第11話 恋は盲目

 放課後の校舎を艶めく黒髪を靡かせながら華愛は歩いていた。

 その顔は無表情で、まるで人形のように感情が抜けている。それでも、生まれ持った美貌が周りの人間の視線を嫌でも引き付けてしまう。


「ヤベェ〜桜木さんだ」


「今日も美しいぃ〜」


 華愛は時より聞こえてくるそれらの声に全く反応しないまま、ただ自分の足を前に進めていく。

 華愛の見ている世界に鮮やかさはなく、グレーがかった世界をしていた。高校生という人生の一番彩りのある時間の中で、華愛の心は色彩を失っていた。


 だが、そんな華愛の視界に、不意に暖かい光が飛び込んできた。その光を中心に華愛の見ていた世界が輝き出し、色彩を取り戻していく。

 華愛は思わず走り出した。運動は得意ではないし、汗をかくのが嫌なので普段は校舎を走ることなんてしない。

 だけど、華愛の体に沸き起こる熱くて胸を締め付けられるような衝動が、自然に体を突き動かす。はやる気持ちが、華愛を柄にもなく必死にさせていた。


鈴鹿すずか先生」


 華愛は輝く世界の中心にいるその人の後ろ姿に、思い切って声をかけた。声をかけられた人物は、いつもと変わらない優しげな笑顔でこちらを振り向く。


「桜木か。どうした?」


「先生の姿が見えたので走ってきました」


 はぁはぁと、まだ整わない息を吐きながら、華愛は真顔でそう答える。


「廊下は走るなよ」


「それじゃ先生に追いつけないから」


 先生は一瞬呆けた顔をした後、少し頬を赤めゴッホンとわざとらしく咳払いを一つした。自分の言葉で先生がいろんな表情を見せてくれることに、華愛は胸をギュッと締め付けられるような感覚を覚える。これが他の女の子達が言う『キュンキュンする』っていう感情なのかなと華愛は思った。


「これから練習行くんだろ? そういえばボーカルが決まったんだって? しかも女子。仲良くなれるといいな」


 不意に先生の口から出てきた他の女の子の話題で、ニヤけそうになっていた華愛の表情に緊張が走った。

 なぜだか、先生から他の女の子の話題を振られる事が嫌で嫌でたまらない。


「そんなの私はどうでもいいです」


 気づいたら冷たく言葉を返していた。さっきまで天国のように感じて浮ついていた気持ちが、地に落ちていく。

 先生は眉を少し下げ、困った様な表情を浮かべながら口を開いた。


「前から思ってたけど、少しは高校生らしく今を楽しむべきじゃないかな」


「それは私の気持ちを捨てて、学生らしく振る舞うことを優先しろと言うことですか?」


(違う、そんな事言いたいんじゃない)


 心の中に別の自分がもう一人いて、そう訴えかけてくるような感覚に囚われる。しかし、一回溢れてしまった言葉は止めどなく流れ始めてしまう。


「極端なことを言うね」


「私はこの気持ち諦めません。学生生活なんてどうでもいい」


 華愛の言葉に、先生がどこか悲しげな表情を見せる。心臓がぎゅっと締め付けられるような苦しい感覚が、華愛を襲った。


(先生を悲しませたいわけじゃないのに……)


 なんでこんなにも上手くいかないのだろう。

 最初は、ただ先生を好きでいられるならそれだけでいいと思っていた。こんな叶うはずもない恋なんて、伝えない方が自分だって傷つくことはない。なのに、いっぱいになった感情は歯止めが効かなくなっていた。自分の欲求がどんどん膨らんでいって、もう自分自身でもコントロールできなくなってしまっていた。


 どうすればいいか分からない。

 でも、相談できるような友達は華愛には一人もいなかった。

 一人で悩んで、苦しんで、後悔して……。

 いつの間にか自分を見失いそうになっている。


「桜木、そんな悲しいこと言うな」


 聞こえてきた先生の真剣なトーンに、思わず背中にスーッと何かが走った気がした。体が強張り、なぜか嫌な予感が胸をざわつかせる。今すぐにでもここを立ち去りたいのに、金縛りに遭ったかの様に足が動かない。


「桜木、俺はね教師である以上君から離れる事はないけど、これ以上近づく事もないよ」


 決定的な言葉を告げられ、華愛は心臓が跳ね上がる。顔に熱がこもり、視界が少し歪んで見え始める。

 そこでようやく金縛りから解放された体を、華愛は思いっきり動かしてその場から逃げ去った。階段を駆け下り、昇降口へと一直線に向かおうとする。

 その時、なぜか複雑な表情をして立っている音葉と鉢合わせた。彼女の表情に、自分の秘密を知られてしまったのだなと華愛は悟った。


「今の聞いてた?」


 音葉が一瞬戸惑ったような表情を見せた後、コクリと首を動かして答える。


「そう……」


 華愛はただそれだけ言って、音葉の横をすり抜けるようにその場を後にした。

 この後バンドの練習に顔を出そうと思っていた華愛だが、そんなこと到底できるような心境ではない。


 昇降口に向かう景色の中、いつものグレーがかった世界はさらに色彩を失い、溢れる涙で歪んで見える。

 こんな思いをするくらいなら先生なんか好きにならなければ良かったと、そう思わずにはいられなかった。

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