第12話 噛み合わない音

「あいつは?」


 明らかに不機嫌な声色で響がそう問いかける。あいつとは華愛の事だろう。

 律はそんな友人にほんの少しの罪悪感を抱えたまま、黙々とドラムのセッティングを済ませていく。


「今日は具合悪いんだって」


 黙々と作業をしていた律の耳に、少し元気のなさそうな音葉の声が入ってきた。ふと顔を上げ、雛壇状に設置してある座席の最前列に座っている音葉の姿を視界にとらえる。切り揃えられた前髪の下からは、何やら困っているような深刻な表情が伺えた。


 律の視線はさらに左にスライドされ、響の姿をとらえる。

 見るからに怒った顔をしブツブツと独り言つ響を見て、律は思わず苦笑を漏らしそうになった。響は本当にわかりやすい性格をしている。


 二年生になり、もうすぐ三ヶ月が経とうとしていた。そして、そろそろ期末テストの時期を迎える。

 響はテスト前のこの時期になると決まって機嫌が悪くなる。それは、勉強やテストが元々嫌いなのもあるだろうし、単純にテスト一週間前から部活動が原則禁止になるからでもある。何よりも、テストが近くなるごとに、律が練習に顔を出している時間が短くなってしまう事も大きく関係しているように思う。


 律は常に学年トップの成績を維持していた。周りには天才だとか言われるが、律とて努力もせずにその成績を取り続けている訳ではない。毎日しっかりと授業の復習を繰り返し、テスト期間一週間前からはドラムも一切叩かず、勉強に費やしている。

 それもこれも、大好きなドラムを、このバンドを続けるためだった。

 もちろん、響には前もってテスト前は練習できる時間が短くなると伝えてあるし、なぜ律がそこまで成績にこだわらなくてはいけないのかも説明してある。

 それでも練習に顔を出せる時間が限られてしまうことに、律は少し罪悪感があった。

 響は響で、不機嫌になることはあるものの、面と向かって不満を言ってきたことは今まで一度もない。それは響なりの優しさだと律は受け止めていた。


 だが、今回の響はいつにも増して不機嫌だった。

 元々感情を隠す事が苦手なタイプなのは分かっているが、ここまであからさまに出されると、せっかく時間を削って練習を楽しみにしていた律の心は萎んでいく。


(期末まで後二週間か……)


 思わず心の中でそう呟く。


 もう一年以上の付き合いである律には、響を苛立たせる原因が大体わかっていた。

 響は良い意味でも悪い意味でも音楽に真剣で真っ直ぐだ。だからこそ、音楽に対して中途半端にしか向き合わない人は、響にとって不快な存在でしかない。


 この前バンドに入ってくれた音葉は、部活動時間の半分を過ぎる頃に決まって、練習を切り上げ帰ってしまう。

 そして、華愛に限っては無断遅刻、無断欠席が多く、たまにふらっと顔を出したら、大半を自主練に費やして音も合わせずに帰ってしまう。

 せっかくバンドメンバーが揃ってこれからだという時に、そんな二人の態度が響にとっては不愉快でしかたがないのだ。

 そんな状況の中テスト期間が近づいている事もあり、響の機嫌は悪くなる一方に見える。


(響、申し訳ないけど俺にはどうしようもできない)


 せめて、視聴覚室のどんよりとした空気を変えなくてはと思い立ち、律は二人に向かっていつもの爽やかな笑顔を作り出す。


「それじゃあ、待ってても仕方ないし三人で練習始めよっか」


「そっそうだね! そうしよう!」


 音葉も律の作り上げたその流れに便乗し、気を取り戻したように元気よく立ち上がる。響も渋々と言った形でギターを手に取り始める。

 練習し出した響の奏でる音は、心なしかリズムがいつもより早まっている気がする。そんな友人のらしくない姿を見て違和感を覚えた。

 ただ苛立っているだけにしては、響の奏でる音の変化はどうも引っかかる。


(もしかして響、焦ってる?)


 あの響が焦ることとしたら、原因は一つしかないだろう。

 友人のはやる気持ちの元凶を、律は人よりも少し回転速度が速い脳内で見つけ出す。 

 響は悩みや苦労などを知らないタイプなのだろうと、昔は勝手に決めつけていた。しかし、そんな響も苦悩を抱えているのだと、律は仲良くなってから知った。


(響もには振り回されてばかりだね)


 同情とやりきれない気持ちを胸に抱いた律は、その感情を消し飛ばすかのように、思いっきりドラムを叩き出す。

 各々の自主練が始まり、全く噛み合わない音が視聴覚室に響き始める。

 まるで今の自分達のようだと、律はドラムの感触を確かめながらそう思うのだった。

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