第6話 変化が怖い

 響の頭の中は、音楽で溢れかえっていた。

 あの歌声がすぐ側にあると知ってから、次々と新しい曲のアイデアが湧き出て鳴り止まない。

 幼い頃は自分の作った曲をよく親に聞いてもらい褒められていたなと、響は過去を思い起こす。


 昔のことすぎて、その歌がどんなものだったのかはもう覚えていない。どんな言葉で褒められたのかも忘れている。でも、父と母が仲良く笑い合いながら聴いてくれていたその光景だけは、はっきりと覚えていた。


 そんな遠い昔の出来事を憶いながら、不意に心が締め付けられるのを感じた。響はその頃の記憶を思い出す度に、毎回どうしようもない怒りの感情が湧いてくるのだった。


 あの頃の自分は頭の中で音程のパーツがパズルのようにハマっていくことに、快感を得ていたに違いない。

 そして約十年の時を経て、その快感をまた感じている気がする。この感情に対する懐かしさが、響の暗くなった心にじわっと暖かく広がっていく。

 聞こえた音のピースを忘れないように、響はノートに必死に書き殴っていく。


「…………ね………ねえ……おい、響っ!」


 囁くようでいて強い口調の声に、響の意識は閃きの海から現実に引き戻された。

 後ろを振り向くと見慣れた爽やか笑顔くんが、その顔を崩さずため息をついている。器用なものだなと冷静にそう思った。


「さっきから当てられてるよ響」


 その言葉で、今が数Bの授業中だという事を思い出す。


「木下くん! 今日は静かだと思っていたら、授業中に何をしているんですか!」


 聞き覚えのある耳障りな高音が、響の頭の中を揺さぶってくる。今日も先生の声の調子はまずまずらしく、高々に喉を潰すような形で声を張り上げる。そんな声を聞くと、長細くて黄色い鳥の形をしたゴム製のおもちゃがどうしても頭を過ぎる。


 そんな事を考えているくらいなので反省などしていないのだが、この騒音を止めるべく反省しているように演技をしてその場を収める。

 早く謝れと耳を塞ぎながら無言の圧をかけてくる隣の歌姫の為にも、そうする事がベストだった。




 数Bの授業が終わり、次の授業が行われる教室へと響は律と一緒に向かっていた。


「今日のガーチキもまた絶好調の高音だったね」


 皮肉じみた言い方で律が話しかけてくる。ガーチキとは響たちが付けた先生のあだ名だ。由来は例の黄色いゴム製のおもちゃであるのは言うまでもない。


「鼓膜が躍り狂って発狂しちまいそうだった」


「あはは」


 たわいもない話をしながら、校舎の端にある理科室へと向かう。生物の授業がそこで行われる為だ。

 二人が歩く廊下には窓がなく、蛍光灯と教室から漏れてくる光のみで照らされている。

 前の授業で理科室を使っていたらしき白衣を纏った生徒達とすれ違った。化学の実験でもしていたのか、少し薬品臭い匂いが響の動物並みの鼻をくすぐっていく。


「それにしても、熱心だね響は」


「あー。アイデアが湧いて止まらないんだ。久しぶりにいい曲がたくさん作れそうだ」


「あんまりこん詰めないようにね。曲も結城さんの勧誘も」


「あいつ、歌いたがってるんだ。俺にはわかる。でも首を縦に振ってくれねー……」


 そう、響には音葉の心は歌う場所を求めているように感じてならなかった。なのに響の誘いに決して首を縦に振らない。思い立ったら本能のまま行動してしまう響には理解できなかった。歌いたい気持ちがあって、そこに歌う場所を差し出したら普通は喜ぶはずなのにと。


「きっと変わる事が怖いんじゃないかな」


「怖い?」


 律の言葉が理解できず、響は聞き返す。

 ハテナマークを浮かべている響の頭の中を察したのか、律は穏やかな声で諭すように、自分の思ったことをもう少し具体的に話し始めた。


「結城さんが今まで見て来た世界に、俺達と音楽をすることによって少なくとも変化が起こる。変わらないと思っていた日常が変化する。だから不安なんだよ」


「あーなんとなくわかる気がする。変化は確かに怖え」


「野生児にもわかりやすい説明ができるって俺は天才だ」


「今さらっとバカにしただろ」


「いつものことじゃないか」


「そうでした」


 響は頭の中で律の言葉を繰り返す。

 自分の状況が変化する事を怖いと思う気持ちは、響も痛いほど知っていた。

 響の場合は自分で決めて変化した訳ではなく、問答無用で周りの人間が変わってしまった。変化の理由や立場が違えど、その先の未来に何が待っているのか不安で仕方がないと思う気持ちは少し理解できる。

 だからこそ、どんな形でも自分から変化の渦に飛び込むことはとても難しいのだろうなと、少し足りない頭をフル回転させて響は想像した。


「変化が怖いねぇ〜……」


 窓がなく薄暗い廊下を照らしている蛍光灯を見上げながら、響はポツリとそう呟いた。

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