心に刻まれた笑顔

 理恵が来たのは初七日が過ぎて、何日か経った頃だった。

 深刻な顔つきでやって来た理恵は、私の顔を見るなり、目に一杯涙を溜めて抱きついてきた。

 本当は葬儀に参加したかったようだが、仕事の都合がつけられなくて遅れてしまったらしい。


 理恵の気持ちが嬉しかった。私と海音の事をこんなに思ってくれていた、と言う事に少し驚いたが、私の元を去った海音の居所を教えてくれたのも、沖縄へ来るのを後押ししてくれたのも理恵だ。

 途切れそうだった海音との絆を繋いでくれたのは、いつも理恵だった。


 「汐里さんと海音さんの関係が大好きだったんです、だから……」

 理恵は何かを話そうとする度に涙を流して、言葉に詰まった。

 素っ気無い態度ばかりで、私の事を馬鹿にしていた理恵が、今は誰よりも私の事を気遣ってくれている。

 そんな関係になれたのも、きっと海音のお陰だ。

 海音は理恵の心に溶け込んで、理恵の心に私の居場所を作ってくれた。


 理恵は墓参りをして、ゲストハウスに一泊して帰っていった。

 夜は仏壇の前で飲み明かした。

 富江さんも一緒だった。

 海音との思い出を振り返り、笑ったり、泣いたりをひたすら繰り返した。



 四十九日の法要が過ぎた頃には、海音の友人と言う人がゲストハウスに現れた。


 海音が旅先で出会った人らしい。

 墓参りをさせて欲しい、と言うので私が案内した。

 その人は、交通事故で最愛の妻を亡くし、絶望の淵に立たされていたところを海音に救われた、と言っていた。

 雪解け間もない川べりのキャンプ場で、焚き火を囲み、空が白み始めるまで飲み明かした。

 「別に多くの事を語りあった訳じゃないんですよ…… 湖畔でしゃがみ込んでいた僕に、黙ってコーヒーを差し出してくれて…… いつの間にか、彼と一緒に焚き火を囲んでいました。二人で炎をぼんやりと眺めて、日が暮れると、飲み物がコーヒーからウイスキーへと変わって…… とっても月が綺麗な夜でした。炎に照らされた彼の顔を見ていたら、色んな感情が溢れ出してきちゃって、僕、号泣したんですよ。そうしたら彼、僕の肩に手を置いて、目に涙を浮かべながら、僕に微笑んでくれたんです。柔らかくて、温かい笑顔で、どんな言葉よりも心に沁みました……」


 その人は、海音の笑顔に誘われて、笑顔を取り戻したそうだ。

 二度と笑う事など無いだろう、と思っていたのに……

 微かに頬を緩める程度、そんな海音の笑顔がその人を救った。


 「人は笑っている自分に気づいたとき、生きる気力が湧いてくるんですよね」

 その人はそう言っていた。



 それから数日後、今度は湘南のサーファー仲間が大勢で押しかけてきた。

 中には、見覚えのある人も居た。

 海音を偲んでやって来た人達は、みんな笑顔だった。


 「海音に涙は似合わないからさ、涙はここへ来る前に流し尽くしてきたよ……」

 集団の中の一人がそう言った。


 琉球墓と呼ばれる沖縄の墓はまるで家の様に大きい。

 そんな墓の前で、みんなでお酒を飲んで、料理を食べ、思い出話に花を咲かせた。

 海音の姿は無いのだけれど、すぐ傍で笑っているような気がした。


 「サーフィンをやってみたいと言って、海音は俺のところへ来たんだ」

 そう言ったのは、ジョニーさん、と呼ばれている長髪の男性だった。


 「人懐こい笑顔を浮かべてさ、フィジカルは抜群で、センスも良かった。二度目のテイクオフであっさり波に乗っちゃってさ…… あの時の得意げな笑顔は忘れらんないよ。俺、嬉しくなっちゃってさぁ、サーフボードをプレゼントしたのよ、そうしたら海音、置いておく場所がないから預かってくれって…… それから毎週うちの店に来るようになってさぁ…… たまに来ない事があると、妙に心配になっちゃったりしてね……」


 海音の思い出を話し始まると、次から次へとエピソードが湧いてくる。


 「波が無い日にサーフショップで、たむろしていたらさ、海音がやって来て…… 今日は波が無いから駄目だよ、って言ったのよね。それなのにアイツ、サーフボードを抱えて海へ走って行っちゃってさ。最初はみんなバカにして笑ってたのよ…… それなのに、気付いたら、一人、また一人って海へ繰り出してっちゃって…… サーフィンなんかしないで、みんなでずっと波待ち…… ベタ波の海面を横一列になって漂っているだけ…… なんか変だったけどさ、海音の傍にいたら、楽しい事が起きそうな気がするのよね……」

 真っ黒に日焼けしたミキさんという女性が、目を潤ませながら話した。


 「あいつの顔見てるとさ、何かしてあげたくなっちゃうんだよな」

 「そうそう、海音が居ないと物足りない気がするから、何かあるって言うと、誘いたくなっちゃうのよね……」


 「今頃、アイツ何してるんだろうな?」

 「向うでもサーフィン出来るのかな?」

 「あいつが居るなら、俺、いつ、あっちへ行ってもいいや……」

 「ジョニーさんが言うと洒落になんないから、やめて下さいよ」

 「そうよ、二度も死にかけてるんだから……」

 「ジョニーさんだけで行ったら、海音が迷惑ですよ」

 みんなの笑い声が響いた。私も一緒になって笑った。

 サーファー仲間にもやっぱり海音は愛されていたんだ。



 その後も、続々と海音の友人がゲストハウスを訪ねて来た。

 釣り仲間や、パラグライダー仲間、ちょっと怖そうな顔をした競馬の予想屋さんもやって来た。


 「最初に来た時は嫌な奴でよぉ、おいらの予想がちっとも当らねぇって、文句つけてきやがったのよ。こっちは頭きちゃってさぁ…… それがよぉ、何ヶ月かして現れた時は、ペットボトルのお茶なんか持ってきやがって…… この間はごめんなさい、って頭下げやがんの。それからは俺の話を一番前でニコニコしながら聞いててよぉ、最初は気味悪いなぁ、なんて思ってたんだ。だけど、しょっちゅうアイツの顔見てたら、姿が見えねぇと、人ごみから探すようになっちまってた。なんだか不思議な野郎だったぜ。おいら、先は長くねぇだろうけどよ、死んじまったら、あいつのつらを拝める、そう思うと死ぬのも悪くねぇなぁ、なんてな……」

 煙草をプカプカふかしながら、予想屋さんは言った。喋り方は乱暴だった。

 だけど、笑うと垂れ目になって愛嬌のある優しそうなおじさんになる。

 海音のお墓の前に跪き、深々と頭を垂れて、長い時間、手を合わせていた姿がとても印象的だった。


 それからもゲストハウスには、個性豊な人達がたくさんやって来た。

 みんな海音の事を語り始めると、とても幸せそうな笑顔になる。

 お陰でゲストハウスは、いつも笑いに包まれていた。

 訪ねて来た人たちは、海音との思い出をたくさん語り聞かせてくれた。

 海音の思い出話が次から次へと語られるから、今でもどこかで、海音が生きているように思えてくる。


 そう言えば、浩二くんと理恵がとても親しくなっている。

 こちらへ来る時は、真っ先に私のところを訪れていた理恵が、浩二くんと一緒にやって来たり、近頃は、うちに泊まらずに浩二くんの家に泊まったり……

 会うと、いつも口げんかをしている二人だが、帰る時は手を繋いでいるので、気が合うのだろう。近いうちに、おめでたい発表がありそうな気がする。


 それから艶子さんと一平さんも、こちらへ頻繁にやって来るようになった。

 艶子さんはこの辺りの物件を探していて、一平さんは沖縄そばの作り方を教わる為に、お店で修行しているらしい。

 これからも、ゲストハウスの周りは、どんどん賑やかになって行きそうな気がする。


 そんな事を海音に報告すると、フォトフレームの中の海音はいつも微笑む。

 海音は私の心だけではなく、大勢の人の心に、あの人懐こい笑顔を刻み込んで来た。そして、今でも沢山の人を引き寄せているのだ。

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