親の心子知らず
翌日、私達はホテルを訪れた。
両親たちが滞在しているホテルは本部でイチ、ニを争う高級なホテルだった。
そのホテルは、美ら海水族館や、備瀬のフクギ並木へ歩いて行けるほどの距離にあり、うちからだって徒歩で五分も掛からないほど近くにあるのだが、敷地の中に足を踏み入れるのは、これが初めてだった。
私が沖縄で宿泊した所と言えば、那覇市内のビジネスホテルとゲストハウス福本だけだったので、こういった高級リゾートとは無縁だった。
宿泊施設と言うカテゴリーならば、うちと同じなのに、何から何まで違うものだな、と驚きもしたが、豪華で大きな作りは、私が求めているものとは違う気がして、何となく心が落ち着かず、肩に力が入っている事に気付いた。
姉が予約を入れてくれたレストランで待ち合わせをしてランチをする事になった。
海側が全面ガラス張りで、明るい雰囲気の漂うブッフェ形式のレストランに私達が入っていくと、既にみんな揃っていた。
甥っ子たちが、お皿を抱えてテーブルとブッフェコーナーを行ったりきたりする姿が目に映る。
相変わらず賑やかに動き回る子供達、そしてその様子を横目に見ながら食事をする大人達、必然的に話題の中心は、今ここで起きている事、になる為、やはり落ち着いた会話など出来る雰囲気ではなかった。
暫くすると、お腹を満たした子供達がこの空間に飽き始め、正人さんがレストランの外へ連れ出そうとする。正人さんなりに気を使ったのだろう。
すると甥っ子たちは、「ジイジも行こっ!」、と父の手を掴んで連れて行ってしまう。どうやら欲しい物を何でも買ってくれるジイジは、子供達にとって最高のパトロンのようだ。
レストランに残った母と姉、それに私と海音がポツリポツリと話し始める。
真琴は、海音の膝の上でぐっすりと眠っている。
甥っ子達が居なくなり、ようやく落ち着いたのだが、だからと言って会話が弾む訳ではない。
海音に気遣って、沖縄の事を質問する母と姉、それに丁寧に答えていく海音、それから真琴の事、話す内容はせいぜいその程度で、海音がこれまでどんな人生を歩んできたか、とか、これからどういう将来を思い描いているのか、と言った話題には到底ならない。
母も姉も、本当はそういう事を聞きたいのかもしれないが、本人を目の前にして、聞き出すには、それなりの勇気が必要なのだろう。
こういう事を聞くのは父親の役目なのかもしれないが、当の本人は甥っ子たちに連れ出されてしまい、ここには居ない。
もっとも、海音がフリーターをしていた事や、心臓に重い病気を抱えている事は、私の家族には伝えていないので、私にとっても、海音にとっても、そういった事は話しづらい内容だったから、好都合と言えばそうなのだが。
このまま世間話で終わり、残された時間を存分に楽しんで帰って貰えれば、それで良い。両親達にしてみれば、海音と一応対面出来た訳だし、真琴の顔も拝む事が出来た。最低限の目的を達して沖縄の楽しい思い出の一コマとして、私と海音と真琴の存在が、散りばめられていればオッケーの筈だった。
潮目が変わったのは、真琴が目覚めて泣き出したタイミングだった。
オムツの交換をする為に、海音が退席する。
海音が居なくなった途端、母の目つきが少し変わった気がした。
「海音さんの具合はどうなの?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
なぜ、その事を知っているのだろう……
いや具合と言うのは体調や病状の事を言っているのではなく、仕事を指しているのかもしれない。
私の思考回路が明確な答えを導き出せず、言い淀んでいると、姉が口を開いた。
「心臓に思い病気を抱えているんでしょ……」
このひと言に愕然とする。
私は、海音の病気の事を一切口にしていない。
この事を知っているのは……
もしかして理恵?
理恵ならば、僅かではあるが、姉と接点がある。
だけど理恵は私がこの事を内緒にしているのを知っている筈、それなのに大して親しくもない私の家族に話すだろうか?
私の思考回路が再び音を立てて動き出す。
「なんで黙っているのよ!」
「どうして、知っているの?」
少しイラついている姉に向かって、私の口から反射的に言葉が出た。
考えても答えが出ない時は聞くに限る。新人の頃、先輩によく言われていた言葉だ。
「なんで知っているかって、それは海音くんが手紙を寄越したからに決まっているじゃない。あなた知らないの? 籍を入れるって決まった時、丁寧な手紙を送ってくれたのよ」
そんな事は知らなかった。海音が私の両親に宛てて手紙を送っていただなんて……
その手紙には、海音のこれまでの人生について、そして今の状況、この先思い描いている未来の事が、三枚の便箋にびっしりと書かれていたそうだ。
私利私欲の為に身を粉にして働いていた事、突然の病で倒れた事、私に助けられた事、深刻な病気を抱えてしまった事、それに偶然出会った私を愛してくれた事も、不幸な未来を背負わせたくなくて別れを決意した事も、包み隠さず、気持ちのこもった言葉で、書き綴ってあったそうだ。
生き方を変えた。
出会った人の心に笑顔を刻んで生きていきたい。
汐里さんを苦しめたくないから別れを決意した。
楽しい思い出だけを刻んで生きていきたい、と言ったら、そうやって格好つけようとするところが一番格好悪い、と言われた。
そんな事まで手紙には書かれていたらしい。
そして最後に、命ある限り汐里さんを幸せにします、とはっきり書かれていて、それを読んだ瞬間、父は号泣したのだそうだ。
父は私に対しては無関心だと思っていた。
でも母の話によると、そうではなくて、いつも気に掛けてくれていたらしい。
付き合っている男はどんな奴だ、娘を沖縄へ連れ去って行くなんてけしからん、挨拶にも現われないじゃないか…… 酒に酔うといつも溢していたと言う。
それが海音からの手紙で、がらっと態度が変わった。
手紙を読み終えた父は、海音に直接電話をしたらしい。
「娘を頼む、手に負えなくなったらいつ返してくれてもいいから……」
笑顔を交えて話しているのを母は聞いていた。
「父さんね、海音くんに会うのとても楽しみにしていたのよ。海音くんは、娘婿の中で一番、男気があって、男前で、ナイスガイだ!って似たような言葉を何度も言っていたんだから」
母の話を黙って聞いていた私の目から涙が零れた。
いや零れた事には気付いていなくて、姉がハンカチを差し出してくれた事で初めて気付いた。気付いてみたら、涙が流れたところが、熱く感じられた。
「海音の具合は、今のところ大丈夫よ。沖縄の気候と、ゆったりとした時間の流れ、それに私が付いているから、きっと大丈夫」
「あんたが付いている、って言うのが、ちょっと心配だけどね……」
姉が意地悪そうな顔で笑った。
真琴のオムツを替え終わった海音が席に帰ってくると、また元の話題に戻ったが、この場の空気は、カラッとした明るさに変わっていた。
甥っ子と、連れ出された父が戻ってきたのは、私達が帰り支度を始めた時だった。
太翔は緑の人形、陽翔は青い人形を握っていて、私が、それは何? と聞くと、太翔からは「琉神マブヤー!」、陽翔からは「琉神ガナシー!」と言う声が同時に響いた。
詳しく聞いてみると、それは沖縄のご当地ヒーローだそうで、私は初めてその存在を知った。どうやら父はまた甥っ子の餌食になったらしい。
レストランを出て、ホテルの敷地を歩いている間、真琴は、母から父、父から姉へと抱かれていった。
姉が抱っこしてる時に、太翔と陽翔が、頬っぺたにやさしく触れると、真琴は声をあげて笑った。
そして、私は歩いている時に気づいた。
一番後ろ歩いていた父と海音が視線を交わしあって、笑みを浮かべていた事に。
心の中で少し重たかった家族の訪問は、ほっこりとした気持ちを残して終わっていった。
帰り際、父に肩を叩かれた。
「まぁ、禍福は糾える縄の如しだ、人生良い事もあれば、悪い事もあるさ」
父はにこやかに笑って、得意げにそう言った。
私の今の状況に相応しい言葉なのかどうか微妙な感じがして、言葉が心に響く事は無かったが、父の笑顔だけは心に沁みた。
色々と心配な事はあるだろうけど、前を向いて進め、そう言われている気がしたのだ。
その日の夜、海音は、同級生の浩二君に会う、と言って出掛けて行った。
それが、父とのサシ飲みだった、と聞かされたのは、随分と後の事だ。
男同士で、どんな話をしたのか、それは知らない。
でも海音に魅了された父が、満面の笑みを浮かべて酒を酌み交わしている様子が目に浮かぶ。
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