生きる希望
沖縄でうりずんと呼ばれる季節に、私の妊娠は分かった。
うりずんとは、
やがて梅雨が訪れ、梅雨があけ、季節が変化していくに従い、私のお腹は膨らんでいった。
仕事のほうは、家でするので全く問題はなかった。
理恵は梅雨入り直前に一度やって来た。
少し膨らんできた私のお腹をさすり、頬ずりする理恵は、もはや仕事上の付き合いを完全に逸している。
そんな理恵の私生活が気になる私は、事あるごとに相談に乗ってあげている。
私が結婚した事、妊娠した事は、理恵に少なからず影響を与えているのかもしれない。少し前までの自分と理恵が重なって見えた。
妊婦となった私に、富江さんも海音も、とても優しく接してくれた。
大きくなったお腹が目立つようになると、海音はどこへ出掛ける時も、私の手を握って労わってくれる。
お腹に手を当てて、赤ちゃんが動くのを喜んだり、名前をどうするか、考え始めるといつまでも話が終わらなかったり、海音が生まれてくる子供を楽しみにしている、と言うのは良く分かった。
でも妊娠した事を伝えた時の海音の表情は、私の心に薄っすらとした影を落としている。笑顔を浮かべてはいたが、それは心からの笑顔ではなく、色んな思いが積み重なって生まれた複雑な笑顔だった気がするのだ。
妊娠していたからかもしれないが、月日の流れが早かった気がする。
お腹とお腹の中にいる赤ちゃんと向き合う時間が長かったから、あまり季節を感じられなかったのかもしれない。
どんどん、どんどん大きくなっていくお腹。その中で暴れまわる赤ちゃん。初めのうちは心配になる事もあったけど、近頃はそれが愛おしくて堪らない。
もうすぐ臨月を迎えると言うある日、縁側で星空を見上げながら海音に聞いてみた。
「もうすぐ、海音の子が生まれてくるけど、今、どんな気持ち?」
海音は曖昧な笑みを浮かべながら、視線を宙に泳がせた。
「汐里の身体が心配だけど、もちろん楽しみだよ。僕達の子供だからね。でも……」
でも…… に繋がる言葉に、私は神経を研ぎ澄ませた。
生まれてくる子を手放しでは喜べない、そんな気持ちを海音は抱えているのだろう。それは分からないではない。
「この子の将来の事を考えると、やっぱり不安だよね」
想定していた言葉だった。それは少なからず、私も同じ気持ちを抱えている。
海音に、もしもの事があれば、この子は父親を失ってしまう。
海音にとっての、もしも、は普通の人の、もしも、よりもずっと可能性が高いのだから。
この子が小学校に入るまで、海音は生きていられるのだろうか、そんな事を考え出すと、不安が幾重にも重なって押し寄せてくる。
不安な事に囚われていたら今を見失ってしまう、だから不安を拭い去る為に今を見つめて生きている。
でも完全には拭い去れない。
人は前を向いて進む生き物だ、未来の事を無視して生きていくのは難しい。
「それにさ、汐里の心に僕の記憶を刻む事は出来るけど、きっとこの子は僕の事を知らずに育っていく事になる。そう思うとね……」
胸の奥が苦しくなった。
海音にとっては、人の心に笑顔を刻む事がこの世に存在した証となる。
でも、お腹の子が海音の事を記憶として残せるようになるのは、随分と先の事だろう。それまで生きていられないのでは、と海音は気に病んでいるのだ。
我が子の心に、自分の存在を刻む事が出来ない、と言うのは、あまりにも切ない。淡々と話す海音の言葉がずしりと心に圧し掛かってきた。
「まぁ、そうは言ってもさ、やっぱり楽しみだよね。僕に似ても、汐里に似ても、負けず嫌いな子になるんだろうな。それに汐里は美人だし、僕はイケメンだから、どっちに似ても、可愛い子になるだろうね」
「それ、自分で言う?」
海音が笑った。私も海音の笑顔を見て笑う。
「僕が父親になるなんてね…… まぁ、頑張って長生きするしかないよな。どんな風に育っていくのか、見守りたいもんね」
「大丈夫だよ、海音の事は私が守る、昔も、今も、それに、これからもね…… この子が大きくなるまで、頑張ろうね」
海音の太ももに手を置くと、海音はその上に手を重ねた。
海音の口から将来について前向きな言葉を聞いたのは、これが初めてかもしれない。
この世を去る日を静かに待ち、それまでの時間を大切に過ごす、そう言う生き方を選択してきた海音が、我が子の為に長く生きる事を望んでいる、それは私が海音に伝えたかった事に他ならない。
お腹の子が、海音に生きる希望を与えようとしている。
全てが良い方向へ動き出している気がした。
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