嘘つきは終わりの始まり

 「汐里さん、ちょっと良いですか?」

 後輩の理恵が溢れ出しそうな笑いを堪えて、私の席に現れた。


 嫌な予感がしたが、「いいけど何?」、と平静を装って言うと、「ここだと、話しづらいんで……」、と言われ、オフィスが入っているビルの最上階にあるラウンジへ連れ出された。


 お昼休みは混雑するラウンジだが、それ以外の時間は打ち合わせをしている人が数組いるだけで、静かな雰囲気が漂う。

 カウンターでホットコーヒーを2杯受け取り、理恵が座っている席に向かう。

 窓際の日当たりが良い席に座っている理恵は、相変わらずニヤニヤしている。


 「昨日、偶然、見ちゃったんですよね……」

 「何を?」


 何を言おうとしているのかは、それまでの理恵の雰囲気から察しがついた。

 海音と二人で居るところをどこかで見かけたのだろう。

 別に見られて困る訳ではなかったし、何なら、男の居ない不憫な女、というイメージを覆す為に、誰かに見られたいという欲求すら私にはあった。

 だから、特別な事は何もしていないけど、という態度を装ってとぼける事にした。


 「何の事か分かっているくせに…… 鎌倉で腕を組んで歩いていた男性、誰ですか?」


 私は、見ていたのね、という多少の気まずさを装いつつ、心の中でほくそ笑む。

 理恵の彼氏自慢はこれまでに嫌と言うほど聞かされてきた。

 散々惚気ておいて、彼氏がいると束縛されて嫌だとか、フリーは気楽で羨ましい、とか言って、私の事を馬鹿にしてくる理恵にうんざりしていた。


 一度、二子玉川の駅前で、理恵が男と腕を組んでいるのを見かけた事がある。

 あの男が理恵の彼氏ならば、大した事は無いと思う。

 中の中、いや贔屓目に見たって中の下が良い所だ。

 それに比べたら、海音は……


 「めちゃくちゃ、イケメンじゃないですか…… あんな格好良い彼氏がいるのに、隠しているなんて、汐里さんズルイなぁ……」


 「別に隠していた訳じゃないのよ、聞かれても居ないのに、わざわざ自分から言い出す事でも無いでしょ」


 少し得意げに言ってやった。

 人前で自分の彼氏の事を言いふらすなんて粋じゃない、という気持ちを言葉尻にしっかりと込めて。


 理恵は何となくこちらの意図を汲み取ったようで、口をへの字にして、プクっと頬を膨らませる。

 ざまぁみろ、いい気味だ、と思った。


 私より五つ後輩の理恵は、仕事がしっかりと出来る子だ。

 同世代の女性が離脱していく中、着実に会社の戦力となって働いている。

 根性もあるし、責任感も強い。その事は会社も認めているし、私だって勿論認めている。決して彼女の事が嫌いな訳ではない。


 彼女も、もうすぐ三十だ。

 世間体とか、将来のこととか、女の幸せとか、色々と考え始める年頃だろう。

 だから彼氏の自慢をして仕事もプライベートも両立しています、という事をアピールしたって構わない。


 でも、そのアピールを私にするのは間違っていると思う。

 仕事しか出来ない女だと決め付けて、マウントを取り、優越感に浸りたいのかもしれないが、それは結局、自分を惨めにするだけだ、そう言ってやりたかった。

 これまでは、そのチャンスに恵まれなかった。でもようやく訪れた。


 絶好の機会だから、もう少し歯軋りさせてやろうと思い、二の矢を準備していたら、理恵が泣き出しそうに顔を歪めていく。

 私の言葉がそんなに堪えたのだろうか、そう思ったら、急に理恵が可哀想に思えてきた。


 「理恵ちゃんの彼氏のように立派な人じゃないのよ……」


 小さくなった理恵をフォローしたくて、思わず衝いて出た言葉だった。

 しかし、言った瞬間に後悔する。

 泣き出しそうだった理恵の瞳の奥に、小さな悪魔が見えたからだ。


 「へぇーそうなんですか、お仕事は何をされている方なんですか?」


 一番聞かれたくない質問を理恵は口にした。

 首を竦め、1オクターブ高めの声で可愛らしさを装っているが、作られた笑顔の奥に潜む、得体の知れない陰がありありと見て取れる。


 理恵は他人の弱みに付け込む鋭い感性を備えている。

 それは仕事にも活かされていて、顧客の無茶な要望を退けるときに、その能力が発揮される。相手の矛盾点を衝き、外堀をひとつひとつ埋めていき、ぐうの音も出ないほどに論破してしまう。

 こういう時の理恵は手強い。

 それは長年、一緒に仕事をしてきた私が一番良く知っている。


 「お互い、仕事の事は話さないようにしているから、詳しい事は……」


 口ごもっているのが、自分でも分かった。

 理恵はここぞ、とばかりに攻め込んでくる。

 しまった、完全に付け入る隙を与えてしまった、しかし、時すでに遅し。

 そこから先は針の筵に座らされているような気分を味わう事になる。


 理恵は海音の仕事の事をしつこく聞いてきて、それを私が誤魔化そうとすると、本当に付き合っているのか、と疑い始め、本当に付き合っているのならば、会わせて欲しい、と言い出した。


 「彼は忙しくて、時間がなかなか合わないの」、と苦し紛れの受け答えをすると、理恵は事もあろうか、「本当は彼氏なんかじゃないんですね、そういうビジネスの人ですか」、と海音の事をホストだと決め付けるような言い方をしてきて、交際している事を必死に訴えかけると、「それならば、お互い彼氏を連れて、ダブルデートをしましょう」、と執拗に迫ってきたのだ。


 完全に私の敗北だった。鮮やかな逆転負けだ。


 次の日曜日、私と海音は、理恵とその彼氏に会う約束をさせられた。

 海音と付き合い始めて、もっとも憂鬱な週末を迎えなければならない。

 だけどその前に、この事を海音に伝えなければならず、その事が何よりも憂鬱だった。


 会社の後輩カップルから、ダブルデートをしよう、と誘われた事を伝えたら、海音は、嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれるだろう。

 それどころか喜んで応じるに違いない。海音は他人を楽しませる天才だ、きっと理恵も、理恵の彼氏も、海音に魅了される。


 しかし……


 海音がフリーターだ、という事が分かった時の理恵の態度が目に浮かぶ。

 冷ややかな笑みを湛えて、回りくどい同情の言葉を浴びせてくるに違いない。


 「海音さんはフリーターなんですか、自由に生きるって素敵ですね、そういう生き方、憧れちゃうなぁ。汐里さんは、真面目で、常識的で、曲がった事が嫌いな人だから、きっと絶妙なバランスが取れているんでしょうね」


 そんな風に言って、きっと理恵はほくそ笑む。

 今度こそ、私は完全な形でマウントを取られ、フルボッコにされる。

 そして、もう二度と理恵の前に立ちはだかる事は出来なくなるのだ。

 

 海音がフリーターである、という事を知られてはならない。

 そう思うと、胸の奥に鉛の塊を抱えたような気分になった。


 私が家に帰ると、その表情を感じ取ったのか、「何かあったの?」、と海音が言った。

 海音は表情から感情を読み取る事に長けている。

 だからデートの時も、私が嫌な気分になる前に取り繕ってしまう。時には怒りを爆発させたい事だってあるのだが、気付かぬうちに火種は消されているのだ。


 会社での事をひと通り話した。

 想定どおり、海音は快諾した。


 「ひとつだけお願いがあるの……」


 申し訳ないと言う気持ちを前面に押し出して言うと、「分かっているよ、それで何になったら良いのかな?」、と海音はおどけたような態度を取る。


 「アーティスト、アスリート、敏腕マネージャ、ベンチャー企業の社長…… 何でも出来ると思うよ」

 海音は楽しそうに話す。


 「あっ、でも、今はネットで何でも調べられちゃうから、嘘ってバレちゃうかな。無難にサラリーマンと言う事にしておこうか。知り合いからスーツ借りてくるよ。職種は、証券会社のディーラーなんかどう? それなら絶対にバレない様に段取りしておくけど」


 何も言っていないのに、海音は私が抱えていた懸念事項を全てクリアにしてしまった。


 心が痛んだ。

 大好きな海音に嘘をつかせようとしている、そんな自分が情けなかった。

 正直である事が支えであった筈なのに、つまらない見栄を張ったばかりに自ら嘘をつき、大切な人に嘘をつかせようとしている。


 海音の優しさが余計に悲しい気分を助長させ、泣き出しそうになった。

 そんな私を、海音はギュッと抱きしめてくれた。

 優しく包まれているような、力強く抱かれているような……

 

 「大丈夫だよ、気にするなって」

 私の頭を優しく撫でながら、海音はしっかりと抱きしめてくれた。

 海音の優しさを感じれば感じるほど、悲しい気分になってきて、涙がなかなか止まらない。


 ようやく私の涙が治まると、海音はキッチンに立って、オムライスを作り始めた。

 少し濃い味のチキンライス、それがフワフワでトロトロな玉子でとじられている。 

 甘みと酸味が絶妙なデミグラスソースがたっぷりと掛けられていて、私の大好きなオムライスだ。

 それなのに、何故だか味が分からなかった。

 申し訳ない気持ちが一杯で、いつもなら視線を重ね合わせて食事をするのに、海音の喉仏より上へ視線をずらす事が出来ない。


 海音との関係が少し変わってしまった、と感じる夜だった。

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