今帰仁城の桜並木

 沖縄に春がやって来た、今帰仁城なきじんぐすくの桜並木が鮮やかなピンク色に染まる。


 去年の春は、海音と別れた後だったので、一緒に過ごす春はこれが初めてになる。

 暦は二月、本州よりも早い春の訪れを、海音と共に感じている。


 今帰仁城跡を訪れるのは、これが二回目だった。

 最初に来た時、桜が咲き始めたらまた来よう、と海音が言ったので、私はこの季節が訪れるのを待ち焦がれていた。


 何ヶ月か先の予定を立てると、私の心は微かに疼く。

 私と海音にとって、その日が訪れる、という事は決して当たり前では無いから……


 駐車場に車を停めて、少し急な坂道を登り、手を繋いでゆっくりと城内を巡る。

 目の前に聳え立つ城壁の存在感には目を見張るべきものがある。

 一番高い本丸跡に上がってくると、真っ青な海と、城内の寒緋桜が、眼下に広がって見えた。

 ベンチに並んで腰を下ろすと、爽やかな風が吹き上がってくる。


 ゲストハウスのお客さんがチッェクアウトして、次のお客さんがチェックインするまでの間、私と海音は、備瀬から割りと近いところへ足を運んで息を抜く。

 今帰仁城跡や、古宇利島や、瀬底島は、私の好みのスポットだ。

 だけど歩いてだって行ける美ら海水族館には、まだ一度も行った事がない。

 いつでも行けるから、という思いもあるし、今の私達が求めている場所では無いような気がするからだ。


 「理恵ちゃんは、いつ着くの?」

 ポツリと海音は言った。

 でも本当のところ時間なんて大して気にしてない、と言うのが透けて見える。


 私も海音も、時計はおろかスマートフォンさえ車に置き去りで、持っていないのだから。理恵の到着時間を知ったところで今の時間が分からないのだ。


 沖縄へ引っ越して半年、島に流れている緩やかな時間に染まって来た。

 時計など見ずに大体の感覚で動いていれば、大抵の事は何とかなる。

 

 理恵が沖縄へやって来るのはこれが二度目だ。

 三ヶ月に一度、私が東京へ行くか、理恵が沖縄へ来るか、会社の決まりでどちらかになっているのだが、理恵は率先して沖縄行きを選ぶ。

 要は出張と言う大義名分で沖縄へ来たいのだ。



 「お疲れ様です」

 ニットの帽子に花柄のワンピース、水色のサンダル、とても出張で訪れた、とは思えない格好で理恵はゲストハウスにやって来た。


 そもそもここへ来たところで大した仕事など無い。

 主な目的は、理恵の管理下にある私との面会だ。

 面会と言ったって、今どきはオンラインで出来ると思うのだが、直接会って話す事を会社が奨励しているので、理恵はそれに便乗しているのだ。


 「汐里さん、お仕事しますよ……」

 理恵がニヤニヤと笑いながら手招きをする。

 「ハイハイ……」

 渋々付き従って、理恵が泊まる部屋に入った。


 「海音さんの具合はいかがですか?」

 理恵との面会は近況報告に始まり、近況報告で終わる。

 仕事の打ち合わせは、逐一行っているので、会って話す事など殆ど無い。

 理恵の愚痴を聞かされる事はある。

 私が退いた事で理恵の責任は重くなり、管理される側から管理する側になった事で色々と大変な事があるのだろう。その辺りは理解できるので聞き役に回ってあげる。


 海音の具合は引き続き、大きな変化は無い。

 処方された薬をしっかりと服用する事、それに過度の負担を心臓に掛けない事、規則正しい生活を心がける事が大切だ。


 体調を崩して、心臓に負担が掛かれば一気に病状が進んでしまう。

 そういう意味では切り立ったナイフリッジの上を一歩ずつ進んでいくような慎重な生活が望まれるのだ。僅かなミスで崖から転がり落ちれば、命取りになりかねない。


 二ヶ月前、病院を訪れたとき、心臓移植という選択肢を提案された。

 確率は低いが、もしも適合すれば一気に道は開かれる。

 しかし海音には心臓とは別の疾患があり、心臓移植は出来ない身体だという事が判明した。

 私は酷く落ち込んだが、海音は冷静だった。

 そもそも海音には、移植を希望する意思など無かったのかもしれない。


 素の海音を見ていると、この人は既に死を受け入れているのでは、と思う事がある。静かな佇まいでどこか一点を見つめ、穏やかな笑みを浮かべるその姿は、悟りを開いた僧侶のようにも見えるのだ。


 「それでは、こんなところで良いですかね」

 理恵は、私との面会の内容を報告書に入力して、ノートパソコンを畳んだ。

 引き戸を開けて縁側に出ると、少しひんやりとした風が抜けて行く。

 理恵は部屋の冷蔵庫からオリオンの缶ビールを二本取り出して縁側の上に置き、私の隣に座った。


 「ここ、落ち着きますね」

 理恵は足をブラブラと揺らしながら目を細める。

 そうね、と言いながら、私は缶ビールのプルタブを引いて乾杯のポーズを取った。 

 すっきりとした苦味が喉元を潤していく。


 「汐里さん、羨ましいなぁ」

 私がこっちへ引っ越してきてから、何度も聞かされてきた言葉だ。

 「じゃぁ、理恵ちゃんもこっちへ来れば……」、と心にも無い事を言うと、「私一人で、ここへ来ても、寂しいだけじゃないですか」、と理恵は口を尖らせる。


 「何かを失うのと引き換えに大切なものを手に入れる、そうなる筈だったのに、汐里さんは、何も失わずに全てを手に入れている。これ、ズルイですよ」

 確かに理恵の言う通りかもしれない。

 仕事も、マンションも、家族との仲も、何も失う事無く、私は海音や、富江さんと暮らす幸せな生活を手に入れた。

 私が手にした幸せは壊れやすくて脆い。常に儚さを纏っている、でも、それが余計に、幸せと向き合う事の大切さを教えてくれているような気がする。


 その晩は、理恵を囲んで庭でバーベキューをした。

 その日、宿泊していたカップルや、海音の同級生、浩二くんも途中から加わって、賑やかな夜になった。

 浩二くんと理恵は気が合うのか、途中から二人は私達の輪から離れ、話しに夢中になっていた。

 わりと男性に対して積極的に動く理恵、そんな理恵の気さくさに心を許したのか、浩二くんも、いつにも増して嬉しそうにしている。

 この二人、もしかして…… なんて余計な妄想も膨らんだ。

 そう言えば、理恵の彼氏はどうなったのだろう?


 翌朝、理恵は三ヵ月後の予約をして帰っていった。

 「もう少しゆっくりして行けば良いのに」

 見送りに出てきた富江さんがニコリと笑う。

 「一応、仕事で来ているので」

 理恵は舌を出した。


 何となく理恵の表情が硬いような気がした。

 いつもはピンと張っている背筋が、少し丸まっているように見える。


 「次は、素敵な人と一緒にお越しくださいね」、と言われた理恵は、「素敵な人を探しておきます」、と言った。

 どうやら理恵は交際していた男性と別れたらしい。


 スーツケースを引いて歩いて行く理恵を眺めていたら、後ろから抱きしめたくなった。みんな色々な事を抱えて生きているのだな、そんな思いが胸に渦巻く。


 理恵が帰った日の夜、庭のハンモックに揺られて星空を眺めていると、ゲストハウスの仕事を終えた海音がやって来た。

 右手に氷の入った琉球グラスを二つ、左手には泡盛の瓶が握られている。

 

 「一杯、どう?」

 海音が泡盛の瓶を掲げながら言った。

 「うん、お願い」

 海音はグラスに泡盛を注ぐと、ちょっと待った、と言ってキッチンに入り、島らっきょうの塩漬けを皿に盛って、戻ってきた。


 「それじゃ、一日の終わりに乾杯」

 澄んだガラスの音が静まり返った庭に響く。


 私達は今日の出来事を色々と話した。

 理恵を見送った話しや、ゲストハウスのお客さんの事、昨晩の理恵と浩二くんの事も話題になった。取るに足らない事ばかりだが、一日の終わりを締めくくる大切なひとときだ。


 空に散りばめられた無数の星を見上げて、海音が呟く。

 「今日も一日終わりだね」

 「やり残した事はない?」、と私が首を傾げながら聞くと、「何もない」、と海音が笑う。

 

 「明日もいい天気になりそうだね」

 「うん、そろそろ寝ようか……」

 夜空を見上げていた海音の視線がゆっくりと降りてきて、視線が重なった。

 私と海音は手を繋いで、家の中に入っていく。

 夜になって少し風が強くなり、フクギの葉がゆらゆらと揺れ始めた。


 それから一週間後、私は体調を崩した。

 そして、その原因が妊娠だと判明する。


 その事を告げると、富江さんは大喜びしたが、海音の顔が一瞬、翳ったように見えた。それは川崎に居た頃、一緒に住もう、と私が言った時の反応に似ていた。

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