ニライカナイへの手紙

福本海音 様


 ニライカナイへ、無事に辿り着く事は出来たでしょうか?


 お父様には、お会いできましたか?

 そちらの海は、沖縄よりも綺麗ですか?

 空は、青々と澄み渡っているのでしょうね。

 夜空の星は、キラキラと輝いていますか?


 そして、貴方が好きなフクギの葉は、風にそよいでいますか?


 私は今、あの日の事を思い出しています。

 貴方が沖縄の実家へ帰ってしまった日の事です。

 美しい島へ行ってしまった貴方を追いかけて、私はここへやって来ました。

 あの日のように貴方の元へ旅立ちたい、そんな感情が不意に湧きあがってきます。


 貴方に会いたい……

 だけど、貴方との思い出を真琴に聞かせるまでは、そちらへ行くわけにはいきませんね。貴方が私の心に刻んでくれた笑顔いっぱいの思い出、それを真琴に語りながら、一つ一つ記憶の紐を解いていくのが、私の支えになる事でしょう。


 いつか貴方の元へ旅立つ日を心待ちにして、もうしばらく真琴と一緒に、この島で暮らしていきます。


福本汐里



 海音に宛てた手紙を、泡盛の空き瓶に詰めて海へ流した。

 瓶の中には、手紙と一緒に、私達が繋がる切っ掛けになった小さな赤いシーサーと、フクギの葉を一枚入れた。


 満ちていた潮が引き始めると、手紙が入った瓶はゆっくりと沖へ流されていく。

 太陽の光を反射して、キラキラと輝く瓶が、穏やかな波間に揺れながら遠ざかっていく。


 遠い彼方の海に浮かぶ、ニライカナイへ届くのはいつになるのだろう、そんな事を思いながら、小さくなっていく瓶の行方をいつまでも見つめた。



 海音の葬儀が終わり、一週間が過ぎた。

 沖縄では納棺、火葬から告別式、納骨式を一日で済ませてしまう為、あっという間に時は過ぎて行く。

 私と真琴、それに富江さんは毎日、墓参りをした。

 沖縄には初七日まで墓参りを続ける、と言う習慣があるのだそうで、それに従った。毎日来る必要はないよ、と海音は言いそうだけど……


 私は真琴と向き合う事で、海音の喪失感を和らげようと、躍起になった。

 目の前にいる真琴の今を見つめていれば、悲しみを感じずにいられる。

 海音は、私が悲しまないように、真琴と言う天使を授けてくれたのかもしれない。


 これからどうすべきか、それを考えるのは、まだ先の事だと思う事にした。


 富江さんは、息子を失ったのがやはりショックだったようで、口数がめっきりと減ってしまった。墓参りへ行くときも、家にいるときも、ずっと一緒なのに、ひと言も口を聞かない事もあった。


 初七日を終えた晩、久しぶりに富江さんが声を掛けてくれた。

 「今日は星がきれいに見えるから、縁側で海音の事を偲びましょう」

 富江さんの笑顔がとても優しく見えた。

 ここ数日の沈んだ顔は消え、朗らかな表情になった富江さんを見て、私は安心した。受け入れ難かった海音の死を、心のどこかで受け止めた、そんな気がする。


 縁側に置いたお盆を挟んで、私と富江さんは座った。

 私の膝の上には真琴が、富江さんの脇には海音の白位牌が置かれている。

 夜空を見上げながら海音に杯を捧げると、私の目に涙がじんわりと浮いてきた。


 「汐里さんは、これからどうするの?」

 富江さんは、私と真琴がこれからどうするかを気にしている。

 海音が亡くなったので、沖縄に住み続けるよりも住み慣れた都心へ戻った方が生活し易いのではないか、と気遣ってくれているのだろう。


 私は一瞬、言葉に詰まったが、思いついた事をそのまま口にした。

 「このまま沖縄で暮らしてはいけませんか……」

 決意した、と言う訳ではない。

 だけど、海音が亡くなった日、そうするのだろうなと、ぼんやり思っていた。

 ここで今までのように暮らしていくのが、自然な流れ、だという気がする。

 海音が育ったところで真琴を育て、少しでも父親の事を感じてくれたら、という願いもあったし、何よりも私自身がここでの暮らしに馴染んでいる、というのもある。


 「汐里さんと、マコちゃんがここに居てくれたら嬉しいわ、だけど、いいの?」

 富江さんは目尻に皺を寄せて喜んでくれたが、その喜びの裏に寂しさが滲んでいるようにも感じられた。


 「旅立つ人は良いわよね、もうこの世の事なんて気にする必要がないんだもの。残された者は大変、色んな事を背負わされて、生きていかければならないから…… 沢山の人を見送って、その度に故人の思いを心に留めて、もう私の心の中は逝ってしまった人の思いで一杯だわ…… せめて息子には、見送って欲しかったな……」

 富江さんの顔が少し老けて見えた。頭に混じっていた白髪が少し増えた気がする。

 

 「私、海音さんと出会えて本当に良かったです。時間を浪費するだけのつまらない人生を変えてくれたのは海音さんだから…… 沖縄に来て本当に良かった。だから後悔なんて全然ないですよ」

 思いの丈を話した。それは富江さんを元気付けようとか、そういう事ではなく、私の本心だった。


 もしも、川崎の居酒屋で海音と出会っていなかったら……

 そんな事を考える時がある。

 きっと私の人生は、それまでの延長で大きな山や谷は無く、平凡な暮らしの中で不満ばかりを口にして、笑う事も涙を流す事も無い人生だったんじゃないか、と思えてくる。


 海音と出会ってからの人生、それはかけがえの無い幸せな日々の連続だった。

 だから今はもう、海音と出会わなかった人生なんて考えられない。

 海音との出会いは偶然なんかじゃなく、必然だったんだ。今はそう思う。


 「汐里さん、有難う。海音は幸せね、こんな素敵な女性に愛されて…… でも、まだ若いんだから、素敵な人が現れたら恋をしていいのよ。死んじゃった人に気兼ねすることなんてないんだから……」

 富江さんが悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。


 「それは、富江さんも一緒ですよ……」

 二人で目を合わせて大笑いした。


 真琴は私の膝の上でぐっすりと眠っている。

 寝顔を見つめながら、この子の心に海音は存在しているのだろうか、そんな事を思った。

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