが顔から滲み出ている人で、温厚で絶対に問題など起こしそうにない雰囲気を纏っている。
きっと目の前に百円玉が落ちていても、交番へ届け出るタイプだろう。
五歳年下の妹の言う事を何でも聞き、両親とも親しく接する。
私に対しても理解があり、この歳で結婚していない事を肯定してくれるのは、家族の中では、彼ぐらいのものだ。
何が常識か、それは良く分からないが、私の家族はどこを切り取っても常識的だと思う、私を除けば。
三十五歳にもなって結婚していない、それどころか結婚する気配すら感じさせない私は、五人家族の中で異端だと思われている。
そんな環境にあるものだから、交際している相手が、フリーターだ、などとは口が裂けても言えない。
「汐里にも良い相手が見つかれば良いのだけど……」
これは母の口癖だ。
妹の結婚式は、都内の大きなホテルで行われた。
今どきの結婚式は多様化していて、様々な場所で、様々な形式で、趣向を凝らしたオリジナリティ溢れる形で行われるように思うのだが、これまた一世代前のごく常識的なスタイルで執り行われた。
ホテルの中のチャペルで式を挙げ、大きなパーティールームで披露宴を行う。
両家の家族、親戚、職場の人達を総動員して、大きなウエディングケーキをカットして、度重なるお色直しをして、余興に突入する。
きっと最後はお涙頂戴のお手紙でも読むつもりなのだろう。
私は親族のテーブルに着いてお祝いの挨拶に来た親戚達に頭を下げるのだが、必ず最後に言われるのが、「次は汐里ちゃんだね」、の一言だ。
社交辞令だと思って、受け流そうとするのだが、これがジワジワとボディブローのように効いて来る。
おまけに、「良い人居ないの?」、「どなたか紹介しましょうか」、なんて言うお節介も、親戚の中に一人や二人は必ずいるものだ。
あぁ鬱陶しい、心の声が漏れそうになる。
親戚一同の顔を見渡した。さらに新郎側の席に着いている男衆の顔もひと通り見た。でも、その中に海音を越えるような輝きを放っている者など一人も居ない。
私にはここに居る誰よりも素敵な恋人がいる、そう声高らかに叫びたいのだが、それを言い出せない事情を抱えている。
男の価値を、職業や、年収や、家柄でしか判断出来ない者達に、海音の良さが分かる筈が無いのだ。
ここに集まっている人にしてみたら、海音はただのフリーター、俗に言う、ダメンズ、と言う事になるのだろう。
でも海音にはそんな事を凌駕する輝きがある。凡人には分からない輝きが……
夜七時、全ての行事が滞りなく終わり、ようやく解放された。
作り笑顔と苦笑いの連続で、顔の筋肉がどうにかなりそうな、長い一日だった。
帰り際に父に肩を叩かれた。
「まぁお前も色々と言われて大変だったなぁ、でも、そんなに気にするな、明けない夜はきっと無い、必ず幸せは来る筈だ」
にこやかに笑い得意げに父はそう言った。
前半は良い、娘に同情している親心が感じ取れる。でも、最後のひと言が頂けない。
明けない夜はきっと無い
必ず幸せは来る筈だ
まるで私が、不幸のどん底にでも居るような、物言いに腹が立った。
しかも、きっと、とか、筈って何なんだ。
せめて言い切って欲しい。
言い返す気力も無くなった私は、途轍もなく重たい引き出物を提げ、高砂に飾られていた花で作られた、大きなブーケを抱えるようにして、とぼとぼと家路についた。
インターフォンを押すと、「おかえりー」、といつもの甘い笑顔で迎えられる。
海音の顔をじっと見つめる、やはり今日見てきた男の誰よりも男前だ。
どうしてこんなに良い男と住んでいるのに、自慢する事が出来ないのだ、それが悔しくて仕方ない。
どんな言葉を浴びせられるより、一番悔しかったのは、海音を家族、親戚に紹介出来ない事だった。
もしも海音が婚約者と言う立場だったら、妹の結婚式にも出席していて、嫌味な事を言う親戚達を黙らせる事が出来た筈だ。
それどころか海音の器の大きさに親戚一同ひれ伏したに違いない。
そうする事が出来なかったもどかしさに、胸が焼ける思いがした。
私は披露宴で、アルコールを少し飲みすぎたのかもしれない。
そのせいで、理性が働かなくなっていた、と言うのもある。
玄関まで迎えに来てくれた海音に、私はいきなり抱きついた。
そして泣きながら、すがるように結婚を求めた。
海音はいつものように上手い事を言ってはぐらかそうとしたが、私は執拗に迫り、それを許さなかった。
海音は少しあきれたように言った。
「汐里は、フリーターをしている僕でいいの?」
「だったら、ちゃんとした定職に就けばいいじゃない」
これまで心の中でブレーキを掛けてきた言葉が不意に出た。
「ごめん、汐里、それは出来ないよ」
あまりにもきっぱりと言われたので、何も言い返す事が出来ず、私は寝室に閉じこもって鍵を掛けた。
些細な出来事だ、と思っていたが、海音にとっては、そうじゃなかったらしい。
海音が定職に就かないのは、怠け者だからじゃない。
きっと何か大きな理由、もしくは海音なりの信念があるからだと分かっていた。
それなのに……
きっと海音は私の存在を重たく感じた事だろう、その事に気付かされたのは数日経ってからだった。
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