語られた真実

 海音は月に一度、那覇市内の総合病院へ検査に行く。

 その時は私も付き添う事にした。


 今のところ、海音の病状に、これと言った変化は起きていない、変化が無いのは良い事だ。海音の病気は、完治しないと言われている。だから、処方された薬と生活習慣で悪化しないように食い止める事が大切なのだ。


 検査が終えた後、病院から備瀬まで二時間近くの帰り道は、月に一度のデートになる。寄り道をして、冷たい物を飲んだり、美味しい物を食べたり、奇麗な景色を眺めたり……

 診察結果を聞いて、緊張から解放されたひととき、私は海音に思い切り甘えた。


 「汐里、退屈していない?」

 コバルトブルーの海に向って設えられたカウンター席で、海音が言った。

 木造作りの建物と、目の前で揺れるヤシの木が、リゾート感を演出している。

 円錐型に盛りつけられたタコライスをスプーンで崩しながら、「どうして?」、と私は言った。


 「川崎に居た頃はさ、毎週、デートしていただろ、今は月に一回だけだし、備瀬には何もないからさ」


 「大丈夫だよ、ここには何でもある、青い海に、青い空、満天の星空もね。都会にある物は無いかもしれないけど、都会に無い物が沢山ある。それに、いつも海音が傍に居て、富江さんが見守ってくれている。デートは月に一度で充分だよ。そんなに気を使わなくても大丈夫、沖縄に来て本当に良かったって思っているから……」


 海音は私の目を見て、静かに笑った。

 私は微笑み返し、奇麗に盛り付けられているタコライスを崩して、口へ運ぶ。


 「汐里は、僕の守り神だね……」

 爽やかな潮風を額に受け、海音が徐に口を開いた。

 「どうしたの?」

 私はスプーンを止めた。

 海音の言葉に、何故かずっしりとした重さを感じて、じっと横顔を見つめた。

 海音の視線は、空と海の間の青い境界線を見つめたまま、全く動かない。


 「僕と汐里はね、川崎の居酒屋で巡り会う前に、既に出会っていたんだよ」

 「えっ?」

 頭の中を記憶が駆け巡る。


 どこかで海音と出会っていた?

 それは、社会人になってからだろうか、それとも学生時代?

 懸命に記憶の紐を解いていくが、どうしても答えを導きだせない。

 戸惑いを隠せずに居ると、海音は話を続けた。


 「五年前かなあ、汐留で僕は倒れたんだ。もう終電も終わっている時間だったから、周りには誰も居なくてね。突然、胸を引き裂かれたような激痛が走って、ものすごく苦しくて…… このまま死ぬのかな、って思ったんだ。そうしたら、誰かが僕を抱えてくれたんだよ……」


 五年前、汐留、倒れていた男性……

 突然、記憶が蘇って来た。


 汐留の客先で、導入したシステムの夜間作業に立ち合っていて、夜食を買いに席を外した時の出来事だと思う。

 スーツを着た男性が突然崩れるように倒れこみ意識を失った。

 私は男性を抱え起こし、手にしていたスマートフォンで救急車を呼んだ。

 救急車が現れるまでの時間は、わずか数分だったと思う。

 男性は苦しそうに顔を歪めていて、この後どうなってしまうのだろうか、と心配だったが、私は仕事があったので、あとの事は救急隊員に任せて、その場を立ち去った。


 あの時の男性が海音だった……


 「もしもあの時、汐里が通り掛っていなかったら、僕はもうこの世に居ない。だからね、汐里は命の恩人なんだ」

 海音は当時の事を思い出しながら、訥々と語った。

 

 緊急搬送された病院で数日後に意識を取り戻した海音は、担当医から病状を聞かされた。心臓に深刻な病を抱えていて、長くは生きられない事を遠回しに告げられる。

 

 その事を知らされた海音は、自暴自棄になった。

 当時の海音は出世欲の塊だった。

 人一倍努力を重ね、上へ上へと成りあがって行く事が生き甲斐だった。

 他人の事など考えず、ただひたすら頂点を見つめて突っ走っていた。

 生きていて楽しいなんて思う余裕は無かった。いつか必ず掴み取る大きな成功を心の支えにして生きていた。

 そんな海音にとって、将来がない、という現実はあまりにも酷な事だった。


 それならば、いっその事死んでしまった方が、と思ったのも無理はない。

 だから当時は助けてくれた人の事を、命の恩人だ、などとは思っていなかったそうだ。

 

 海音の生活は荒れた。どうせ死ぬのなら、好きな事をやって、とっとと死んでしまおう、そう思ったそうだ。

 会社を辞め、毎晩のように盛り場へ繰り出して、酒を煽って酔いつぶれ、昼間はギャンブルに明け暮れた。

 上を目指して生きてきた。何も悪い事なんてしていない。そんな自分が、深い谷へ墜ちていくのを実感し、情けない気持ちで一杯になった。


 だけど……

 どうする事も出来なかったそうだ。

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