第5話 間違った噂

 音葉は困り果てていた。

 そしてその原因が今自分の目の前に立っている男子、木下響である。身長は男子にしては小柄で、クリっとした目で熱い視線を音葉に向けてくる。


 時は放課後。

 授業から解放された学生達の賑わう声が周囲から聞こえてくる。音葉は帰ろうと教室を出たところで『』捕まってしまった。


「なあ、頼む」


 そう言って頭を下げてくる。

 この光景を今日、何回見た事だろうか。

 響はあろうことか、休み時間のたびに音葉の元を訪れてはこうしている。

 それ自体も迷惑極まりないのに、そんな二人を目撃した人達からの視線や噂話が、音葉を更にうんざりさせた。

 きっとこの光景は他の人から見たら奇妙だったに違いない。こちらが見る側の立場だとしても、きっと同じ違和感を覚えるだろうなと音葉は思っていた。


 人間とは不思議なもので、どうしてそうなっているのか理由を知りたがる。そしてそれを他の人に話したがる。

 二人の少ないやりとりでどう解釈したのか分からないが、勝手に話に変な尾鰭がつき、様々な間違った噂話がもうすでに飛び交っていた。


「あの……だから何回も」


「おい響!」


 音葉が話していた途中で大きな声が割って入った。声の方に目を向けると、高身長で筋肉質の男子が無邪気な笑顔を向け、こちらに歩いてくる。膝丈のテロテロハーフパンツにTシャツといった服装をしており、どうやらこれから部活に行く運動部らしい事が一目で分かった。

 名前を呼ばれたはずの響は微動だにせず、音葉に向かって頭を下げたそのままの状態だ。


「おい響ってば!」


 そう言って近づいて来た男子が、音葉の目の前で動かない響の首にドガっと腕をまわす。筋肉質で血管の浮き出た腕は、見るからに重そうだった。


「何だよ。今大事な話してんだから邪魔しないでくれ」


 響は渋々と言った形で頭を上げ、露骨に不満そうな表情を見せながら体勢を戻していく。絡んできた男子は音葉を見るとニヤッと笑って、自分の腕に収まっている響の顔を見る。


「お前、みんな噂してたぞ。休み時間のたびに女子に告っては振られてるって。あんまりしつこいともっと嫌われるぞ」


「お前には関係ねー!」


 響はそう言ったきり黙ってしまった。


(いやいや、間違った情報だから! すぐに訂正するところでしょ普通!)


 心の中でそう叫ぶ音葉だったが、噂が勝手に飛び回っている状況の中、この人だけに弁解しても意味がない事は明らかで、歯痒い気持ちが胸を襲う。


「はぁ〜……」


 音葉は言いたい事を言えない分、大きなため息を一つこぼした。

 一人悩む音葉の気も知らず、元気な声で話し込んでいる男子達には、そのため息は聞こえなかったらしい。


「で、なんか俺に用?」


 ふてくされた顔で響が隣の友人らしき人に話しかける。


「あーそうそう! あのさ、お前どうせ今日部活なくて暇だろ? また付き合ってくれ。今日も人数足りなくてさー。頼む!」


 苦笑いを浮かべながらそう言った男子は、手を拝むようにして響に頼み込む。その顔からは必死さが伝わってくる。

 そこで音葉はふと響という人物を思い返した。

 運動神経抜群の有名人という情報は、こうやって運動部が助っ人として求めるぐらいなので、間違っていないのだろう。


 そう考えると一つの疑問が生まれる。

 なぜ、響はバンドという音楽の道にこんなにも拘っているのだろうか。音葉に対する響の行動で、彼の音楽に対する熱意は嫌でも伝わって来ていた。

 恵まれた別の才能があるにもかかわらず、響をここまでさせるバンドってどんなものだろうかと、音葉は次第に考え始めていた。


「申し訳ないけど、今はこっちのことで必死なんだよ。それに、もうバンドの練習も本格的にできるようになるし! なっ結城!」


「へっ?」


 一人考えにふけていた音葉は、急に同意を求められ、思わず変な声を出してしまう。

 

「お前が入ったら今日からでも練習開始だからな!」


 有無を言わせず、音葉にそう堂々と言い張る響に、一瞬状況が掴めず呆けてしまう。が、あまりにも強引な話の流れに、音葉は首を激しく横に振った。


「だから、何回も断ったでしょ! どさくさに紛れて私の首を縦に振らせようとしても、そうはいかないんだから!」


「やっぱバレたか〜」


 笑いながらそう言った彼の顔は笑顔だったが、どことなく寂しげだった。と思ったらいきなり真顔になって音葉を見る。その真剣な眼差しに思わず背筋が伸びた。


「でも俺は諦めない。だって結城は歌いたがっているから」


 心を読まれた気がした。

 音葉が歌う事が大好きだと、響はきっと感づいている。そう思うと自分に向かっているひたむきな眼差しをまともに見る事ができなくなった。

 音葉は困ったなーと思いながら、無意識に髪の毛をワサワサと触る。


「あの……。もう話は済んだし、その人今日も練習ないと思うので、連れて行って良いですよ」


 音葉は遂にその空気に耐えきれなくなり、ニヤニヤと二人を見つめていた響の友人に思わず声を掛ける。我ながら卑怯な事をしたと、言った後に音葉は思った。でも、自分の感情にボロが出てしまう前に、一刻も早く心を見透かすような眼差しを向ける響から逃げたかった。


「まじ! えっと……確か結城さん? ありがとう!」


 満面の笑みでお礼を言った男子は、目をまん丸くさせて嘘だろとでも言いたげな表情を浮かばせる響を、今度は前から腕を回して問答無用で引きずりながら連れて行こうとする。

 引きずられている響は「諦めないー」とか「卑怯だぞー」と声を張りあげている。まるで駄々をこねる子供みたいで、段々と不憫に思い始め罪悪感が強くなっていく。だが、こればかりはしょうがないことだと、音葉は自分の良心を慰めた。


「あっ結城さん!」


 引きずられる響を時よりなだめながら去っていく男子が、不意に立ち止まり後ろを振り向く。音葉は首を少し傾げながら、せめてもの償いと思い、逃げることなくその場にとどまった。


「こいつ暑っ苦しくて単細胞だけど、スッゲーいいやつだから! 俺が保証するよ!」


 音葉はその言葉に、「だからデマだって!」と心の中でツッコミを入れつつ、「まーいっか」と、何も言わずにただ笑いながら手をふった。

 そんな音葉を見て運動部の男子は「じゃー!」と言って響を引きずりながら早足に去っていくのだった。

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