フクギ並木に連れてって
理恵とのダブルデートは、何事も無く終わった。
海音は、気取る事無く、平凡なサラリーマンである事を演じて、丁重な挨拶を交わし、理恵の彼氏と、さらりと名刺交換をした。
デートの場所は、付き合い始めた頃に連れて行かれた大井競馬場のダイアモンドターンになった。
海音が手配した個室を利用して、四人で競馬に興じた。
ドライブとか、膝を突き合わせて食事をするとか、そういう事だとつまらない詮索が繰り広げられる可能性があるが、日常を逸脱した意外性のある場所ならば思考は物珍しい物へと向かっていく。
馬の見極め方、競馬新聞の読み方、馬券の買い方……
そこにあっては、海音の独壇場だった。それに、この施設がブッフェ形式と言うのも良かった。
海音から競馬の知識を教えられた二人は、パドックへ行ったり、馬券を買ったり、料理を取りに行ったり……
慌しくて、身の上話をする余裕など、ちっとも無かったのだ。
理恵も、理恵の彼氏も、海音の人としての器の大きさ、そしてそれを決してひけらかさない物腰の柔らかさに包み込まれ、海音がどんな職業に就いていて、どんなステイタスを持っているか等に、興味を示す事はなかった。
最後に、タキシードを着たダイアモンドターンの支配人、と名乗る男が現れたとき、理恵の目が、私と、海音と、支配人の間を何度も往復していたのが印象的だった。この支配人を名乗る男が本物かどうか、それは私も知らない。
別れ際に、「海音さん、また連れてきてください」、と理恵が興奮気味に言うと、海音は、「良いですよ、でもこういう所は、たまに来るから良いんです。日常的になっちゃうと、何の刺激も無くなりますからね。それに失う物も大きいですし……」、と笑みを浮かべて、やんわりと断った。
何はともあれ、憂鬱だった週末は、海音のお陰で、後々、笑いながら話せそうな思い出にする事が出来た。
でも私の心には、しこりが残った。
海音に嘘をつかせてしまった事、それと素のままの海音を紹介する事が出来なかった心の狭さが、晴れやかだった心を曇らせたのだ。
海音はその後も変わりなく接してくれる。
なぜ海音がそんなに優しく、献身的に接してくれるのか不思議に思う事がある。
いくらフリーターだからと言って、海音ほどのルックスと器の大きさがあれば、私なんかよりずっと素敵な女性と付き合う機会はあった筈だ。
女性に対する接し方だって文句のつけ様が無い。
だからこれまで交際してきた女性だって沢山居ると思う。
海音と付き合ってきた女性達は今、何をしているのだろう?
ふとした疑問が湧いてきた。
私は海音の過去を何も知らない。
これまで、お互い、過去の話は殆どしてこなかった。
海音がどんな人生を歩んできたか、興味がない訳では無かったが、目の前に存在している、と言うだけで毎日が喜びに溢れていたから、聞こうと言う気は薄れていった。
でも、付き合い始めてもうすぐ半年、これからの事を考えると、色々と気になる事が生まれてくる。
海音は、私がイメージしていたフリーターとは明らかに違う。
それは、これまで接してきた中で感じてきた、人との接し方、言葉遣い、奥深い教養や、経験値の高さから判断できる。
どんな道を歩んで、今の海音が出来上がったのか知りたくなった。
「海音は、どこで生まれたの?」
そう言ったのは、ソファーの上で身体を寄せ合いながら映画を観ていた時の事だ。
君に読む物語、のエンドロールが流れていて、映画の余韻を引き摺り、しんみりとした空気が漂っている、そんなタイミングで私は呟いた。
「初めて聞いてくれたね」、少し嬉しそうに海音は言った。
「沖縄で生まれて、高校生になって東京へ出てきたんだ」
想定外の答えだった。
「沖縄なの……」
「そう、沖縄、行った事ある?」
私は旅行など滅多に行かないので、沖縄なんか行った事が無い。会社の同僚は、夏休みやゴールデンウィークになると、海外や、北海道や、沖縄なんかへ行き、その都度、お土産を買ってきてくれる。
お土産を買う機会の無い私は、いつも貰ってばかりなので恐縮する。
お土産の殆どはお菓子だったが、ずっと前に、同期入社の沙智子にシーサーの携帯ストラップを貰った事があった。
愛らしいデザインが気に入り、ずっとスマホに付けていたのだが、ある時に根付けが切れてしまった。それでも捨てるのが惜しかったので、今はテレビの上にシーサーだけを、ちょこんと貼り付けている。
「行ってみたいな…… 海音が育った所、見てみたい」
少し甘えるようにそう言うと、「そうだね、いつか行こうね」、と海音らしくない答えが返ってきた。
海音の口から、いつか、という言葉が出てきたのは、きっとこれが初めてだ。
じゃぁ、今から行こうか、とか、来週末に行こう、とか、いつもなら具体的な日程を決めてしまうのが海音だった。
思いついたら実行に移す、海音はそういうタイプの人なのだ。
些細な違和感があったので、海音の目を見つめてみると、いつもならすぐに見つめ返してくれるのに、少しタイムラグがあった。
海音のちょっとした反応すら気になってしまう程、私は敏感になっている。
「そう言えば、海音のバイト先って沖縄料理のお店だったね、それって出身が沖縄だから?」
「それもあるかな…… あそこの店主は、幼馴染のお母さんなんだよね」
海音はさらりと言った。
「そうなんだ…… 前から気になっていたんだけどさ、お店の名前の、ふくぎ、って何?」
出張先からの帰り道、ふらりと立ち寄って、海音と出会い、泥酔して、記憶を失ったあの日、海音が着ていたお店のTシャツに書かれていた、ふくぎ、という文字。どんな意味があるのか気にはなっていたが、調べるまでには至らず、心の片隅にずっと残っていた。
「ふくぎってね、木の名前なんだ。福の木って書いて福木、なんか幸せな感じがするでしょ。葉っぱがね、小判みたいな形をしていてね、葉っぱをたくさん集めると、お金持ちになったような気分を味わえるんだ。まぁ子供の頃の事だけどね……」
私は、手にしたスマホで、ふくぎを検索した。
画面に表示された画像を見ると、海音が言うように楕円形の葉が小判を連想させる。
「
表示されていた情報を口にすると、「僕が住んでいた
海音の視線は宙を漂い、何だか心が故郷へ飛んで行ってしまったように感じられた。
私はスマホを操作して、フクギ並木の写真を次から次へと表示させた。
サンダル履きで並木道の中を歩いているカップルの後姿に、自分たちを重ね合わせて、思わず頬が緩んだ。
海音ならば簡単に叶えてくれそうな気もするが、何故だか、連れて行って、と言い出しづらい気持ちが頭の中にあり、行ってみたいなぁ、と言うのが精一杯だった。
海音は、私が将来の事を口にした時と同じように、ぼんやりと返事をはぐらかす。
何か沖縄に帰りたくない理由でもあるのだろうか? また余計な詮索をしようとしている自分に気付く。
海音は、沖縄で生まれて、沖縄で育ち、高校の入学とともに上京した。
高校、大学と青春を謳歌して、その後はどのような経過を辿って今に至ったのか。
普通の人と同じように就職はしたのだろうか、それとも最初からずっとフリーターだったのか、俄かに海音の過去が気になり始めた。
一緒に居るだけで幸せだった筈なのに、海音の全てを知ろうとし、都合の良い人、にしようとしている自分に気づき、心の中がざわめき始めた。
大好きな物にはずっと触れていたい。だけど、触りすぎて壊してしまうのは怖い。私の心はそんな狭間で揺れている。
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