第39話 賭けた思い
響は愛用の自転車で全力疾走していた。季節が秋へと移り変わり、少し涼しくなった風を体全体で受けている。
周りの人達が自転車で暴走する響を見て、驚きや怒りを含んだ表情を見せるが、今の響にはいちいち謝る余裕などない。目的地に向かうことで必死だった。
『世の中は理不尽で溢れているんだよ』
昔、響に律がそう言った事があった。
その時の響は何となく意味を解釈し、自分達を置いて出ていった父親の存在を思い返していた。
そして今、渾身の力で自転車のペダルを踏みながら、響は心の中で叫んだ。
(律! これも理不尽ってやつなのか!)
これまで音葉は母の為に頑張ってきた。音葉の母も娘の晴れ姿を見る為に辛い治療に耐えてきたに違いない。そして響達も色々な事を乗り越え、この日の為に力を尽くして来た。
(なのに、なのに……)
どうにも抗えない現実に響は怒りが込み上げる。神様なんてモノがいるのなら、きっと血も涙もない奴なんだろうと本気でそう思った。こんな理不尽な扱いが許されて良いものかと嘆く。
一方で、自分がいくら訴えたところで現実は変わらないのだと、響は分かってもいた。
だったら、自分の出来ることをただするしか無いのだと、響は暗く染まっていく感情に光を灯す。
自分の今するべき事は。
自分が音葉や音葉の母に出来る事は……。
答えは一つしかなかった。
「音葉の歌を天国まで響かせてやる!」
響は全速力で自転車を進ませながら、大声でそう叫んだ。
音葉はきっと歌う意味が無くなったと思っているに違いない。でも、それは違うと断言できる。
歌はどこまででも響かせられる。たとえその先が天国だろうと、それは変わらない。
『お前のステージ作ってやる! だからお前はその声を俺らの音楽と一緒に響かせろ!』
音葉が決意して自分達のクラスに飛び込んで来たあの時、響が音葉に向けて言ったあの言葉。今こそ、それを実現させる時なのだと確信していた。二人のために、自分ができる事はそれしか無いのだと。
その為にあの曲を作ったのだと。
これまで響は父を見返そうと必死だった。自分の作り上げたバンドで名を上げ、父に対する恨みを晴らすことにこだわっていた。
しかし、今の響はそんな事どうでも良く感じた。自分の気持ちばかりを優先し、一人突っ走る響はもういない。
響は今、大切な仲間の為に全力で走っている。
自分を信じ任せてくれた律や華愛の気持ちを背負い、今悲しみの中にいる音葉の心を思いながら、響は目的地に向かって進んでいた。
いくつもの坂を下り、音葉の母が入院していた病院周辺も超え、鈴鹿先生に教えてもらった住所を目指した。
そして遂に、響は見つける。
建売だと思われる同じ形の一軒家が並ぶ中、結城と記してある表札の前に響は立っていた。全速力で自転車を漕いだせいで息が上がっている。「はぁはぁ」と言う呼吸音を出しながら、響はインターホンを鳴らそうとしてふと手を止めた。
(これじゃきっと門前払いだ)
ただインターホンを鳴らしただけじゃ、他の家族が出てきて合わせてもらえないような気がした。ここまで来て、それだけは避けたい。どうにかして音葉の気をこちらに繋がなくてはいけない。
足りない頭で考え抜いた末、響は一歩後ろに下がると、荒くなった自分の呼吸と、バクバクと音を立てている心臓を宥めるように、大きく深呼吸をした。
(俺はバカだから、こんなことしか思いつかねぇ。それでも、これに俺は賭けるんだ!)
スーッと息を吐いて、そしてスーッと息を吸った。肺いっぱいに空気が溜まっていくのを感じた響は、一気に自分のお腹に力を込めた。
そして、もう聞き慣れてしまった曲の最初の一音を、力の限り音葉に向かって響かせるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます