いちゃりばちょーでぃ

 「どう、話はまとまった?」

 ゲストハウスに戻ると、待ち構えていた富江さんが含み笑いを浮かべて、海音を見つめた。

 富江さんと言うのは、海音のお母さんで、ゲストハウス福本のおかみさんだ。

 

 海音は私に視線を投げる。

 私は富江さんの目を見つめて、大きく頷いた。

 「良かったじゃない!」

 富江さんは、私の手を両手で包みこむと、大袈裟に喜んだ。

 「ちょっと、お袋、何でそんなに喜んでるんだよ……」

 海音は怪訝な眼差しで、私と富江さんを交互に見る。


 「海音が汐里さんをふった、こんなに素敵な女性なのに…… ふられた汐里さんは、海音を追いかけて来た。こんな不出来な息子を…… どうせ、そんなところでしょ。全部分かっているのよ、汐里さんとは、泡盛を酌み交わして、語り合った仲なんだから、ねぇー」


 富江さんは目尻に皺を寄せて、とても嬉しそうに笑った。

 私と富江さんは肩を並べて海音の前に立ちはだかる。

 海音は瞳を右に左にキョロキョロと移し、苦笑いを浮かべて、「そう言う事になったからさ…… よろしく……」、とボソリと言って、庭の方へ歩き出す。

 海音の少し丸まった背中が、込み上げて来た笑いを堪えているように見えた。


 海音は、私の事を受け入れてくれた。

 富江さんは、私の事を歓迎してくれている。

 海音の将来に対して、不安が無くなった訳ではない。

 この先、いつ発作が起きるのか分からないし、発作が起きなくても、徐々に心臓の機能は衰えていく……

 でも何が起きても、富江さんと一緒だったら乗り越えて行けそうな気がした。


 太陽の光が燦燦と降り注ぐ南の島で、海音と共に青い空と白い雲を見上げ、真っ青な海と砂浜に目を細め、潮風が吹きぬけるフクギ並木を一緒に歩く。

 止まり掛けていたサイコロの面が最後にコロッと転げたように、私の人生は大きく変わっていくのだ。


 その晩は、大騒ぎになった。

 富江さんが、お隣のおばぁに、私と海音の事をひと言漏らしたのが切っ掛けで、ご近所のニュースになり、お祝いをしよう、という機運が高まって、庭でバーベキューをする事になったのだ。


 準備は、着々と進んでいった。

 何かをやるとなったら、動きは早い。

 周りの人達が手筈を整え、その手際の良さに翻弄されて、私達は何もさせて貰えなかった。


 夕方になると、ご近所の方達が、バーベキューコンロを持ち込み、ビールケースに板を乗せて、即席のテーブルとベンチを拵えた。


 魚介類は漁師の金ちゃん、と呼ばれている真っ黒に日焼けした坊主頭のおじさんが、大きな発泡スチロールを軽トラックに載せて運び込み、野菜は隣に住んでいるおばぁが一輪車で運んで来た。

 お肉は少し離れた山間で牧場をされている陽気な若者が持ってきて、お酒は気付かないうちにテーブルの上に並べられていた。


 最初は私達を含めて十人に満たない数だったが、日が暮れるに連れて、どんどん人が増えていき、夜も更けた頃には誰がどこの人か到底覚えられない程の人数に膨れ上がっていた。


 私は海音の恋人と紹介されていたのだが、いつの間にか海音の奥さんという事になっていた。私も海音も最初のうちは苦笑いを浮かべて否定していたのだが、何度も言われていたら、段々その気になってきて、気付いたら、夫婦の様に振舞っていた。


 宴は人が集まるにつれて、益々盛り上がっていく。

 誰かが奏でる三線の音が空気を震わせ、それに合わせて誰かの歌声が響き、陽気な曲が流れれば、皆が立ち上がって踊り出す。


 私も、海音からカチャーシーという手踊りを教わって、輪に加わった。

 リズム感のない私でも踊れる、簡単な踊りだった。

 みんな笑顔だった。たくさんの笑顔が溢れていた。


 ゲンさんという三線の弾き手が、何かリクエストはないか、と私に聞いてきたので、「三線の花」、をお願いした。

 この歌に導かれて川崎の沖縄居酒屋へ入り、そこで海音と出会った。

 私にとっては、思い出の一曲だ。

 ゲンさんの少ししわがれた声に私の心は揺さぶられ、気づいたら目に涙が浮かんでいた。


 隣に座っていた海音と目が合った。

 私の涙に気付いた海音は人差し指でそっと拭ってくれたが、そんな海音の瞳も潤んでいるようだった。


 みんな初めて会った人達ばかりなのに、ずっと昔からの知り合い、いや、もっと親しい家族の様に接してくれる。

 隣に座っていたおじいが教えてくれた。沖縄には、いちゃりばちょーでぃ、という言葉があるという事を。一度会ったら兄弟だ、と言う意味らしい。

 そんな事を言われた私の目に、また涙が浮かぶ。


 途中から海音の幼馴染も加わり、私達の事を祝福してくれた。

 海音の子供の頃の思い出を沢山聞かせてくれて、恥ずかしいエピソードを海音は否定し、誇らしい思い出は誇張して笑いを誘った。


 いつ終わるとも無く続いた宴は、日付が変わって暫くすると、一人また一人と家路に着いていき、空が白み始めた頃、海音の幼馴染の浩二くんが最後の一人になった。

 浩二くんは相当酔っていて、海音の肩に手を回し、何度も何度も、海音を宜しく、と言っていた。


 後で聞いた話によると、浩二くんのお母さんは、川崎で海音がアルバイトをしていた沖縄居酒屋の店主なのだそうだ。

 だから浩二くんは、海音の病状を知っていて、そう言ったのかもしれない。


 私の沖縄暮らしは、賑やかなスタートを切った。

 お昼前にここを訪れたとき、私の心は何とも言えない緊張感に支配されていたが、今は、その全てが解消されて、晴れやかな気分になっている。

 

 浩二くんを途中まで送り、二人で引き返して来た時、海音は言った。

 「また、汐里に救われちゃった……」、と。


 つまらない人生を送っていた私を救ってくれたのは海音で、私はまだ海音に何もしてあげていない。

 何となく違和感のある言葉だったが、気分が高揚していたのと、長い一日に少し疲れていたのもあって、聞き流した。


 刻一刻と空の色は変わって行く。

 また、新しい一日が始まる。

 海音と過ごしていく、これからの一日は、毎日が特別な日になるのだろう。

 私は、やり残す事がないように生きよう、と心に決めた。

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