貴方が描いた未来

 「ママ、海音くんのお話を聞かせて……」

 春から幼稚園に通い始めた真琴は、布団に入るといつもそう言う。


 「今日は、どのお話にしようか?」

 「お空を飛んだお話がいい!」

 「いいけど、昨日もしたよ……」

 「いいのぉ…… 真琴も大人になったら、お空を飛ぶんだから……」


 私は、真琴に海音との思い出話をたくさん聞かせてきた。

 早起きして釣り船に乗り、キスを釣った話をすると、真琴はお魚を釣ってみたいと言い出し、サーフィンをしていた海音の事を話すと、サーフィンがどう言うものかを知りたがり、映像を見せてあげると食い入るように画面を見つめていた。


 富士山を見上げながら広い野原でキャンプをした事。

 世界一のリンゴを食べさせてあげる、と言われて連れて行かれたリンゴ農園。

 日の出直前、鏡の様に美しい湖へ漕ぎ出して、湖上で飲んだモーニングコーヒー。

 頭まで埋まってしまいそうな深雪の中をスノーシューで歩いた事もあった。


 私と海音の思い出を語り始めると、真琴は目を輝かせて聞き入り、深い関心を持つ。

 質問攻めにあうと困るから、競馬場へ行った話しはしていない。

 これは、もう少し真琴が大人になってからにしようと思う。

 海音と出会った時、私が酔いつぶれてしまった事。これも母親の威厳に関わるので、話さないようにしている。たぶん一生話さないだろう……


 私はきっと、これからもたくさんの話を聞かせていく事だろう。

 私の心に刻まれている思い出と、海音の友人達から聞かせてもらった思い出、もう海音は居ないけれど、たくさんの人の心の中で生き続けているから、きっと話が尽きる事は無い。


 「海音くんって格好良かった?」

 「とっても格好良かったわよ」

 「どれくらい?」

 「ママが出会った人の中で一番!」

 「真琴も会いたいなぁ……」

 「目を瞑ってごらん、格好良い男の人を思い浮かべたら、きっとその人が海音くんだよ」


 真琴が生まれた瞬間から、海音は、ずっとその顔を見つめていた。

 真琴が憶えていなくても、記憶のどこかに海音は存在していると思う。

 「どう、見えた?」

 「見えた!」

 「格好良い?」

 「かっこういいー!」


 私が沖縄へ来た時、海音は言った。「一緒に居ても幸せになれないよ」、と。

 だけど、そんな事は無かった。

 心のどこかで、終わりが来る事に怯えてはいたけれど、その分、一緒に過ごす、その時、その瞬間をしっかりと噛みしめて、生きる事が出来た。


 共に過ごしてきた時間は、短かったかもしれない。

 だけど、海音はかけがえのない幸せを私に授けてくれた。

 海音は出会ってきた大勢の人の心の中で、今も生きている。

 もちろん、私と真琴の心の中にも……

 そして、これからもずっと生き続けていく。

 いつも、笑顔のままで……


 「ねぇ、海音、貴方が描いていた未来って、こういう事なのかな?」

 空の色が映りこんだ、真っ青な海に向かって問いかける。

 

 私の心の中にいる海音はずっと変わらない。

 目の前に広がる景色と同じで、出会った時と、何も変わらずに甘い笑顔を浮かべている。


 「ずるいよ…… 海音はいつまでも、ずっと爽やかな顔をしていてさ……」

 目を閉じると、潮風を頬に受けて微笑む、海音の顔が瞼の裏に浮かんでくる。


 フクギ並木に足を踏み入れると、海音の存在がより近くに感じられる。

 強い日差しを和らげ、強風や潮の被害から守ってくれるフクギ。

 それでいて、艶々と輝いていて、角の無い丸みを帯びた柔らかそうな葉っぱ。

 一年中いつでも緑が生い茂る様子が、私と真琴を笑顔で見守ってくれる海音の様に思えてくるのだ。


 貴方と手を繋いで歩いたフクギ並木を、真琴と一緒に歩んでいく。

 貴方が見る事が出来なかった今日という日を、心へ刻んで生きていく。


 「海音…… こっちの生活、楽しいからさ、ニライカナイへ行くのは、ずっと先になっちゃうかも…… 私、おばぁになっちゃうかもしれないけど、そっちへ行ったら、ちゃんと手を繋いで歩いてよね!」


 海に向かって叫ぶと、潮風が私の前髪を揺らした。


 了


■□□□□■□□□■□□■□■ あとがき ■□■□□■□□□■□□□□■


 まずは本作、『ふくぎ』を読んで下さった方々、ありがとうございます。

 全編にわたってお付き合い頂いた方々には、心より感謝申し上げます。

 皆様から頂きましたコメントや応援マーク、とても励みになりました。


 行きたい所へ行けず、会いたい人に会えないというご時世、そのせいか思い出を振り返る時間が随分と多くなった気がします。当たり前だった事が、当たり前ではなくなり、悲観的な思いになる事が多いですが、それでも思い出の中に現れる笑顔は、いつまで経っても色あせる事は無く、そんな笑顔が支えになっています。


 人は何かに守られ、何かに支えられて生きていくものだと思います。そして、守ってくれるもの、支えてくれるものは、必ずしも、目に見えるもの、形あるもの、とは限りません。心の中にあったり、見えないけれど、そこに漂っていたり……


 この二年間、行けていない沖縄、それに大好きなフクギ並木。そんな心の故郷へ思いを馳せて、物語を書いてみました。大切な人達と気兼ねなく会えるのは、もう少し先になりそうですが、会う事は出来なくても、温かみのある何かに守られていると思って、この先の未来に希望を持ちたいと思います。


 読み返してみて、表現が雑だなぁと思うところや、ストーリーの展開がこれで良いのかなと思うところが多々ありますが、今の筆力・発想力ではこれが精一杯……

 次の作品へ向けて、また新しいスタートを切りたいと思っています。


 重ねてになりますが、ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。

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ふくぎ T.KANEKO @t-kaneko

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