第4話 苦手な親友

 先に行ってしまった友人を見つけることにそう時間はかからなかった。

 落胆しているかと思ったが、前を歩く響の背中から燃えるような赤い炎が漲っているのを感じ、その心配はなさそうだと律は胸を撫でおろす。


「響、惚れ込んだ歌姫に出会えて興奮しているのかもしれないけど、ちゃんと結城さんのことも考えなね。申し訳なさそうな顔してたから」


 そう言いながら響の後ろ姿に近づいていく。響をこんなに奮い立たせているあの歌声を律は思い出す。


 スマホから流れてくるあの声を最初に聴いた時、律はまず驚いた。躍動感のある綺麗な声に鳥肌が立つ。と同時に、今までバンドでやってきた曲調とは少し色が異なるその声に、少しの戸惑いもあった。が、何故か自分の耳はすぐにその声を受け入れていた。自分の奏でるドラムの音と混ざり合っていく感覚が、イメージ出来てしまった。


 何より、天才的な耳と野生児的な直感を持った響が欲しいと思った歌声だ。間違いなく、輝く原石に違いない。

 目の前で強い眼差しを残したまま考え事をしている響を見ていると、自分もますますあの歌声が惜しいと思わずにはいられなかった。


「程々にしときなね」


 今何を言っても響には伝わらない。そう思った律は、自分の世界に入り込んでいる友人の肩に手をポンと乗せた後、一言だけ声をかけその場を後にした。


 律は教室に置いてあった鞄を取りに戻り、また昇降口に向かい靴を取り替え、家路につく。電車通学をしている律は、学校から歩いて十五分程かかる最寄り駅に足を向けながら、自分が響と出会った時の事を思い出していた。




 あれはちょうど一年前ぐらいだった。

 日差しが強くなってきた頃、まだ爽やかな風を感じる中で体育祭練習が始まった。高校に入学し、クラスにも馴染んできた学年全体が、初めての学校行事に士気が高まっていた。

 そんな中、隣のクラスで運動神経が抜群にいい男子がいると一時話題になった。体育祭はもちろん、人にもあまり興味がなかった律は、熱心にその話題を伝えてきた友人の話を、右から左へと受け流していた。


 一学年合同でのクラス対抗リレーの練習が始まり、初めてその噂の男子を見かけた。

 盛り上がっている隣のクラスの中心で楽しそうにはしゃいでいた彼を見て、律は自分とは正反対のキャラだなと思った。

 きっと面裏がなく自然と人が集まってくるタイプで、なんの悩みも持たず生きているのだと、勝手に決めつけていた。


(なんだ、根っからの勝ち組キャラか)


 キャラを表面的に作り出して偽ることで、自分の地位を保っている律にとって、響は苦手な存在で、ちょっと羨ましくもあった。


(今後関わりたくないな)


 律は正直そう思っていた。


 ところが、体育祭後に行われた中間テストも終わった頃、少し時期遅れで入った軽音部に奴はいた。

 運動神経抜群で信頼も厚そうな様子から、当然運動部に入っているものだと思っていた。

 だから律は理解できなかった。

 圧倒的に運動に対してのポテンシャルが高いはずなのに、周りも期待しているはずなのに、なぜ運動部ではなくここにいるのだろうかと。求められて、その力を発揮できる場所がたくさん用意されているのに。

 律は無性に苛立った気持ちに襲われた。


「お前、楽器できるの? 意外だな!」


 律の気持ちも知らず、彼はそう言って近づいてきた。

 

(何でよりによって俺に話しかけてくるんだよ。めんどくさいな……)


 律はそう心の中で嫌悪感たっぷりに言葉を吐いた。もちろん、いつもの様に爽やか笑顔をキープしながら。


 やたらと話しかけてくる響を避ける様に、練習を始めようと部室に置いてあったドラムセット一式を視聴覚室に運ぼうとする。しかし、響はワクワク顔でそれを手伝い始めた。


(こいつ悪い奴じゃないところがさらにムカつく)


 そんな風に心の中で毒を吐きながら準備をしていた。


「なぁ。俺とバンド組んでよ」


 律が粗方準備を終え、ドラムセットの最終チェックを行っている時、響はいきなりそう言って来た。

 唐突な誘いにビックリしすぎて、無意識のうちに柄でもない顔をしていたのだろう。


「お前もそんな顔するのな。時々見かけたけど、爽やか笑顔しか見たことなかったから、サイボーグか何かかと思ってた。噂によると成績も学年トップらしいしな」


 無邪気に笑いながら、片手でポンポンと肩を叩いてくる。そんな響の手を軽く払い除けながら、


「俺も一様人間ですからねー」


 皮肉っぽく律はそう答える。響はニヤッと笑った後に、少し離れた窓の淵に腰掛けた。


 律は改めてイスに座り直すと、久々のドラムセットに胸を高鳴らせていた。

 やっと練習できる場所を手に入れたという嬉しさで、自然と目が輝きに満ちていく。

 律は自由に練習する事ができず、ドラムに、そして音楽に飢えていた。


「まだ俺の腕も見てないでしょ?」


 ちょっと得意げに言いながら指を組むと、手のひらを返しながらグーっと腕全体を伸ばす。気持ちよく腕が解れたところで、息を整え、愛用のドラムスティックを持つ。その久々の感覚に全身が奮い立つのを感じた。


 学校では決して本心を見せないようにしていたが、この時ばかりは沸る熱い感情を隠しきれなかった。

 響が見ているというのに、律は自分の感情を表に出してしまう。ドラムの前では自分を偽れない。

 そんな律の姿を見て、響はキラキラした目で「にっひひひ」と笑いながらこう言った。


「だから先に言ったんだ。お前の音聴いた他のバンドに取られないように、今、予約しておいた」


「何だよそれ」


 響の言葉はなぜかここにいる本当の自分を認めてくれているような気がした。まだ律の事も、律の音も知らないはずなのに。

 偽った仮面ではなく、自然と笑みが零れる。


(こいつが相手なら自然体でいられる気がする)


 そう思った。

 そして目の前のドラムと自分の体の感覚に集中する。

 

「ふー……」


 息を吐いて腕を動かす。


「ドド……」


 軽くドラムにスティックを弾ませた。

 気持ちの良い音が鼓膜を揺さぶる。この音を出したくて、出したくて、たまらなかった。


 その後は無我夢中で体を動かし、音の海に身を投じた。


 一通り鳴らした後、存在すら忘れていた響を思い出し、窓の方に視線を向ける。


「やっぱり、お前最高だ」


 響は律の音を最初から知っていたかのように、笑いながら、でも真剣な眼差しでそう言った。

 その瞬間、こいつには敵わないと律は思った。

 ドラムを叩いた後の心地よい余韻が体を支配していたこともあって、響に対しての嫌悪感はもうどこかにいってしまっていた。


「いーよ。組もう」


 気づいたら律は、そう言葉にしていた。




 後から分かった事だが、響はバンドを組みたいと思える人と出会えず、入部してから今までずっと一人で過ごしていたらしい。


『お前が入ってきた時、こいつだって俺の直感が言ったんだ』


 出会いからずいぶん経った後、『なぜあの時俺に声をかけたのか』と響に問いかけたら、満面の笑みでそう返してきた。


 あれだけ苦手だと思っていた響の存在に、律はなぜか惹かれた。今思えばその感覚こそ、響が言う直感というものだったのだろう。きっと自分自身も響の持つ才能を直感的に感じ取っていたに違いない。

 

「やっぱり、あいつは天才だな」


 見慣れた駅までの道を歩きながら、日差しの強くなった青い空を見上げて、律はポツリと呟く。そして、今では親友となった響のバカっぽい笑顔が頭に浮かび、思わず頬が緩むのだった。

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