あなたと歩く並木道
「汐里は、この並木道も歩いたんだね」
海音はゲストハウスを出てからも、ずっと私の手を引いている。
手と手を握り合っているわけではない、海音が一方的に私の手を引いているのだ。
少し遠慮がちな握り具合が、私と海音の距離を物語っているように感じられた。
最初は少し怒っているのかな、と思った。
でも暫く歩いていると、そうではなく戸惑う気持ちを一生懸命整理しようとしているのが、繋がれた手を通じて伝わってきた。
「歩いたよ、一人ぼっちでね。海音に連れてきて欲しかったんだけど、叶わなかったからさ。ここへ来たら、海音に会えるような気がしたんだ。結局、会えなかったけど…… まさか海音のお母さんと会っていたなんてね……」
「驚いたなぁ、汐里が突然現れた事もそうだけど、お袋と会っていたなんてさ」
「私もビックリした、一人で沖縄へ来た時に、宿泊した所が海音の実家だったなんて…… でもね、泊まった時は気付かなかったんだよ、病院で海音が沖縄に帰って実家の宿を手伝うと聞いて…… ふと、お財布の中に入っていた領収証を見つけて…… それでピンと来たの」
「……」
「最初はね、ゲストハウスふくぎ、だと思っていたの、備瀬のフクギ並木に近いから、そういうネーミングなんだろうなって。
興奮気味に話す私に、海音はやはり戸惑っているようだった。
サンダルと足の隙間に、細かい白砂が入り込んで、少し違和感があったが、私は止まらずに、そのまま歩き続けた。
真夏の太陽から降り注ぐ光をフクギの葉が遮り、爽やかな潮風が並木道を吹き抜けていく。
フクギ並木を抜けたところにある古民家風のカフェに入った。
海音のお勧めで、私は沖縄ぜんざいを頼んだ。
「これから、どうするつもりなんだ……」
海音はテーブルに肘を着き、両手を顔の前で組んで言った。
穏やかに、私の目を見つめながら話す海音の顔が、出会った頃の記憶を蘇らせた。
「何と言われようと、帰らないからね。もう会社も辞めちゃったし、マンションも引き払っちゃったの、だからもう、私の帰るところは無い、私には海音しか居ないの…… それに…… きっと海音にも私しか居ないと思う」
嘘をついた。虚勢を張った。
心の中では大きな波がうねっていたが、それを悟られないように、平静を装って話した。
海音は顔を少し横に向けて斜に構え、左目で私を見つめる。
「汐里は知らないかもしれないけど、僕って、結構もてるんだよね」
意地悪そうな顔をする海音が、何故か寂しそうに見えた。
私は、知ってるよ、と素っ気無く言った。
「ゲストハウスに来る若い女の子に、口説かれたりもするんだ」
「そうだろうね」
何を言われても怯まない、そう決めてここへ来たのだから。
「僕と一緒に居ても、幸せになれないよ」
微かな笑みを漂わせて話す、海音のひと言ひと言が、とても切なく響く。
「幸せかどうかは、私が決めるの」
「僕は…… もうそんなに長く生きられないんだよ」
「いつまで生きられるかなんて、誰にも分からないよ」
「僕が死んだら…… どうするの……」
「それは…… その時に考える」
海音は黙り込んだ。
私は沖縄ぜんざいの器を引き寄せ、金時豆のシロップがたっぷりと沁み込んだ氷を口へ運ぶ。
氷のひんやり感と、さっぱりとした甘さが口全体に広がった。
もう一杯スプーンですくって口へ運ぶ。氷の冷たさと、甘さ、それに窓から流れ込んだ爽やかな風、風に揺れる風鈴の音。今、この瞬間に流れる時間が、とても愛おしく感じられた。
「汐里、変わったな……」
海音がポツリと呟いた。
「変えたのは、海音だよ」
自然に出た言葉だった。
海音は苦笑いを浮かべた。
「出会った頃みたいに、汐里をときめかせる事なんて出来ないよ。汐里を泣かせてしまうかもしれないし……」
「大丈夫だよ、笑う事も、泣く事も無かった私の人生に、たくさんの笑顔をくれたのは海音なんだから、これからは沢山泣いてあげるよ。海音はさぁ、格好良すぎるんだよ、言っている事も、やっている事も。みんなの心に楽しい思い出だけを刻んで、逝くなんて私は許さないから…… そんなのすごく格好悪いよ。私はね、私だけはね、海音の全てを受け入れる。だからさ、格好悪い所とか、弱い所とか、全部見せてよ」
海音の視線が天井を彷徨い、洟を啜る音が聞えた。
「もしかして、海音泣いているの?」
「泣いてないよ」
「泣いているよ」
「泣いてないって」
海音の目から涙が溢れそうになっている。
海音はその涙を拭おうとせずに、上を向いて必死に堪えようとする。
その姿を見つめていた私の目から、涙が零れ落ちた。
次から次へと、涙が湧いてきて、ポロポロと零れ落ちる。
私の涙が、海音の涙を誘う。
私の気持ちが海音に伝わったんだ、そう思ったら、ついさっきまでの緊張が緩んで、これまで溜めてきた色んな思いが涙になった。
二人して沢山、涙を流した、沢山泣いて、目の周りが熱くなってきた。
だけど…… 最後はお互いに笑っていた。
「汐里、有難う」
カフェを出て、フクギ並木を歩いている時に、海音が言った。
横に居る海音の顔をチラッと覗き込むと、微かな笑いが零れていた。
私は海音の手を握った、もう離れない、と言う気持ちを込めて、いつもより強く。
「なんだかなぁ…… 色んな事を考えて、ようやく決めた事を全部、汐里がひっくり返しちゃうんだもんな」
ふふん、と私は笑った。
フクギの葉が、風に吹かれて揺れている。
とても柔らかな物に包まれているような心地良さを感じた。
この先、この並木道を何度一緒に歩けるのだろう?
そんな事を想像すると、思いがけず笑いが込み上げてくる。
私は握っていた手をいったん離して、海音の腕に絡めた。
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