第37話 後悔しない選択
昨日まで順調だった。練習の成果もあって二曲ともいい仕上がりになっていたし、四人全員が最高潮に燃えていて、心が通じ合っている気がした。
昨日のリハーサルでも手応えを感じていた。
なのに、どうしてこうなったのだろう。
「結城は……」
「何……言って……先生。……そんな訳……だろ……だって、そんな事あって……かよ!」
「残念だが……」
悲しげな鈴鹿先生の声と、荒々しげな響の声が交互に聞こえる。でも、その言葉を華愛はうまく頭で消化する事ができない。まるで、電波の悪い場所で電話をしているように所々聞こえず、すんなりと言葉が入ってこなかった。
「結城のお母さんが、今日の明け方亡くなられたそうだ」
でも、その鈴鹿先生の言葉だけは、なぜかストンと耳に入ってきた。他の生徒たちは文化祭当日を迎え、準備を進めながら祭り気分ではしゃいでいる。そんな騒がしさにも関わらず、その言葉はまるで無音の中で鳴り響いたベースの重音のようで、華愛の心にずっしりと響いて聞こえた。
「うそよ……先生! 嘘だと言って! そんなのおかしい! おかしいよ!」
気付いたら先生のワイシャツを握りしめ、縋るように声を荒げていた。通りかかった生徒が驚き視線を向けている事も気にせず、思いっきり泣きながら叫んでいた。
「なんでよ。音葉のお母さんライブ楽しみにしてた! 音葉もお母さんの夢叶えてあげるんだって頑張ってた! なのに、こんなの絶対おかしい!」
「華愛やめろ……華愛!」
響の叫ぶ声で肩がビクッと震え、我に返った。そして、先生の服を握っていた力が抜け、膝から崩れるようにその場に座り込む。
音葉のことを考えると心が潰れるように苦しい。先生に当たってしまった事に後悔が押し寄せる。そして、親友が悲しみの中にいるのに何もできない自分に対する憤り。
感情がぐちゃぐちゃで訳が分からない。
「先生、俺らどうすればいいかな……」
そう先生に問いかける響の声は震えてえていた。ふと顔をあげ振り返ると、そこには涙を流しながら、ぎこちなく笑う響の姿があった。横に視線を向けると、律が下唇を噛み、悔しそうな表情で斜め下を向いている。
「それは君達四人が決めることだ。俺の決めることじゃ無い」
先生の声に「そう……ですよね……」と、響が答えた。誰もが口を閉ざし、周りの騒がしい声や音楽だけが流れていく。
「でも」
誰もが何も言わなくなった空間で、人を諭すような聞き慣れた優しい声が響いた。
「これだけは言える。君達の後悔のない選択を選びなさい。この先五年、十年、二十年と歳を重ねていっても、四人がこれで良かったんだって思えるような道を選ぶんだ。そして、そんな君達の出した答えを、俺は全力でサポートする事をここに誓う」
「先生……」
華愛はボロボロになった顔でふとそう呟いた。そんな華愛に鈴鹿先生はズボンのポケットからハンカチを取り出し、しゃがみ込みながら前へ差し伸べた。華愛は素直に目の前に差し出されたハンカチを受け取ると、胸の前で強く握りしめた。
「さぁ、ここにいても仕方が無い。後数分で文化祭が始まってしまう。みんなでよく考えなさい」
先生は話をそう締めくくると、三人に背を向け騒がしい廊下を歩き始めた。去っていくその後ろ姿を見つめながら、華愛は先生の言葉を頭の中で反芻する。
『君達の後悔のない選択を選びなさい。この先五年、十年、二十年と歳を重ねていっても、四人がこれで良かったんだって思えるような道を選ぶんだ』
(この先後悔しない選択なんて難しすぎるよ……先生……)
色彩鮮やかに飾られた校内の装飾が色褪せたように感じる中、光っていた先生の存在もまたその中へと溶け込んでいくのだった。
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