第3話 身バレ

 音葉が男子二人組に声をかけられたのは、その日の授業が全て終わり、帰るために下駄箱に向かっていた時だった。


「おい!」


 後ろの方から誰かを呼ぶ声がしたが、音葉は何か良からぬ気配を感じ取り、あえてそのまま進行方向に足を進める。


「お前だよ!」


 自分の真後ろから聞こえた声に流石に無視する事ができず、音葉は慌てて振り返った。

 そこには真剣そうな顔をした木下響と、爽やか笑顔の三上律がいた。

 音葉は二人の顔を見てやっと忘れ始めていた今日の失敗を思い出す。全く会話をしたことが無い他クラスの有名人二人が、音葉に声をかけてくる理由なんて、あの出来事ぐらいしか考えられない。


(まさかアレがばれた……? だとしたらまずいっ)


 秘密がバレることを懸念していた音葉にとって、この状況は最悪だ。

 音葉はとある理由で、学校の人にバレない様に動画配信サイトにこっそりと動画を上げている。

 元々事情があり、人と必要以上に関わらないようにしていた音葉には友達と呼べる人がおらず、それを話す機会がそもそもなかった。動画を上げている事でからかわれたりするのも嫌だったので、結局誰にも話していない。音葉は自分に自信がないのだ。

 それに、できれば学校で目立つこともしたくなかった。

 だからこそ、これは学校の人には知られたくない音葉の秘密だった。

 しかし、響が次に放った言葉は、音葉の隠し事に対するその思いの殻を見事に打ち砕く。


「結城音葉。いや、高校生シンガーOTOHA。うちのバンドのボーカルになってくれ」


 無邪気で純粋な笑顔を見せながら、響が右手を力強く差し伸べてきた。

 二人に自分の正体を見抜かれたかもしれないと身構えてた音葉は、その予想を越える響の言葉と行動がすぐには理解しきれず、一瞬フリーズする。


『うちのボーカルになってくれ』


 確かにそう聞こえたはずだと、音葉は自分の頭の中で響のハキハキとした声をリピートする。

 絶対からかわれると思っていた音葉は安堵を感じるとともに、予想もしなかった展開に驚きを隠せずにいた。

 戸惑いと羞恥の入り乱れた渦の中、ふと二人の授業中での会話を思い起こす。


『ボーカルなしの歌えないバンドなんて聞いた事ないぞ? バンドにボーカルは絶対必要!』


 思い出した会話の内容と、今言われた言葉が音葉の頭の中で合致していく。

 自分をバンドのボーカルに勧誘しているのだとそう思い至った音葉は、やっとこの状況が理解できた。

 バンドのボーカル。

 正直、ちょっと魅力的に感じるその言葉だが、音葉には難しい話だ。


(二人には申し訳ないけど……。断るしかない)


 響は右手を差し出したまま、瞳をキラキラと輝かせ音葉の事を見つめてくる。

 どうやら、断られるという可能性を全く考えていない様だ。

 そんな響に若干の罪悪感を持ちつつ、音葉はゴクリと唾を飲み込んだ後に口を開いた。


「もっ申し訳ないけど、ひっ人違いじゃないかなぁー。ごめんね。あははぁ……」


 右手で髪の毛をワシワシと触りながら、おちゃらけた様子でニヒヒと笑ってみる。

 しかし、咄嗟に口から出た苦し紛れの嘘は、自分自身でも下手すぎると思った。


 音葉は人前で歌うことに憧れた時期もあった。しかし、その度胸も自信もなくて、細々と動画を上げることで精一杯だった。

 そんな中途半端でダメな自分に、バンドのボーカルなど務まるわけがない。

 それに、バンドメンバーになると練習にも参加しなくてはならない。音葉には放課後にやらなくてはいけない何よりも重要な習慣があった。それこそが必要以上に人と関わらない理由でもある。


 音葉は自分の前に不意に訪れたチャンスに対するちょっとした好奇心と、現実の間で心が揺さぶられる。


 先ほどの言葉以降、音葉は引きつった笑いをただただ浮かべ、下手な嘘をつき通す。それが音葉にとっても二人にとっても良いのだと判断した。

 しかし、二人は諦めることなく音葉に話しかけてくる。


「お前の声が必要なんだ。頼む」


「結城さん、俺からもお願いするよ」


 やっぱり嘘はバレているようだった。

 音葉は人の声色で、その人の感情を何となく読み取ることが得意だった。だからこそ、二人の声色に真剣な熱い思いを感じとる。

 真っ直ぐこちらを見つめる二人の瞳は、期待の色に満ち溢れている。今の音葉にとってはあまりにも眩しすぎて、音葉は心がギュッと締め付けられるような感覚がした。

 

(この二人の真剣な思いに私なんかじゃ応えられない……)


 二人はバンドに、音楽に真剣に向き合っている。そんな二人に中途半端な自分は関わってはいけないのだと、音葉の心を卑屈な気持ちが支配していく。


「ごめんなさい」


 気づいたらそう口が動いていた。


「そっか。まー無理をしてまでやってもらおうとは思わないから。結城さんがダメなら仕方ないね」


 優しくそう言った律の横で、見るからに納得のいってなさそうな顔をした響が、真っ直ぐ音葉を見つめてくる。

 音葉は反射的にその顔から自分の目線を逸らす。


「俺はぜってー諦めねー!」


 突然大きな声でそう言った響は、音葉に背を向けてどんどん歩いて行ってしまった。

 急な行動に音葉は呆然と立ち尽くす。


「ごめんね、響ってあーなると人のこと全く考えないからさ。でも、響をあそこまで必死にさせているんだから、結城さんの歌声は本当に凄いと思うよ。自信持ってね」


 爽やか顔の律も音葉にそう伝え終わると、響の後を追うように行ってしまった。

 二人の姿が見えなくなった後もあまりの衝撃に動くことができず、音葉は放課後の忙しない時間の中でざわめく音を感じながら、しばしその場にたたずむ。

 突然の出来事、それはまるで嵐が過ぎ去ったような感覚だった。

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