第30話 お見舞い

「本当に来て大丈夫だった?」


「もちろんだよ! お母さんも喜ぶと思う!」


 華愛は音葉の母が入院している病院に足を運んでいた。

 事の発端は、今日の練習中に華愛がなんとなく放った一言だった。


「私、今度音葉のお母さんのお見舞い行ってみたいな……」


 休憩中にそう呟いた華愛に、音葉はパッと花が咲いた様な笑みを浮かべて、華愛の手をとった。


「嬉しい! じゃー今日行こう! ちょうど練習終わったらそのまま行く予定だったの!」


 あまりの唐突な提案に、まだ心の準備ができていないと思いつつ、嬉しそうな音葉を見ていたら断る事ができなかった。それに、自分のことを親友と言ってくれる大切な人を生んで育ててくれた人に、華愛は会ってみたかった。


 大きな総合病院のエントランスには患者や付き添いらしき人達でごった返している。「ピンポンパンポーン」と言う機械音が鳴り響き、続けてアナウンスが流れ始めた。イメージよりも騒々しい雰囲気に少し華愛の足が強張る。

 しかし、音葉はその間も慣れた様にどんどん進んでいってしまう。初めて足を踏み入れた大きな総合病院は、一人で来ていたら間違いなく迷子になっていただろう。

 迷わずにしっかりとした足取りで進んでいく親友の後ろ姿を見て、なんとも言えない感情が華愛の心に湧いてきた。


(そっか、音葉はほぼ毎日ここに足を運んでいるのよね……)


 心の中でそう呟く。

 音葉が初めてここに来た時は、一体どんな心境だったのだろうかと想像してみる。きっと不安な時を過ごしたのではないかと思い至った。

 ふと、音葉が歩みを止め、後ろを振り向いた。


「華愛! 迷子にならない様にね」


「うん」


 音葉のキラキラした笑顔に、華愛も優しく微笑み返す。

 一体、その小さな体にどれだけ重い荷物を背負っているのだろうか。華愛は至って普通の元気な音葉の姿を目の前にしながらそう思った。


 自分の親が病気になってしまったら?

 大切な人が病に侵され苦しむ姿を日々見ていかなくてはならなくなったら?


 想像がつかなかった。その苦しみや悲しみは、華愛の拙い感情では計り知れない。自分の環境がすごく恵まれているのだと改めて実感する。

 そして、今も苦しい中戦っている音葉と音葉の母の事を思うと、どうしようもなく心が締めつけられる。

 自分にもできる事はないだろうかと考えずにはいられなかった。


(私にできる事……)


 華愛には一つしかなかった。


『ライブを成功させる事』


 音葉の歌を音葉の母にしっかり届ける事が、二人に対して今の華愛が出来る唯一の事だろうと思い至った。

 音楽には人を癒す不思議な力があるとも聞く。

 多分、音葉の母にとって一番の薬は音葉の歌なのだろう。早く病気を治してもらう為にも、ライブの成功は必要不可欠だと華愛は考えた。


「華愛! こっちだよ!」


 少し前を歩いていた音葉がまた振り返り、手招きをしている。どうやら、入院病棟に行くには階段を登っていくらしい。

 華愛は階段の手前で自分を待っている音葉に向かって、他の人の迷惑にならない様に気を付けながら、若干小走りで近寄っていく。

 歩みを進めるに連れて、騒がしかった雑音が徐々に減っていくのを感じる。


「私、本当に来て大丈夫だったかな?」


 華愛は唐突に不安になり、音葉に問いかける。


「お母さんがね、みんなに会ってみたいってこの前言ってたの。だから、すごい喜ぶと思う!」


 嬉しそうにそう答える音葉を見て、華愛は体に入っていた力が少し抜けた気がした。


「そっか。私も音葉のお母さんと会えるの楽しみだよ」


「いつか、響と律くんにも会ってほしいな」


「そうだね。すごく騒がしくなりそうだけど、迷惑にならないかな?」


「あはは。確かに、病院でギター弾くとか言い出しそう」


「逆に緊張しすぎて響が一番おとなしかったりするかもね」


「分かる! どっちも想像つく!」


 華愛は少し緊張感のある病院の階段を上がりながら、音葉とたわいもない会話を楽しむ。

 笑顔で響と律の話をする音葉を見て、あの二人もいつかここに連れてくるべきだと、華愛はそう思うのだった。

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